妹からの手紙
次の日、いつものように執務室に向かっても王子様の姿は見当たらなかった。どうやらあの騒動でいつもの事務的な作業が出来ないほど慌ただしいようだ。
彼はこうなるのが目に見えていたから、私の予知夢をダグラスさんとロジャーさんに託したのだろう。しかし、私はまだ予知夢を見ることはなく、次の日もまたその次の日も、2人には見てないと一言告げるだけで終わっていた。
◇◇◇◇◇
「アン、貴女当てにさっき手紙が届いたわよ。ちょうどその時私がいたから受け取ったの。あ、勿論中身は見てないから安心して!!」
「ルナがそんなことするなんて疑ってないわよ。それに封が切れているか見たら一発でバレるじゃない」
「それはそうね。でもアンが信頼してくれて嬉しいわ」
「勿論ルナの信頼しているわ。手紙届けてくれてありがとう」
ここに来て初めての手紙。まさかこんなタイミングで手紙が届くだなんて思いもしなかったが、家族から手紙が届き、正直に言って戸惑っている。少し前に直接会ったというのに、何故手紙が届いたのか不思議でたまらない。
「アナスタシア・ローズ・ヴァーンズ様へ……ってこの文字は……」
想定外の文字の形に驚き慌てて裏側に書かれた差出人の名前を見ると、そこにはロゼリア・ルイーズ・ヴァーンズと妹の名前が書かれていたのである。
てっきり遠く離れている母かエラから送られたものだと思ったので、近くにいるロゼリアからであるのが意外だった。
でもそれと同時に嫌な予感がして背筋が少し寒くなる。きっと領地のことに違いないのだ。何かすでに事件などが起きていなければ良いのだが……。
封を切るのは少し怖いが、開けざるをえないので、少し時間をかけてゆっくりと封を切った。そして手紙をゆっくりと開き読み始める。
『アナスタシア・ローズ・ヴァーンズ様
先日は台風が来ておりましたが、お加減はいかがでしょうか……なんて柄でもないことを書きました。
最後に手紙を書いたのはお祖母様が亡くなる直前ともう10年も前ですし、そもそもお姉様には書くことが初めてとどのように書けば良いのか分かりませんので、手っ取り早く用件を伝えますね。
きっと何を伝えたいか分かっているとは思いますが、領地のことです。
今のところ調べたことをこの手紙で報告しよう……と思いましたが、実は別の件でも報告したいことがあります。
そしてそれは是非ともお姉様にお会いして直接伝えたいのです。
勿論お姉様が忙しいのは百も承知ですが、1時間ほどで良いので、お会いしたいです。
場所は王城から近い「ルポ」というチーズケーキが美味しいカフェがありますので、もしよろしければそこでお会いしませんか?
勿論他の場所が良いのであればお姉様に合わせますので、ご遠慮なく場所を指定ください。
私は基本的に夕方6時以降、勿論日曜日はいつでも大丈夫です。
お返事待ってます。
ロゼリア・ルイーズ・ヴァーンズ』
なんだろう……普段絶対こんな風に話しかけないのに、手紙ではやけに上品に書くのだから思わず笑ってしまう。きっとどのように書くか迷いに迷ってこうなったのだろうと想像すると、ロゼリアが可愛く思えて更に微笑ましくなった。
しかし……手紙の内容は領地のことかと思うと腑に落ちるものの、やはり焦燥に駆られてしまった。
だけど気になるのはそれだけでない。一体もう1つの伝えたいこととは何なのか? 手紙では伝えられないことだと思うと、こちらも不安でたまらない。
かと言ってここまで書かれたら会わないわけにもいかないので、早速手紙を出すことにしよう。
でもその前にいくつか確認をしないと。
「ねぇルナ、夜の7時に外出るのはギリセーフかしら? 帰る時間は9時ぐらいの予定だけど」
「う〜ん、ギリ許容なような駄目なような……」
「流石にそれ以上は不味いか……」
「え、まさか深夜の12時とかに帰ってくるつもり? そんなの絶対に駄目!! 夜なんか女性1人で出歩くなんて厳禁だわ」
「まあ大丈夫よ、9時には帰るようにするから」
「だーめ!!」
ルナが凄い勢いでこっちに向かってくるものだから、その気迫に押されて身動きが出来なかった。そこまで怒気を露わにしなくても良いのに。
「そもそも少し前に台風に会って夜に帰って来れなかったのに……あの時凄く心配したんだからね。またあの不安を私に体験させてるつもり?」
ルナが良い子過ぎる……ここまで言われたら何も言い返せない。ここは素直に従った方が良さそうだ。
少しでも早いほうが良いから、本当は明後日の夜に会いたかったのだけど……やっぱりここは領地と違って夜は危険なのね。領地では別に夜出歩いたところで危険な目に遭わなかったから何にも心配しなかったらけれど、やはりここは人が多い分色々あるのかもしれない。
「分かった。5日後の日曜日の昼に会うことにするわ」
