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第92話 わからせ下剋上

「(まるちゃんさん。なでなでの時間ですよ~)」


 なでなで……


「(痒いところはないですか~)」


 なでなで……


 最近、我が夫の様子が明らかにおかしい。


 今もこうして我の頭を膝に乗せ耳を撫でているが、その手の温もりには何かが足りない。


 かつての指先はもっと柔らかく、力加減も呼吸も我の鼓動に寄り添っていた。

 それに、そこには確かな安心と互いの心を結ぶ何かがあった。


 だが……だが今はどうだ?


 手順も仕草も変わらぬはずなのに、まるで誰か別の者を思い浮かべ、その面影をなぞっているかのように感じる。


 撫でられているはずなのに、そこにあるのはただの作業。

 他の有象無象を撫でるのと同じように愛がない。


 ガブ!


「(痛い痛い!やめてくださいよまるちゃんさん!)」


「喚くな!そもそも我の番というのに頻繁に消えるそなたが悪いのだ!」


 許せぬ……せっかく我が番と認めておきながらなぜ他のメスに心を傾けるのなど。


 此奴のことを思えば思うほど、これまで一度も抱いたことのない重く濁った感情が渦を巻き始める。


 ガブ……ビリッ!


「(ちょ!なんで毎回服を引き裂こうとするんですか!)」


「契りを交わしたのもたった一度きり!我が毎晩、心を込めて誘っているというのに、そなたは背を向けるばかり!」


 ビリッ!


「新婚の不安に怯えているのだろうと我はこれまで耐えてきた。だが、もう我慢ならぬ!今この場で我に応えよ!」


 我慢の限界を迎えた我はケンちゃんが身にまとっている布を引き裂く。


 そもそも、王である我の誘いを断った時点でこうするべきだったのが!

 毎日毎日他のメスに浮気しよってからに!誰がお主のご主人様かしっかりと体に刻み込んでやる!


「あらあら……か弱いオスに向かって力を振るうなんて、まるちゃんは本当に野蛮やねぇ」


「ゴン……貴様、何の用だ!」


 ケンちゃんに覆い被さり、今日こそはと熱を燃やしていた矢先――どこからともなくゴンが姿を現す。


「ちょっとケンちゃんの声が聞こえたから、どうしたんかな〜って思っただけやで」


「ならば立ち去れ!これからは夫婦の時間だ……見世物ではない!


「夫婦……ふふふ、あはははは!」


 コンコンと甲高い笑い声を響かせながら、愉快そうに床を転げ回る。


 そのふざけた光景は、抑え込んでいた苛立ちをさらに燃え上がらせた。


「何が可笑しい!!!」


「いやぁ……別に深い意味はあらへんよ。ただこの場所のことも知らず、ケンちゃんのこともまったく分かってへんその様子がおかしくて仕方ないだけやで」


「何も知らない……だと!無礼者!それは我がこの地の王であることを知っての発言か!」


 我は激昂し、その喉笛に噛みつかんと跳びかかった。


 ふわぁ……


 だが次の瞬間、ゴンの姿は幻のようにするりと掻き消え、牙は虚しく空を噛むのみ。


 得意の幻術か……本当に小賢しいやつだ!


「本当に何ひとつ知らんのやねぇ。そこまでくると、もはや滑稽を超えて哀れで仕方あらへんわ」


 いつの間にかケンちゃんの上に座ったゴンは、同情と嘲りが混じった眼差しをこちらに向けていた。


「それにしたって乱暴はあきまへんよ。ほろ……ケンちゃん怯えてますえ?」


「こいつは無理やりされるのが好きなだけだ。初夜の時もたくさんいじめてと誘っておったしな」


「ふ~んそうなんや……ケンちゃん♡こっちにおいで♡」


 舌にまとわりつくほど気持ち悪く甘い声が、我が番に向けて放たれる。


「(ゴンさん?なんですか?)」


 だがケンちゃんは一歩も動こうとせず仰向けになっているのみ――当然だ。たとえ浮気をしていようとも、此奴の心は我に傾いておるのだからな。


「やっぱり言葉が通じないままじゃダメやね。少し面倒やけど……【ファントォス】」


 キンッ!


