#8 無力な能力
静かになった扉の前で息を整える。異形の化け物、キメラの襲撃をなんとか切り抜けた安堵感はあったが、これから先のことを考えると、手を取り合って喜ぶような気分にはなれなかった。その思いは、強張った表情を見せる二人、サイコとタカシも恐らく同じだろう。
しばらくして、やっと落ち着いた俺たちは階段をのぼり二階にあがった。二階のフロアは、上がってすぐ目の前に広いスペースがあり、そこにカウンターとその奥にいくつかのデスクや書類棚、備品棚が並んでいた。
カウンターの上には、ナースセンターと書かれた札が置かれている。どうやらここはナースセンターのスペースのようだ。そのナースセンターを挟んで両脇に廊下があり、廊下の先に病室と思われる部屋がいくつも並んでいる。さらにその奥に階段らしきものが確認できる。
慎重に周囲の様子をうかがうが、人の気配もゾンビの気配もなかった。下で襲ってきたキメラの気配が消えた今、あたりは不気味に静まり返っていた。
「ふー。とりあえず、やばそうなのはいないみたいだな」
銃を手にしたサイコがつぶやき、俺たちも安堵の息を吐く。
「なにしろ弾数が残り5発だからな」
手にした銃を確認するサイコ。さらに腕のアームギアを見ながら続ける。
「次に弾丸がフル装填されるまで、23分か……」
サイコの言葉を聞き、タカシも自分のアームギアでスキルである爆弾の確認をする。
「俺は後10分ぐらいで使えるようになる」
俺も二人につられたように自分のアームギアに目をやる。
──って何を確認してるんだ俺は?
アームギアに表示されている「SSRの釣り竿/無制限」の文字を見て、つい自嘲気味な言葉が浮かぶ。安全を確保した時点で戦力の確認は重要だ。だが今、俺のアームギアに表示されているこの能力は戦力なのだろうか。
サイコのハンドガンの弾数は残り僅か、タカシの爆弾も使えないこの状況。心細さと共に自分に付与されたスキルに無力感を覚えずにはいられなかった。
スキルのチェックを終えた俺たちは、まずナースセンターでエレベーターのカードキー、または何か役立つものがないか調べることにした。
棚にはいくつかの書類ファイルと薬品か何かのパッケージが並ぶ。棚の横には一階の倉庫で見たのと同じプランターがあり、赤や緑の鮮やかな色をした植物が植えられていた。デスクの上にはほとんど物が無く、ぽつんと一台パソコンが置かれていた。
俺がパソコン横のマウスに触れるとモニターが明るくなり図面のようなものが浮かび上がった。目を凝らしてみると、どうやらこの階のフロアーマップのようだ。マップの中央にナースセンターがあり、廊下に沿って10以上の病室が並んでいる。念のため他のフロアーも確認しようとするがフロアーの移動はできなかった。また外部と通信できるかを試してみたが無駄だった。このパソコンはローカルネットワークにしかつながってないようだ。
「おい」
備品棚を調べていたサイコが俺とタカシにミネラルウォーターを投げてよこした。結局役に立ちそうなものはそれくらいだった。
「しょうがねぇ、上へ行くか」
サイコの言葉で俺たちは、病室の並ぶ廊下を進み階段らしきほうへ歩き始める。半分ぐらい過ぎたあたりで、病室の扉につけられた曇りガラスの向こうで何かが動いた。
──!?
身構えるとすぐに、ガタガタと扉がきしみ破られる。現れたのは三体のゾンビだった。ベージュのパジャマのようなものを着ているのは、もとは患者だったのだろうか。低いうめき声をあげながら近づいてくる。
「下がってろ」
そう言ってサイコがすぐに銃を構える。
──くっ!
彼女の動きを見て、俺も腕のアームギアを操作して釣り竿を具現化させた。いざという時、振り回せば足止めぐらいはできるかもしれない。
サイコが両手で狙いをつけ銃を撃つ。ヘッドショット。一番手前の一体が崩れ落ちた。だが後ろの二体はひるむことなく近づいてくる。残りの弾数を考えてのことだろう、サイコは少しずつ下がりながら慎重に狙いを定める。
「うわっ!」
一番後ろにいたタカシが声をあげた。振り向くと別の部屋から、白衣らしきものを着たゾンビが這い出してきた。ゆるゆると腕を突き出しながらこちらに向かってきている。前後を挟まれ逃げ場がなくなってしまった。
──しかたない!
釣り竿を握りしめ俺はタカシの前に出る。そしてそのまま手にした釣り竿を振り下ろした。
ピシャ!
クリーンヒットしたのか、思いのほか大きな音が響いた。生身の人間ならばそれなりの効果はあったかもしれない。ただ相手はゾンビ、痛みは感じないのだろう、やつが怯むことはなかった。
構わず俺は釣り竿を構え直すと、ゾンビの顔を目掛けて、横なぎに竿を繰り出した。見事顔面にヒットする。ぬちゃっと今度は鈍い音がして、やつの右目から眼球らしきものがずれ落ちてきた。しかしそれでもやつの足は止まらなかった。
やっぱりダメか……、みるみるうちに自分の中で戦意が失われていく。
──!?
その時なぜかゾンビが笑ったような気がした。もちろんゾンビに感情などあるはずもなく単なる錯覚で、たまたま垂れた目が角度のせいでそう見えただけなのだろう。だがそれを見た瞬間、頭の中で赤い火花のようなものが散った。
──くそっ、こいつバカにしやがって
再度釣り竿を大きく振りかぶる。やつはもう目と鼻の先だ。ゆらゆらと揺れる二本の腕が俺の胸元に迫っている。それでも俺は下がらず、間近に迫ったゾンビ目掛け釣り竿を振り下ろした。
その瞬間、ダンと短い銃声がすぐ後ろから聞こえ、同時にゾンビの顔面に銃弾がめり込んでいくのが見えた。その衝撃でゾンビは後ろに転倒し、それきり動かなくなった。
振り向くと、すぐ後ろに両手で銃を構えたサイコが立っていた。彼女のすぐ後ろにはタカシ、その奥に三体の倒れたゾンビが転がっている。竿を振ることに夢中で気づかなかったが、彼女は残りのゾンビも片づけていたようだった。
「大丈夫か?」
「ああ……」
サイコの呼びかけに、荒く息をしながら返事を返す。返事をした後も釣り竿を強く握りしめたままの俺を見てサイコが言葉を続ける。
「おいニキ、あんまり無茶すんなよ、そんな釣り竿で」
一瞬、何か言い返そうとするが、すぐに口をつぐんだ。彼女は心配して言っただけなのだ、そう思うと返すべき言葉が見つからなかった。
「でも、ありがとう」
青ざめた顔のまま立ち尽くす俺に、心配そうな顔をしてタカシが言った。その言葉に少しだけ救われた思いがした。
「……」
俺は黙ったまま、アームギアを操作して、スキルを解除し釣り竿をしまった。
倒れているゾンビに触れないようにしながら、廊下の奥を進んでいくサイコとタカシ。俺はやるせない思いで二人の背中を追った。
次回更新、02/08(木) 18:00予定