#5 恐怖との遭遇
扉を開けた先には大きな部屋、というか空間が広がっていた。病院……だろうか、壁際には受付と思われるカウンターがあり、中央には長椅子がいくつも並んだ待合コーナー、その横には上階へ通じる大きな階段、さらに奥には売店のようなスペースとその先にエレベーターが並んでいた。
先ほどの倉庫のような部屋よりも明るいが、照明が煌々と照らすにはほど遠くどこか寒々しい。人の影もなく静まり返り、不気味な感じだ。
「出口があるぞ」
サイコの指さす方に大きく丈夫そうな両開きの扉が見えた。その扉の両側はガラス壁になっている。しかし目線の高さぐらいまでスモークが張られ外の様子は見えなかった。ただ灰色の空からこぼれる薄明かりが、室内に差し込んでいるだけだった。
扉に駆け寄り確認すると鍵がかかっているが、解錠するための丸い突起があり、回せばこちら側から普通に開けられそうだ。この扉から外に出られるのか?それならあっさりゲーム終了なんだが……。サイコがツマミを回すとカチリと音がしてすんなり開錠した。
彼女が一度こちらを見る。俺とタカシが頷くのを見てからゆっくりとドアを開けた。
久々に感じる外の空気と風の気配。しかし安堵する間もなく俺たちの目には驚愕の景色が飛び込んできた。
病院の前には車寄せと駐車場があり、その先のフェンスを隔て商店街のような街並みが広がっている。しかし駐車場も街並みも、まるで暴動でも起きたかのように荒んでいた。
駐車場や通りのあちこちに車が放置され、その一部は横転し煙を上げている。通りのアスファルトには、空き缶や段ボール、ひしゃげた自転車などが散乱している。商店街にも人気はなく、ショーウィンドウのガラスは割られ、商品が散乱し、折れ曲がった立て看板が風に揺れていた。
予想外の光景に呆然と立ちすくむ俺たち。
「で、でもこれで建物の外に出た。クリアじゃねえのか?」
ようやくサイコが口を開いた。
「建物だけじゃダメだ。敷地の外に出ないと」
落ち着いた声でタカシが言った。見るとタカシはタイプライターで打ち出されたさっきの紙を手に持っていた。ポケットに忍ばせていたようだ。
敷地の外、ならばあのフェンスを越えればいいのだろうか。距離にして50メートルもない。
「よし、じゃあさっさと抜け出そうぜ」
サイコの言葉を合図に、俺たちは歩き出す。その時、落ちていた空き缶が俺の足にあたった。そいつがカラカラと乾いた音を立てて転がっていく。
その瞬間だった。乗り捨てられた車の影からふらりと人影が現れた。
──人がいる!
いやそれは、人ではなかった。ふらふらと姿を見せたそいつは、血と泥で汚れた緑色の肌をしており、その一部はどす黒くただれ、目は白濁し、口からはどろりとした液体を垂れ流していた。そして嗚咽のような声を上げながら、こちらに向かってゆっくりと近づいてくる。
──ゾンビ!
一体、また一体、気づけば、駐車場の車や救急車の中、フェンスの向こうからも。湧き出したかのように大量のゾンビが出現した。
現実とは思えぬ光景、驚きと恐怖で、体がすくんで動けない。
「お、おい、くるぞ!」
タカシの声に我に返る。最初に現れた一体は、もう数メートル先にいた。サイコが素早く手首のアームギアを操作し、ハンドガンを具現化する。
一瞬ためらうかのように動きを止めた後、引き金を引く。銃弾が地面を叩いた。しかしゾンビに怯む様子は無い。間近に迫るその表情はとても意思の疎通ができる相手とは思えなかった。
続く銃声、今度はゾンビの足を撃ち抜いた。地面に崩れ落ちるゾンビ。しかし動きは止まらない。そのまま這いずった状態でこちらに近づいてくる。
「ちくしょうが」
そういうと、彼女はゾンビの頭に向けて発砲した。二発、三発。続けざまの銃弾を受けて、そいつはやっと動きを止めた。
無理だ、こんなやつらを相手に戦えない。すぐにサイコも弾切れになるだろう。こちらに向かってくる大量のゾンビを前に、絶望的な気持ちになる。走れば数秒と思えるフェンスが遠い。タカシの爆弾ならと、一瞬頭をかすめるが、今はまだ彼のスキルは使えない。
「戻ろう」
俺の力ない声に、サイコが一瞬不満げにこちらを見た。しかし状況を理解したのか、何も言わずについてきた。そのまま駆け込むように病院内へ戻り、扉を閉めた。
病院へ戻り、鍵をかける。すぐにゾンビたちが扉を叩き始めた。ガラス壁をこする音や嗚咽も聞こえてくる。その音を耳にしながら、「もしここを突破されたら」、そう思うと心臓をつかまれるような恐怖を覚えた。
不安げな顔の二人と一緒に扉を見守っていたが、ゾンビたちに扉やガラス壁を壊すほどの力はないようだった。
ようやく安堵の息をはき、床に崩れ落ちる俺たち。
「あれはなんだ? 本物なのか?」
思わず言葉がこぼれる。しかし二人に答えられるわけもなく黙ったままだった。
自分の部屋であの白い光に包まれてから、ずっと悪い夢でも見ているのだろうか? しかし……、あのゾンビたち、やつらが近づいてきた時に間近で見た、ただれて剥がれ落ちそうな皮膚、這いずるたびに地面にこびりついたシミ、さらに鼻についた腐肉のような匂い、とても夢や幻などとは思えなかった。
「現実だというのか、これは……」
俺がつぶやきを繰り返す。
「現実なのかどうか……」
沈黙を破ったのはサイコだった。
「この銃の衝撃は本物だった」
サイコはそう言うと手にした銃を見ながら話を続ける。
「アタシはリアルのサバゲーもやるからね、エアガンがどんなものかもよく知っている。この銃の衝撃はエアガンやおもちゃの銃とは明らかに違った」
そう言うサイコの顔は確信に満ちていた。
そうだ、そうなのだ。サイコの言う通りだ。タカシが倉庫の扉を爆破した時点でわかっていたことだ。だが、あの時はまだどこかで、”ゲーム=遊び”の感覚で、置かれた状況を眺めている自分がいた。
だが今は違う。生々しいゾンビのただれた肌や嗚咽の声、すえた匂いに触れた今は。
腕に巻かれたアームギア、その画面に映るハートマークに目をやる。点滅を繰り返す小さなピンクのマークが、急に生々しく、そしてはかなげなものとして俺の目に映っていた。