初めての王宮での勤務
準備を整え、王宮侍女として働く前日の昼に母とエラと別れて、夕方にこの領地から旅だった。働くのは明日の朝からだが、初日から遅刻するわけにはいかないため、今日は王都の宿に泊まって一夜を過ごした。実は緊張していて、寝付けないのではないかと不安になったが、疲れが溜まっていたせいか、すぐに寝付くことが出来たのだった。
そして、翌日の朝。私は泊まる場所は違えども、カーテンを開けて体を起こす。そして、夢のことについて毎日確認するのだ。今日はモノクロで何も問題が無かったことに安堵して、そのまま宿を出て王宮に向かった。
ここから王宮からまでは、歩いて約30分。1番近いところならば、歩いて5分ぐらいのところに宿はあるが、そこはかなり宿代が高いため、王宮と離れた宿に泊まって安い宿に泊まっていた。
この時間帯からお店も開くので、途中で見つけた美味しそうなパンを買って朝食を済ませる。他にも買いはしないものの、様々な商品を眺めながら楽しく歩いていた。王城が近づくに連れて、楽しさと緊張が入り交じってどんどん複雑な感情になっていく。
そんな中で30分かけて着いた王城は、前の舞踏会で見たのにも関わらず、やはり立派だと感心をせざるを得なかった。このまま眺めていたいと思うものの、早く勤め先に行かなくてはと、気を引き締めて裏側の門から王城に向かったのだった。
裏門に到着すると、1人の侍女が私を温かく迎え入れてくれた。とても素敵な笑顔で挨拶をしてくれる。
「初めまして、ヴァーンズさん。私はウェレミナ・ケイト・スタンリーです。是非ミナと呼んでください。あと先輩だから少しでも気になったことがあったら遠慮なく聞いてくださいね」
とてもフランクに話しかけられて驚いた。男爵家に初めて勤める時には、自己紹介もされずに冷たい態度を取られていたのでそれが普通だと思っていたが、そうでもないようだ。
またスタンリー家と言えば、王族の遠縁だとも言われる由緒正しき伯爵家だ。そんな人が私を指導する方であることに恐れ多くて恐縮してしまう。
「お初めにかかります。私は、元ヴァーンズ子爵のジョージ・リー・ヴァーンズの養子である、アナスタシア・ローズ・ヴァーンズと申します。ミナ様、どうぞご指導のほどよろしくお願い致します」
失礼のないようにしっかりと丁寧な言葉で、礼儀正しくお辞儀をしたものの、彼女はそれが不満だったようで、頬を膨らませている。
「もう、そんな硬くならないでください。私は貴女と仲良くなりたいのですから。今後は様付けは禁止です。あと、私も名前で呼びたいですわ。ヴァーンズさんは、なんと言う愛称で呼ばれておりますの?」
「え? 特にありませんが……」
「なら、アンナと呼ばせていただいても良いですか?」
「ええ、別に構いませんけど」
「なら、アンナ。まずは服を着替えに行きましょう!!」
私はミナに手を取られて、そのまま付いて行く形で、あっという間に王城の中に入り、そしてメイド服に着替えさせられたのだ。服は至ってシンプルで、動きやすい長めの服だった。
「ここ暫くは私がアンナに指導しますから、付いてきてくださいね」
「はい」
この時までは、どのようなことをするのか分からず、どれほど大変なのだろうかと懸念していたが、実際にやることは主にベッドメイキングや給仕と基礎的なものばかりで、掃除や洗濯を行わない分、寧ろ楽なぐらいだった。男爵家で働いた時の半分ぐらいの量で驚いてしまう。逆にもっとしなくても良いのかと不安になるほどだった。
しかし、その一方でミナからはずっと褒められてばっかだった。どれも素早くて丁寧だとベタ褒めである。正直、これは普段からこのスピードで正確性を求められていたため、そこまで褒めることではないのにと、心の中では思っていた。
そんな中、今日最後のお仕事がお茶を淹れることだった。これも男爵家でも当たり前のようにやっていたこと。そのため、いつものように入れると、今日1番の明るい声で歓喜を上げていた。
「アンナのお茶、とっても美味しいわ。メリサといい勝負ね。あ、メリサっていうのは、私を幼い頃から面倒を見てくれた侍女よ。彼女も大変お茶を淹れるのが上手なの」
そっか、ミナは伯爵家の令嬢だから、ずっと傍にいた侍女がいたのか。私の生まれは男爵家であるがゆえに、自分付きの侍女なんていなかったから、ミナはやはり良いところのお嬢様なのだと思い知らされる。
