第101話 孤独な王様
「そんな怖がらないでくれ。私の名前はクシナ。正真正銘、人間族のオスだ」
座っていいものかと立ち尽くしていると、その男は椅子から立ち上がり、安心させるようにやわらかく微笑む。
いやでっか……
僕より30㎝も身長が高く、影を落とすその顔からは自然と落ち着いた風格が伝わってくる。
「君のために紅茶も用意したんだ。まずはそれを飲んで落ち着いてくれたまえ」
「え、はい、失礼します」
そう答え、高そうな椅子に音を立てないようそっと腰を下ろす……
ゴクッ……
「美味しい」
「そうだろう。僕のお気に入りなんだ」
紅茶を飲む僕を見てクシナさんが嬉しそうに笑う。なんだか悪い人ではなさそうだ。
「で!君はどこの繁殖施設から来たんだい?西にあるマリア?それとも東のアンナ?いや、それよりもお父さんは誰だい? もしかすると私の知り合いかもしれないな。その黒い髪色は初めて見るが、目の感じは……まさか、ガウスの子供か?懐かしいな、あいつとは一緒に脱走計画を考えて、あと一歩で自由というところで見つかりそれでこんな……」
「え、あの。ちょっと言葉難しい……ので。もう少しゆっくり話してくれると助かり……ます。ごめんなさい」
突然まくし立てるクシナさんの勢いに圧倒される。
嬉しそうに話すその様子は微笑ましいが、こちらとしては、できるだけ落ち着いてゆっくり話してくれると助かる。
言葉が……言葉わからないのです!
「あぁ、すまない。君は言葉がわからないのだったな」
「謝らないで……こちらが悪いです」
「いや、悪いのは私だ。同じ人間族と話すのはもう10年以上ぶりでね……久しぶりに会話できることに嬉しくて、つい興奮してしまった」
恥ずかしそうに頬を掻くクシナさん。
言われてみれば、亜人じゃない純粋な人と話すのはこれが初めてだ。
僕を展示する動物園の存在、そしてこの人が前任者という立場――そう考えると、この世界で人間は絶滅危惧種的な貴重な存在なのかもしれない。
「そうだ。なら、逆に君から私に質問してくれ。その方が自分のペースでゆっくりと話せるだろう?」
それはありがたい提案だ。リスニング力はまだまだだけど、自分から話す分には割と自信がある。
まあ自信があるといっても、屋敷の使用人に向かって話していると、なぜか次々と倒れてしまうんだけどね。
「じゃあ……」
頭の中で一つひとつ単語を思い出しながら、話す内容を考える。
そうだ、せっかくの機会だし今まで気になっていたことを尋ねてみようかな。
「さっき人間族と話すの20年ぶりって言った……人間族少ない、珍しいの?」
「……っ!」
その質問をすると、途端に驚いたかと思えば悲しい顔を浮かべる。
何故だろうと不思議に思ったが「僕たち全然いない絶滅危惧種だよね?」と子供に指摘されるのは辛いのかもしれない。
人的要因かどうかは分からないが、まるで「お前たち大人のせいだ!」と責められているような感覚を抱くのかも。
「………君は人間族を見るのは初めてか?」
「うん」
「そうか、君はそんなことすら知らないのか。父親にすら会えずにずっと幽閉されていたなんて……」
クシナさんの声は震え、目には涙が溢れていた。
「よしよし辛かったね……」
ギュッ……
そしてそのまま訳もわからず抱きしめられてしまい、男性特有のあったかいゴツゴツとしたぬくもりが体に伝わる。
「えっと……その……」
昔、闘病生活の中一向に病が治らず苛立ちを抱えていた日、父さんに優しく抱きしめられたことを思い出して胸が熱くなる。
きっとこの人も同じように僕を励まそうとしてくれているのだろう。だが、今は特に落ち込んでいるわけではないので、ただただ気まずい。
「ぐすん……すまない。気を取り直してさっき質問に答えよう。この世界に人間族は少なくはない。むしろこの世界で最も多い種族だ」
「じゃあなんで僕は人気なの?みんな僕を見に来るの?ワーキャー言って……まるでアイドルみたいに」
「ふむ。そのアイドルというものはよくわからないが、君が魔界で人気なのは、この世で数少ない男だからだ」
「男が希少……」
「そうだ」
なるほど。男性が一人もいないな~とは思っていたけどそういう理由だったのか。
てっきり僕は、男性は力仕事で手一杯だから動物園に行く余裕などないと勝手に思っていた。
ラミィさんたちの並外れた力を目の当たりにすれば、そんな単純な理由ではないことは明らかだったのに馬鹿である。
「ちなみにどれくらい?50人に一人くらい?」
「3000人に一人だ。もっとも魔界ではさらに少ないかもしれないけどね」
「さ、3000人……」
思っていたよりも桁外れの数字に思わずめまいがした。
ここまで男女差が開いていると、よく社会システムを維持できているな感心する。
お見合いの倍率なんて想像するだけで凄そうだ。背が低い僕でも簡単に相手が見つかりそう……いや、この男女比率じゃ結婚なんて文化は最初から存在しないのかもしれない。
きっと男性がいたら、宝物のように大事に扱われるのだろう。怪我をさせないよう檻にでも閉じ込めて24時間監視を……ん?
