誰がために蕎麦を作る?
”たがためにそばをつくる?”
「立ち食い蕎麦屋に響く、問いかけの声――誰がために蕎麦を作る?」
小さな蕎麦屋の喧噪の中で交差する、それぞれの想い。
見過ごされがちな日常の裏側に、人は何を抱えているのか。
それは、とある蕎麦屋の話である。
高架下にある小さな蕎麦屋。十数人も入れば満杯となる店内は、私鉄の構内と直結し、形ばかりの衝立一枚で通りと仕切られている。私鉄とJRが乗り入れている駅ならよく見かける、いわゆる立ち食い蕎麦屋である。
私は常連という訳ではないが、月に二三度、時間のない昼食か、二日酔いの朝に寄る。注文するのは、たいていたまご蕎麦。地方によっては月見蕎麦という奴である。蕎麦かうどんかといえば、私は蕎麦である。だがそれは蕎麦というほどの代物ではない。
なにしろ立ち食いである。東京の蕎麦と違って関西のそれは出汁も薄く、麺はいたって柔らかい。たまに東京出張で蕎麦を食べたりするが、どうもあの関東の黒い出汁だけはいただけない。塩分の多い少ないではなく、どうも初手から文化が違うのであろう。
一度など、早朝に立ち食いの暖簾を潜り、「きつね」と言ったら、しっぺ返しのように「うどんか蕎麦か」と聞かれた。(?)と思った私は「だからきつね」と返した。すると店の男は、瞳のない横一本の目を吊りあげて、まるで舌打ちせんばかりに、こう言うのである。
「だからさあ、うどんか蕎麦か?」
そう言う誠に横柄な物言いであった。
もし私が酔っていたら一悶着あったろう。だが幸い私は最悪の宿酔いだった。だから力なく「きつね蕎麦」と素直に返答したのである。
それはさておき、件の蕎麦屋だが、それはちょうどウイークデーの昼時だった。
私は事務所を出て高架下の商店街へ入り、通りに面して置かれた蕎麦屋の自販機へ向かった。だがそこには先客の老人がいた。彼は猫背を丸め、小銭をひとつ入れるたびに止まった。その都度、首だけ上げてじっとメニュー代わりの画面を見ていた。
昨今、街には年配者が多い。やはり何かと所作に時間が掛る。もちろん私もいつか行く道である。よってじっくりと順番を待った。だが老人の選択はいかにも長かった。
老人は小銭を一枚ずつ入れ、都度、画面を見上げては迷っていた。チャリン、またチャリン――。その度に私は、(押せ)と心の中で叫ぶのだが、彼は動かない。私の前で、老人はじっと画面を見つめたまま動かない。焦燥感が静かに膨らんでいく。
例えば若者が、動作の遅い老人に焦れて切れるのは論外だが、今はその気持ちが分からないでもない。そのうち私の後ろにも人が立つ。だが老人はがんとして動かなかった。
それから五分は経っただろう。ようやく老人は腰を曲げてチケットを取り、後ろに並ぶ者には目もくれず店内へ消えた。遅れて私もチケットを買って店へ入り、「蕎麦」と一言カウンターの奥へ声を上げた。この店はこれで済むのである。
なにしろ自販機で買ったチケットには、「蕎麦・うどん」と2つが併記されている。そしてそこに追加の品名が出ているので、トッピングのたまごをのせることは、チケットを見れば分かるのである。
あとは立って待つだけ……と自分に言いきかせて、ぼんやりと湯気を眺めていた。
余談だが、私はこの店に内紛があることを知っている。人が3人寄れば派閥ができ、軋轢が生じる。だが蕎麦屋のそれには正直驚いた。この店では頭に布巾を被り、重厚な割烹着と長靴を身に纏った女性軍団が、互いの持ち場を守る。
お湯の滾る釜と出汁を入れたずん胴、その左右に麺とトッピングの数々が所狭しと鎮座まします。その前に船頭役が立つ。その横で注文を聞く役、またトッピングを電子レンジで誂える役、そして後ろの流しで下げた食器を洗う役。それに店の奥で、持ち帰りを売る役もいるのである。
お昼時になると軍団は5名を数える。従業員3人でも、内実は派閥に分かれることも珍しくない。よってこの店も例外ではないということを、ある朝の立ち食いで知った。
「昨日、課長がさあ……」
そんな会話を耳にしたのは、二日酔いで自宅の朝食が取れず、出勤前に立ち寄ったときのことである。私も会社を変わって、まだ間がない頃だった。店に入って「蕎麦」と一言いって、出来上がりを待っていた私は、自ずとカウンターの中の会話が耳に入ってきた。
そこにはいつもの恰好をした店員がいたが、なぜかその日は2人だけだった。
「私がさあ、丼をちょっとそこへ置いたら、客の前でもうぎゃあぎゃあさ――」
「そうそう、あの課長、いつもそやねん――」
二人は、まるで私が木偶坊の人形であるかのように、その存在を無視していた。
