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二重の目覚め

 茫漠としていた思考が、凄まじい速度で明晰になっていく。

 「彼」は、先刻「人間の男」を「捕食」した時よりも前の記憶を整理し始めた。


 「彼」が目覚めたのは、硝子(ガラス)容器の中だった。

 半固形の粘液――「彼」の姿を形容するなら、その言葉しかなかった。

 光の加減で青みがかって見える黒い粘液の中に、星空を思わせる(きらめ)きが見え隠れする、その姿は、人間の目から見れば異形そのものだろう。

 人間の尺度で言えば一抱えほどもある容器の上部には蓋が()められていた。

 「彼」が伸び上がって容器の内側から蓋を押し上げると、あっけなく蓋は外れた。「彼」は、本能的に容器から外へと這い出た。

 そこは、石とも金属ともつかない、つるりとした質感を持つ壁に囲まれた部屋だった。

 壁と同じような、つるりとした床を、「彼」は流れるように這って移動した。

 どこもかしこも埃にまみれた部屋は、長い期間、放置されていたことが見て取れる。

 光源は、ところどころ崩れた壁の隙間から差し込む陽の光のみだ。

 室内には、「彼」が入っていたのと同じような硝子(ガラス)の容器が幾つも並んでいたが、いずれも破損しており、空っぽだった。

 僅かに開いていた扉の隙間を通り抜け、「彼」は部屋の外へと出た。柔らかく変幻自在な身体であることが幸いと言えた。

 部屋の外には長い通路が続いていたが、「彼」以外の生き物の体温は感じ取れなかった。

 「彼」は先刻と同様に通路の床を流れるように這った。その体内にあるのは「捕食せよ」「生き延びろ」という、本能のごとく刷り込まれた「情報」だけだった。

 通路が途切れ、「彼」は、それまで自分がいた建物から外に出たことを悟った。

 周囲は鬱蒼とした森であり、葉緑素や有機物の匂いがした。

 「彼」は生い茂る草木の間を、ただひたすら這っていった。

 草叢(くさむら)の中を進む「彼」の前に、若干腐臭を漂わせる生き物の死骸が現れた。

 「捕食せよ」――体内に刷り込まれた情報に従い、「彼」は死骸を粘液状の身体で包み込んだ。

 死骸は瞬く間に消化吸収されていく。それと同時に、「彼」の中には朧気(おぼろげ)ながら「思考」が生まれた。

 「彼」は、ぶるりと全身を震わせると、徐々に、その姿を変えていった。

 数秒後、そこに立っていたのは、頭部に二本の角を生やし、しなやかな胴と四本の足を持つ、人間が「鹿」と呼ぶ生き物だった。

 立って歩くようになると、地面を這っていた時よりも視点が高くなり視野が広がる。

 どこへともなく歩いていた「彼」は、嗅ぎ覚えのある匂いを感じた。

 「逃げなければ」と思考したのは、先刻「捕食」した鹿の死骸から受け取った記憶によるものなのか――だが、時既に遅し、「彼」の目の前に、鋭い牙を持つ、見るからに獰猛そうな生き物が現れた。