「うっ……」


 なんだ、今一瞬視界が……


「ケンちゃん♡こっちに来ていっぱい気持ちええことしよや♡」


「ふ、何度やっても同じだ。ケンちゃんは我の番なのだからな」


 ムクッ!


「なっ!」


 さっきまで硬直していたケンちゃんが、突如としてゴンを全身で抱きしめる。


「ゴンさん好き~♡いっぱいイチャイチャしようね♡」


 スリスリ……♡


「そ、そなた言葉が……」


「ケンちゃん、次はいつものやってもらってええか?」


「はい!ゴンさん!」


 するとケンちゃんはゴンに顔を近づけ、舌先を細かく動かしながら口を丁寧に舐め回した。


 ペロペロ♡ペロペロ♡


 唇や口の中まで決して逃さず味わうように、目をハートにして没頭している。


 お互い舌が絡みあい、側から見ればそれはもう番同士の愛情表現にしか見えなかった。


 バンバン!


<ケンちゃんわた……も!その淫……で……してぇ!


<はいはい!ガラスから離れてくださ~い


<ケンちゃ~~~ん!!!


「ん……♡はぁ……♡最高やわぁ♡やっぱりケンちゃんは最高のオス……これからいっぱい子供産んでやるさかい、楽しみにしときや♡」


「はいぃ♡」


 どうして我の夫はあんなにも恍惚と嬉しそうな顔を浮かべるのだ!


 なぜ我を撫でる時には決して見せなかった、満ち足りた幸福の表情をあの者には許すのだ!


 なぜあそこにいるのが私ではないのだ!


 許せない!許せない!許せない!許せない!許せない!許せない!


「ふふふ、本物の愛の力には誰も勝てへんやで♡」


「なんだとっ!」


「ひとつアドバイスや。ケンちゃんは乱暴にされるのが好みやない。じ~~~くりと、時間をかけて心も体もトロトロにしてからの交尾を好むんやで♡」


 ちゅ♡


「こんな風にな♡」


「くっ……貴様ぁ!!!」


 シュバッ!


 怒りに任せてゴンをぶん殴ろうとした瞬間、他のメスたちが次々と前に飛び出し我の攻撃を阻む。


「貴様らどけぇ!我はこの地の王であるぞ!」


「…………」


「ケンちゃんだけやなく、みんなにまで裏切られるなんて……まるちゃんはほんまに可哀そうやわぁ」


「くっ……貴様何をした!どうせ卑怯な手を使ったのであろう!」


「別にな~にもしてへんよ。ただちょっとより良い未来を提示して見せただけやで」


 メスたちを睨みつけるも、冷ややかに黙したまま視線を合わせようともしない。


「ほなケンちゃん♡ 続きは……あっちの人目につかへん場所でたっぷり愛し合おうなぁ。ここにはうちら以外の邪魔者がぎょーさんおるさかいな」


 ゴンは、ケンちゃんに大事そうに抱き上げられ、奥に設置された小さな小屋へと歩いていく。


「あ、そうや。ケンちゃん♡まるちゃんに別れの挨拶しとき?」


「うん……まるちゃんさんごめんね♡これからゴンさんにいっぱいご奉仕してくるから♡」


「っ!」


「そういうわけや。もし、羨ましかったら声をかけてるんやで。そしたらすこ~~~しくらいケンちゃんを恵んであげます……元王様」


「ぐ……ぐあああああああああ!」


 我は暴れた。


 理性を失い、暴れ狂った。


 ケンちゃんを他者に奪われたことが許せなった。


 初めてケンちゃんと会話出来たのがあんな言葉なんて、納得できなかった。


 胸の奥から湧き出る怒り、悲しみ、焦燥……あらゆる感情を解放するため、目の前で動くものも動かぬものも無差別に破壊の餌食にした。


 手に触れるものすべてを打ち砕いた。


 ガチャ!


『まるちゃん!何を暴れておるじゃ!ほら!大好きな虫のおもちゃですよ~こっちにきて一緒にあそ……あばばばば!痛い!めちゃめちゃに痛い!ラミィ~助けてくれ~』



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