注文の品が出来上がり、一人が「たまご蕎麦、どうぞ」といって、丼を私に差しだすと、またすぐに2人は話を始めた。それは私が食べ終わるまで切れ目なく続いた。
最後は「ごちそうさん――」と、かけた私の声が空しく駅の構内へ消えていった。
その2人の様子は普段のお昼時とは違った。カウンターが一杯で自販機の前に人が並ぶと、もはや戦争であり、釜の前にはアマゾネス戦士を彷彿とさせる女性が立って仕切る。そのお手並みたるや、ちょっとした職人技で、手八丁口八丁で注文を捌いていく。
ただ、どこか独りよがりにも見えた。もちろん商売は儲けてなんぼの世界である。だから悠長なことは言ってられない。ただ見ていて、どこか興醒めがしたのを覚えている。
その日も忙しかった。だがお湯の釜の前に立つのはアマゾネスではなく、この日は小柄なおばさんが仕切り役の船頭だった。いつものように来店した客からチケットを受けた者が声を上げる。それを受けた船頭が、「スタミナ、蕎麦で一杯――」と、オウム返し。
おもむろに麺を手にすると、滾ったお湯へ落とす。返す手で、カウンターに伏せたプラスチックの丼の山からひとつ取ると、右手に持ったおたまでお湯を丼へ掛ける。要は器をお湯で暖める。これを二三度繰り返すのだが、冬場であればあと何度が繰りかえす。
こうして麺と丼を同時に暖めると、あとは麺を網ですくい、丼へ入れて、違うおたまで出汁を掛ける。そしてスタミナの注文であれば、トッピングとしてワカメ・肉・天ぷら、そして生卵とネギをすばやくのせると、おもむろにこれを客の前に出すのである。
しばらくすると、私の前にはたまご蕎麦がきた。それを私は、ゴックンと喉を鳴らしながら箸を取り、最初のひとくち――、出汁を啜ろうとした、その時だった。
「俺はきつねを頼んだ。なんできざみや――」
と、男が叫んだ。
私はその声を頭の隅で聞きながら、おそらく声の質からして年配者であろうと踏んだ。なぜならその物言い、どこか世を儚んだようなに聞こえたのある。
「私は――、私はチケットを見て、出したのに……」
若くはないおばさん船頭の声が店の中に響く。
ただ語尾が消えて、どこか怯えている。
聞くとはなしに聞いていた私も、事の展開に注目せざるを得なくなった。
「俺はいつも、きつね蕎麦しか頼まん。毎日のことや、間違えようない――」
今度は少し張りのある声が出た。
私は首を上げて、居並ぶ人の頭越しに声の主を探った。
見れば、それは自販機の前で粘っていた、あの老人であった。ヌーボーとして立つ、彼の皺だらけの顔には、それこそ何かを訴えかけるような影が浮かんでいた。
「だから出す前に確認しい、って言うとう。チケットは、どこにあんの?」
それまで奥で、持ち帰りの客の相手していたアマゾネスが、かなり離れた位置から声を放った。それと同時に、彼女の体が私の前のカウンターの中を移動していった。
「そんなん、もう捨てました、課長……」
そう言って釜の前に立つ船頭は、今にも泣きだしそうな声を出した。
(へえ、あの人が課長なんや……)
私は感心して蕎麦を食う手を止めた。アマゾネスは狭い調理場で腰に手をやり船頭を見下ろす。蕎麦やうどんを啜る連中も、手や口はそのままに上半身だけを起こす。
言われた船頭は、慌てて隅に置いたゴミ箱をかきまわすが、見つかる訳はない。混ざりあった無数のチケットは、秩序を失った残骸よろしく、老人のチケットを見分けることなど出来ない。それでも探す姿は、怯えているとしか思えない卑屈な動きだった。
その間に件の老人は何も食べず、金ももらわずに店を去った。アマゾネスは焦った。
「あんた、何やっとんの――、お客さん、帰ってしもたやない――」
それを聞いた船頭は、近くにある小銭入れであろう、古いカンカンに手を突っこむと、すばやく小銭を数え、それをしっかり手に握る。そして小走りに店の奥へ行ってカウンターを潜ると、老人の姿を探しながら、高架下の奥の方へ走っていったのである。
「私は、ちゃんと見て出したのに……」
そう言う彼女の声が、喧噪な店の中を流れていった。
その時私は、船頭を見送るアマゾネスの眉間に皺を見た。その課長の眉間に刻まれた皺は深く、まるで長年の疲労が滲んでいるようでもあった。彼女もまた、この店で何かを抱えているのかもしれない。
蕎麦屋の様子を思いかえせば、誰が悪いとは決して断じられない。ただひとつ言えるのは、誰のために蕎麦を作るのかという根本が、どこかで忘れられているのではないか。組織の中で、誰のために働くのかを見失うことは、恐ろしく致命的なことになるであろう。
ただ、いま私が思うのは、あの暖かい蕎麦を守りつづけて欲しいということである。
(了)