それって……僕のことでは?
「じゃあ、みんな必死な目で僕を見てきたのも……」
「ああ、皆は君を交尾相手として見定め妄想していたんだ。捕えられた哀れなヒトオスを思うがままに蹂躙して喰らい尽くす。自分の快楽の為なら嫌がろうが泣き叫ぼうが関係ない――そういうことを平然と思っている連中なのだ!」
クシナさんは突然、手を震わせながら怒りを露わにした。
ハーレムを築けるなら男にとって夢のような世界……と喜んでしまったが、そう簡単にはいかなそうだ。
「魔族の中には、君の耳や指を食べようと考えていた者もいただろう……私たちが何も出来ないからって毎日毎日慰み者にするんだ!ふざけるな!」
慰み者にされるか……
うーん。でも、僕が知っている女性はみんな優しかったけどなぁ。
アウラさんは病を治してくれたし、ラミィさんは毎日尻尾でくるんで優しくなでてくれる。
最近知り合ったフィーリアさんは屋敷内で丁寧に言葉を教えてくれるし、ルナさんは……少しガサツだけど、それでも大事に扱ってくれているように感じる。
他の使用人達だって、時々ちょっと変な行動をすることはあるけれど、僕を大事に思ってくれている。みんな、いい人たちだ。
「そうだ君、蜘蛛女にはあったか?」
「蜘蛛女……アウラさんのこと?」
「名前なんて知らないが、あいつには注意しろ。優しい態度で体を診察してくるが、心の底では私たちを性の対象としか見ていない。奴らと同じだ。いつ毒を盛られるかわからないから安易に近づいてはダメだよ」
「な、アウラさんは絶対そんな人じゃない!いつも僕をぎゅっと抱きしめてくれて、下手絵だって宝物みたいに喜んでくれた……あの人は本当に優しい人なんです!偉い立場だか知りませんが、アウラさんの悪口は許せません!」
「あんな化け物が、そんな純粋な心持っているわけないだろう!」
パリン!
紅茶の入ったコップが壁に叩きつけられ、床にはガラスの破片と紅茶のしずくが飛び散った。
「魔族は悪だ……存在そのものが悪だ!」
その目に狂気が宿り、明らかに様子が可笑しい。
うん……そろそろ出よう。
僕はただ話し相手になって欲しいと頼まれてここに来ただけだ。
可哀そうだが、これ以上会話が不可能になった以上ここにいる意味はない。
「魔族をかばうなんて……やはり催眠。いや、洗脳教育されていたんだな。クソ!もっと早く決断していれば、魔王の変態じみたプレイに巻き込まれることもなかったのに!」
よくわからないことを話すクシナさんを無視し、静かにその場を離れようと一歩踏み出したその時……
ガタン!
足元が突然に揺れたような感覚に襲われ、よろめきながら地面に倒れ込んだ。
「なに…これ……」
足に力が入らない……それに段々と眠くなって……
バタン!
「早くも紅茶が効いたようだな……さぁ帰ろう健斗君。私たちが本来いるべき場所へ」