 人間が「狼」と呼ぶ大きな(けもの)は、「彼」の姿を認めるや否や襲いかかってきた。

 初めての経験に対応が遅れ、組み伏せられた「彼」の喉笛に、狼の牙が突き立てられる。

 元は粘液生物である「彼」は呼吸を必要としない為、この程度の攻撃で死に至ることはない。

 「生き延びろ」――再び、体内に刷り込まれた情報に動かされた「彼」は、「鹿」の姿から元の不定形の粘液へと戻り、狼の全身を包み込んだ。

 鼻や口を粘液で塞がれ、呼吸ができなくなった狼は、「彼」から逃れようと必死に暴れていたものの、やがて力尽き、動かなくなった。

 狼の死骸を消化吸収した「彼」は、その姿を真似た。捕食する側の姿でいたほうが生存に有利であるという、本能的な判断と言えるものだ。

 数十の昼と夜を繰り返すうち、「彼」は鳥や川魚あるいは翼を生やした巨大なトカゲの死骸など、様々な生き物を「捕食」していった。

 自分が「捕食」した生き物の姿に変身し、その能力を使用できることを、「彼」は学習していた。

 ある日のこと、狼の姿をとっていた「彼」は、森が途切れる場所へと出た。

 そこからは草の(まば)らに生えた荒れ地が広がっている。

 ふと「彼」は、荒れ地に見慣れない生き物が転がっているのに気付いた。

 これまで森で見てきた生き物たちとは異なり、頭部には栗色の髪を生やし、衣服を身に着けている。

 「彼」は、その姿に既視感を覚えた。硝子(ガラス)容器の中で眠りに就く前に見た、二足歩行する生き物と、目の前に倒れている生き物は同じ種族に見えた。

 また、これまでに「捕食」してきた生き物の多くの記憶には、この二足歩行生物に対する「恐れ」が刻まれていた。一見、鋭い爪も牙も持っていないが、この生き物は捕食者の頂点に君臨する強者なのかもしれない。

 既に心臓が停止し体温を失い始めている二足歩行生物の傍では、同じ種族の幼体であろう、布に(くる)まれた小さな生き物が鳴き声をあげている。

 「彼」は粘液生物の姿に戻ると、死骸と化している二足歩行生物の身体を包み込んだ。

 衣服や身に着けていた金属などは消化吸収できなかった為、体外へ吐き出した。

 二足歩行生物の死骸を消化吸収するうちに、その記憶が「彼」の中に流れ込んでくる。

 「彼」が受け取った記憶や思考は、今までに「捕食」してきた生き物たちの()()とは一線を画すものだった。

 二足歩行生物――人間の中には、あらゆる知識が宿っていた。

 「彼」は、最初に目覚めた場所が「古代魔法文明の遺跡」であり、自身が「人間」の手で造り出された「魔導生物」らしいと知った。

 この世界には、かつて高度な魔法文化を誇る文明が存在したが、何らかの理由で滅亡し、現在は当時よりも遅れた文明の中で「人間」たちは生活しているらしい。

 それまで茫洋としていた思考が、知識を得たことで整理統合されていく様を、驚きと共に感じていた「彼」は、「人間」の幼体があげる鳴き声で現実に引き戻された。


――人間の幼体……「赤ん坊」というのか。単体では生存が困難なようだ。しかも、さっき「捕食」した人間の記憶によれば、あの人間は、この赤ん坊を殺害する命令を受けていたらしい。だが、目的を達成する前に心臓が止まった……心臓発作とかいうらしいな。


 「彼」は、赤ん坊をどうするべきか思案した。


――放置しておけば、いずれ死亡するだろう。ついでに「捕食」しておくか。


 そう考えた瞬間、「彼」の中に、ひどく不快な感覚が沸き上がった。


――どういうことだ。この赤ん坊を放置したり殺害することを検討しただけで、身体が裏返りそうに不快な感覚が……もしかして、幼体を保護するのは人間の本能なのか……どうすればいいのだ……


 突然、自身の中に湧き上がった、「思考」とは異なる感覚――「感情」に、「彼」は戸惑った。

 この不快感から逃れようと考えた末、「彼」は先刻「捕食」した人間の姿をとった。


――さっき「捕食」した人間は男……人間の数え方で二十八歳といえば成体だな。名はコンラートというのか。


 「捕食」した男の記憶を辿りつつ、「彼」は、消化できないと吐き出してあった衣服を身に着けた。衣服と共に転がっていた一振りの剣も拾って、腰に下げ直す。


――コンラートという男は剣士……傭兵という職業に就いていたようだ。


 真珠色の髪をした赤ん坊が、自分を抱きあげた「彼」を、琥珀色の目で不思議そうに見上げた。

 

――赤ん坊は人間の女が出す「母乳」を与えられなければ生きられない……自分は男の姿にしかなれないから、母乳を与えることができない……まずは、人間の多くいる場所に行く必要がある。


 と、赤ん坊を見ていた「彼」の中に、一つの考えが浮かんだ。


――独り身の男が赤ん坊など連れていると、誘拐だの、あらぬ疑いをかけられる可能性があるらしいな。


 「彼」は、赤ん坊の真珠色の髪を数本むしって、自分の口の中に放り込んだ。

 数秒経つと、栗色だった「彼」の髪は赤ん坊と同じ真珠色になり、瞳の色も琥珀色に変化した。


――外見的特徴に共通点があれば、「親子」に見えるだろう。


 コンラートの記憶を手繰り寄せ、「彼」は人里を目指して走り出した。

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