それと同時に、優秀であろうミナの侍女と肩を並べるほど美味しいと言われて、驚きも隠せない。私は別にお茶淹れが下手だと思ったことはないが、ロゼリアが淹れたお茶はそれ以上に大変美味しかったため、上手いと思ったことはなかった。
今まで男爵家では1番仕事が出来ると思っていたものの、王宮侍女では通用しないのではという不安が拭われることは、今日まで決してなかった。しかし、ミナが大げさに褒めているとしても、怒られることなく認めて貰えているのではあれば、きっとここで働くだけのスキルはあるのだと少し自信を持てる気がして、自然と笑顔になっていた。
「ようやく笑いましたね。その姿の方がずっと可愛いわ。女の子は笑顔が1番ですもの。」
「そう言えば笑ったのは初めてかも……。でも女の子って言う年ではありませんから」
「何を仰いますの。10代はまだ乙女ですわよ」
「残念ながらもう私は20歳ですわ」
「…………何を仰いますの。女はいつでも乙女ですわ。」
やはり、私がもう10代ではないことは信じられないのだろう。なんせ王宮侍女は、15歳〜18歳ぐらいの間で雇用がスタートする。まず20代から雇用をスタートするなんてないのだ。そう考えると、私の採用はかなり異例だった。そもそも舞踏会の招待状が届いたのは、適齢期であるエラが主な対象であって、私とロゼリアはついでだっただろう。そこの時点から、変わっていたのかもしれない。
それにしても、私が職場で笑ったのはきっと今回が初めてだ。こんな明るい気分になれるなんて思いもしなかったから、まだハッキリとした実感は湧いてこなかった。
「では、アンナ。最後の職場に行きましょう」
時間的にもう最後だと思っていたため、その言葉には少し戸惑いつつも、ミナに付いていく。彼女はティーセットを持ってある扉をノックした。
「殿下、ウェレミナです。失礼しますね」
彼女は明るい声を保ちながらも、少し態度を改めたように背筋をピンと立てて中に入った。私は殿下という言葉に反応しながらも、続いて失礼致しますと言いながら中に入る。
「ミナ、そしてヴァーンズ嬢もいらっしゃい」
目の前にいるのは、爽やかな笑顔を浮かべる王子様だ。その素敵な姿に胸の鼓動が一気に高まってしまうが、そんなことがバレたら困るため、必死に冷静を装った。
それにしても、まさかこんな直接的に会うとは思わなかったので、どういうリアクションをしたらいいのか分からず困ってしまう。そのことに気づいたのか、ミナから口を開き始めた。
「今日1日アンナの指導をしましたが、私からは何も言うこともないほどの働きっぷりでしたわ。こんな素敵な方が来てくれて私も嬉しいです」
王子様に掛けた言葉が、まさかの私への褒め言葉である。
そんなに褒められると更に私がどのようなに反応して良いかが分からないので、まさに火に油を注がれた気分になった。しかし、その褒め言葉はまだ止むことはないのである。
「あと先ほどアンナのお茶も飲みましたが、大変美味しかったのですよ。アンナ、今お茶を淹れてくださいますか?」
「えぇ……はい」
私はハードルを上げられた上で、殿下に対してお茶を淹れることになってしまったのだ。ハードルが上がったことで、不味いと思われなければ良いのだけど……。
「殿下、どうぞお召し上がりください」
「ありがとう………………あぁ、美味しい」
殿下の表情は先ほどよりも柔らかな表情になった。どうやらお気に召したようで何よりである。
「ヴァーンズ嬢が来てくれて助かったよ。2週間前に産休に入った人がいたから、新しい人を探していたんだ。これから毎日よろしくね」
「毎日……ということは、殿下の周りで勤務…………私、新入りなのに大丈夫なのでしょうか? 長く勤めていらっしゃる方のほうがよろしいのでは?」
「いや、長く勤めている人は他の仕事で忙しいし、私がけっこう時間に細かい仕事していることもあるから、侍女という仕事を熟している方に来てくれた方が助かるんだ。だから、ヴァーンズ嬢は適任ってわけ」
「…………そういうことでしたか。それならば、精一杯勤めさせていただきます」
まさかこんなにスンナリと決まったのには、こういった背景があるだなんて想像もしなかった。それでも、やはり王子様の身近で勤めるのは、やはり少し肩の荷が重いものだ。
まあ、産休の代わりだからすぐに辞めることになるだろうけど、王宮侍女として勤めた肩書があれば、何処でも雇ってくれるだろうし、そこに関しては何も心配することはない。
しかし、上司であるミナは親しみやすい方で、困ることもなさそうだ。
これからの侍女生活は、間違いなく新たな変化が訪れるものだと確信した。