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琥珀色の空に

 ロデリックの部屋には、久々に料理をする匂いが漂っている。

 休日を利用し、アンネリーゼが家庭科の授業で習った料理を振舞いたいと、自宅に帰ってきたのだ。

 アンネリーゼが主菜である肉の煮込みや揚げ物を作っている間に、ロデリックは付け合わせの野菜を下ごしらえしていく。


「随分と手際がいいじゃないか」


 流れるように作業する娘の姿を見て、ロデリックは驚いた。


「うふふ、実は、お父さんに美味しいものを食べてもらいたくて、事前に練習したの。他の子たちに味見もしてもらったから、大丈夫だと思うよ」


 そう言って頬を染めるアンネリーゼの健気さに、ロデリックは胸が一杯になるような感覚を覚えた。

 やがて完成した料理がテーブルに並び、二人の夕餉(ゆうげ)が始まった。


「うん、旨い。今まで食べた、どんな料理よりも旨い。肉も柔らかで、味付けも最高だ」


 ロデリックは、満面の笑みでアンネリーゼの料理に舌鼓を打った。


「お父さんったら、大袈裟じゃない?」


 アンネリーゼが、くすりと笑った。


「だが、片腕で抱っこできるくらい小さかったお前が、こんなことまでできるようになったと思うと、感慨深いよ。もう十五歳だなんて、時間が経つのは早いものだ」


 改めて娘の姿を見ながら、ロデリックは言った。背丈も伸び、顔立ちも大人びて美しくなったアンネリーゼだが、それでも幼い頃の面影は残っている。

 赤ん坊だった彼女を見つけて、自分で面倒を見ようと思った時のこと、世話になっていた集落を離れた時は内心で心細かったこと、「人間」としての生活に適応しようと必死だったこと……あらゆる思い出が、ロデリックの中に甦ってきた。


「小さい頃は当たり前だと思っていたけど、お父さんは一人で私を育てるの、大変だったって気付いたの。……ありがとう、お父さん」


 アンネリーゼの琥珀色をした大きな目が、真っすぐにロデリックを見つめた。


「なに、親というのは、そういうものだろう?」


 心の底から、娘の為に生きるのは当然のことだと思いつつも、ロデリックはアンネリーゼからの感謝の言葉に、報われる思いだった。


「話は変わるけど……」

「何だ?」


 ロデリックは、アンネリーゼの言葉に首を傾げた。


「寄宿舎の部屋で着替えている時に、同室の子から、『背中に花の形をした(あざ)がある』って言われたの。自分では、言われるまで気付かなくて。お父さんは、知ってた?」

「え? ああ、知っていたが、別に、わざわざ言うほどのことでもないと思ってな」


――本当は、アンネリーゼの身元判明に繋がる可能性があると思っていたから、あえて黙っていたのだが……


「そう、よかった」


 アンネリーゼが、小さく息をついた。


「もし……たとえば私が、どこか遠くで死んだりしても、お父さんに遺体の背中を見てもらえば私だって分かってもらえると思って」

「そんな、縁起でもないことを言うな」


 思わず手にしていた匙を握り締め、ロデリックは言った。


「それに、どんな姿になったとしても、俺はお前を見分けることができる。(あざ)などに頼る必要はない」


 アンネリーゼを拾った時に、髪の毛を「捕食」した為、ロデリックは彼女を外見のみではなく匂いといった情報から確実に見分けることが可能だ。しかし、それを差し引いても、ロデリックは娘がどこにいても見つけられると思っている。

 我に返ったロデリックは、アンネリーゼが彼の語気に驚いているのを見て取った。

 

「……まぁ、いいじゃないか、そんなことは。それより、次の休日には、久々に街へ出かけないか? 最近は勉強が忙しいようだが、来年は、いよいよ最上級生だから、もっと忙しくなるだろう? だから、今のうちに……」


 雰囲気を変えようと、ロデリックは外出の提案をしたが、アンネリーゼの返答は思わぬものだった。


「ごめんなさい、お父さん。次の休日は、シャルルとお芝居を見に行く約束をしているの」

「……そうか」


 ロデリックは平静を装っていたものの、その心は大きく波立っていた。


「彼と、二人でか?」

「うん。でも、寄宿舎の門限があるから、夕方には帰るわ」


 駄目だ、と反射的に言いそうになった自分を抑え、ロデリックは、どうするべきか考えた。

 以後は当たり障りのない話をしながら食事を終えた二人は、一緒に後片付けをした。

 そろそろ帰らなければならない時間だと、家を出ようとするアンネリーゼを、ロデリックは呼び止めた。

 

「次の休みに出かける時に使いなさい。何か、旨いものでも食べて来ればいい」


 そう言って、ロデリックはアンネリーゼに幾ばくかの小遣いを渡した。


「わぁ、ありがとう、お父さん」


 無邪気に喜ぶ娘を、ロデリックは複雑な気持ちで見ていた。


――親の権限で、外出に反対するのは簡単だ。だが、それは俺の気持ちの押し付けに過ぎない。それに、相手がシャルルなら心配はないだろう。アンネリーゼが楽しく過ごせれば、それでいいではないか。



 数日が経過し、再び休日が訪れた。

 ロデリックは、かつて森で「捕食」した小鳥に姿を変え、シャルルと連れ立って街へ出るアンネリーゼを見守ることにした。茶色の地味な羽毛に包まれた小鳥は、コティの辺りでも珍しくないもので、目立たないと思われた。

 普段より少しめかし込んだ二人は、洒落(しゃれ)た食堂で昼食を済ませると、目当ての芝居が上演される劇場へと入って行った。

 小鳥の姿をとったロデリックは、芝居が終わる時間まで劇場の出入り口の屋根に留まり、アンネリーゼたちが出てくるのを待った。

 芝居が終わり、劇場から出てくる客たちに交じったアンネリーゼとシャルルは、満足げな表情を見せていた。

 それから、二人は夕方まで街を散策していた。

 シャルルは体力で劣るであろうアンネリーゼに歩調を合わせ、何くれとなく彼女を気遣う様子を見せている。


――シャルルは、アンネリーゼのことを大事にしているのだな。


 ロデリックは安堵したものの、目立つ失点がないシャルルに苛立を覚え、戸惑いを感じていた。


――何も問題がないことが、苛立ちの理由になるとは……自分は、一体どうしてしまったのか。


 日が傾いてくる頃になり、アンネリーゼたちは学院のある方角へ歩き始めた。

 きちんと門限を守るということか――そう思っていたロデリックは、シャルルが歩きながらアンネリーゼの手を取ったのに気付いた。

 アンネリーゼも嫌がる様子はなく、むしろ嬉しそうな顔でシャルルと手を繋いでいる。

 ロデリックは、なぜか、それ以上は二人の姿を見ていられない気持ちになって、一足先に学院へ向かって飛び去った。


――そうか、これが、以前ホセ先生が言っていたことか。子供が大人になるということか……


 アンネリーゼの瞳の色と同じ、琥珀色の空を飛びながら、ロデリックは言いようのない苦しさを感じていた。

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