「それが1番良いと思う。もしアンに何かあったら私は泣くよ。それに殿下も悲しむだろうし」
「何でそこでアレクシス様が出てくるの?」
「だって殿下は誰よりも周りのことを気にかけているもの。本当に些細なことでもすぐに気づくし、何かあったすぐに周りを助けを求めて解決しようとするからね」
王子様は本当に誰よりも相手を思いやれる人だと思う。でなければあそこまで信頼されないだろう。
私にもやけに優しいのだけど。でもなんか積極的にアプローチされて戸惑っているというか……いやあれは単なる一時の気まぐれよ。そうに決まってるわ……。
「アン、どうかした? 少し目が泳いでいるけど……」
「何でもないわよ」
「そう? まあそれは置いておくとして、とにかくアンは殿下のお気に入りでもあるのだから、尚更気をつけないとね」
「別にお気に入りとかそんなんじゃないって」
「いやお気に入りじゃなかったら絶対に名前なんて呼ばせないって……王子は一人だからみんな普通は殿下と呼ぶし、それにアンの性格上絶対に頼まれないとそういう呼び方にならないでしょ」
「もう分かったわよ」
駄目だ……ルナに何を言っても勝てる気がしない。これなら素直に受け入れた方が早い。長く王子様と関わりのあるミナさんが、彼を名前呼びを今まで聞いたことがないというのだから、私は間違いなくお気に入りなのは間違いないし。
とにかくもうこの話題は終わりにして、次の質問に移ろう。
「ルナ、ルポというカフェ知ってる? 王城から近いみたいなんだけど」
「えーさっきの話はもう終わりなの? 折角ここから恋バナ展開をしようと思ったのに」
相変わらずルナの恋バナや噂話好きは健在のようだ。なんかやけに力が入っているなと思ったら、そんな思惑があったとは……話題を変えて正解だった。
「まあでも今度はカフェの話ね。勿論知っているわ。私はこう見えてもカフェ巡りは好きなのよ。ルポはねやはりチーズケーキが最高よ。特に焼きチーズケーキは、上のカリッとした部分と下の滑らかな部分が絶妙に舌を刺激して美味しいのよね」
「行ったことがあるのね。それならば申し訳ないのだけど、簡単な地図でも書いてくれない? 実はそこで会いたいと言われて」
「あー手紙の相手とデートするのね。アンって彼氏いたんだ」
ルナの食レポのお陰でなおそのカフェに行きたい気持ちは膨らんだが、何だか相手を間違えられているのは訂正しないと不味い。結局話を戻されてしまったし。早くこのニヤニヤをどうにかしないと。
「私に彼氏はいないわ。妹よ」
「なんだ彼氏じゃないのか。ようやくお互いに彼氏のことを語り合えると思ったのに残念だわ」
「ルナって彼氏いたのね」
「ええ、2年付き合っている彼氏がいるのよ。彼は文官なんだけどね」
「え、相手文官なの? てっきり前は騎士について熱弁したから騎士の誰かと付き合っているのかと思ったのだけど……」
「あぁ〜騎士団四天王はアイドルをみたいなもので、それを見守るファンみたいな感じよ。恋愛なんて微塵もないない」
ルナは右手と首を大きく振って完全にそのことを否定していた。流石にその発言は軽率だったかと謝ろうとした途端、彼女は語り始めたのである。
「アン、良い? そもそもね、騎士の多くは貴族なのよ。やはり騎士輩出の家門も多いし、そもそも活躍したら貴族にもなりやすいからか平民は少なくて、平民はね2割もいないわ」
「貴族が多いとは聞いていたけど、そんなにも割合を占めてるだなんて知らなかったわ」
「そうなのよ。それに比べて文官は半分以上が平民なの」
「そんなに多いの?」
「うん。だから騎士狙いをするとかなり競争率が高くなるわけ。私はその勝負に勝てる気がしないわ。その分文官は低い競争率の中で多くの中から選べるから狙い目なのよ」
そんな理由で文官を選んでいたとは……ルナならガンガン押して行くだろうし、鉄の女と呼ばれていた私とは違って愛嬌もあって可愛い顔もしているから付き合いたい人がいたら普通に付き合えそうだけどな。ルナは意外と堅実派らしい。
「でも別に誰でも良いってわけじゃないからね。彼はイケメンだし、何よりもおっとりとしていて優しいの。勿論仕事も出来るし、ちゃんと好きよ。雰囲気はブラウン様に似ているかな? 私とは正反対の感じだけどそれが逆に居心地が良いというか……」
不思議に思っていたことが顔を出ていたのか、ルナは必死に彼の魅力を語り始めた。どうやらちゃんと彼のことは好きなようだ。
こういう話は聞いたことがないためどのように反応するべきなのか分からなかったが、それでもその惚気話を聞いているうちに微笑ましくなり楽しく感じられた。15分ほど彼のことを語りルナも満足した模様……と思ったらそれだけではまだ満足しなかったようで、次のように私に質問を投げかけてきたのだ。
「アンは今まで彼氏とかいた? いたら話聞きたい!!」