#16 有力な能力
視界を失い、荒れ狂うキメラの様相は、まるで研究室を襲う竜巻のようだった。椅子は吹き飛び、実験台の上はひび割れ、薬品や器具が床に散乱する。それでもやつ止まらず、壁に激突した勢いで培養ポッドをなぎ倒すと、さらに隣の部屋との境にあるガラス壁に頭から激突して倒れ込み、やっとその動きを止めた。
室内は惨憺たるありさまだった。散乱した薬品からは何かの化学反応なのか煙がたち、床を這うケーブルは一部が千切れそこから電気の火花があがっている。
動きを止めたキメラは低いうめき声をあげうずくまっていた。あちこちぶつけたせいでかなり流血している。だが見かけの出血こそおびただしいが、致命傷と言うわけではないだろう。ここでタカシの爆弾でも使えれば、とどめをさせるかもしれないが、彼のスキルは使ったばかりだ。
やはり、逃げた方がいいのか…? そんな考えが頭をよぎる。
──いやまだある……
もし遺体安置所で起きたこと、あの奇跡をもう一度起こせれば……、俺は手にしていた消火器を足元に置くと、ゆっくとアームギアに手を伸ばした。
キメラがゆっくりと身を起こす。血に塗れた顔面を歪め、修羅のような形相で俺を睨みつけている。その迷いのない視線、おそらく視界はもとに戻ったのだろう。
やつは一度起き上がった後、身をかがめた。こちらに向かって今にも飛び掛からんばかりだ。
その動きを見て、俺は具現化していた竿を握り直した。そのまましっかりと狙いを定めると、力を込めて釣り竿を振り下ろした。強く念じて。
──頼む!…
直後にやつがとびかかってきた。大きく口を広げ、鋭く尖った牙を露わにした顔がせまりくる。
その瞬間、俺は力一杯釣り竿を引いた。しなる釣り竿、ピンと張る釣り糸。その反動で釣り針にかかっていたものが勢いよく引き寄せられる。
かかっていたのは電源ケーブルだ。火花を散らした電源ケーブルはそのままやつの体に直撃した。
青白い閃光がキメラの体を走り抜けた。強烈な電撃がやつの全身を襲い、その巨体が激しく痙攣する。壊れたおもちゃのように激しく手足を振り回し、視線はあらぬ方向に向けられている。そしてその眼が一瞬大きく見開いたかのように見えた後、急速に光を失い、やがて体が崩れ落ちた。
所々煙をあげるキメラの体。あたりに焦げ臭い匂いが充満する中、動きを止めたそいつの傍らで、電源ケーブルからはまだ断続的に火花が散っていた。
「やったのか?」
そう言ってサイコが恐る恐る近づいていく。彼女が足でキメラを小突くが、その体が動くことは二度となかった。
「やった!」
「すげーな!」
タカシとサイコが興奮した顔で駆け寄ってくる。そんな二人を見てどこか半信半疑だった俺も、やっと安堵の息を吐き実感する。
──倒したんだな……
そして、俺は黙って手にした釣り竿を見つめる。遺体安置所でも感じた、あの感覚。まるで俺の意志をくみ取るかのような釣り竿の反応。この釣り竿は一体……。
「見て、あれ」
タカシが嬉しそうな叫び声をあげる。見ると院長室との境にあったガラスの壁が粉々に砕けていた。キメラが激突した衝撃で破壊されたようだった。
「おいおいまじか? 美味しいとこ全部持っていきやがったな、ニキ!」
俺の背中を叩きながら言うサイコの高揚した声が研究室に響いた。
院長室へ侵入すると、ヘリコプターのカギは机の引き出しですぐに見つけることができた。それを手にすると俺たちは施錠されていた扉の鍵を内側から開けて、廊下に出てエレベーターに向かう。後はヘリコプターに乗り込むだけだ。
エレベーターの到着を待つ。念のためサイコは銃を手にし、俺も釣り竿を握っている。それを見てサイコが言った。
「ニキの釣り竿に感謝だな」
「え?」
「まあなんと言うかそいつがなければ、ここまで来れなかったかもしれないし」
照れくさそうな表情のサイコ。あれ?、そんなキャラだったっけ……。ただ、自分でも最初は恥ずかしくて、具現化するのも躊躇われた釣竿が、今は頼りになる相棒のように思える。
サイコの言葉に対し「三人のチームワークのおかげだよ」そんな言葉が頭をよぎった、がここは少しドヤってもいいか。
「まあ、ただの釣り竿じゃないからな」
「え?」
「これはSSRの釣り竿なんだぜ」
俺の言葉を聞いて、サイコが一瞬驚いたような顔をした。
「はぁ?痛いこと言ってんじゃねーぞ!」とでも返ってくるかと思ったが違った。
「そうか、そうなのか。まあ礼を言っとくよ」
その言葉を聞き、自分の中でなにか心のつかえが少しとれたような気がした。そして礼を言う彼女に対して、ここまで何度も前線で戦ってくれた感謝を俺も伝えようと思った。しかし、出てきたのは別の言葉だった。
「どうしたキャラ変か?」
隣にいたタカシが笑い出した。
「うるせえ!ありがとうはそう思った時に言っとくもんだろ」
流石にサイコも怒り出した。
「なんか死亡フラグ立ちそうだな」
「あぁ?、こっちは真面目に言ってるんだそ」
タカシのツッコミに対してはいつもの彼女に戻っていた。
その時、背後からガタンと音が聞こえた。下階のゾンビたちが階段を上がってきたのだ。それを見て慌てた様子でタカシが声をあげる。
「サイコが変なこと言うからだ!」
「お前なあ…」
サイコが反論しかけた時、やっとエレベーターの扉が開いた。そのまま俺たちは中に乗り込んだ。
屋上へ出る。しかしここにも数体のゾンビがウロウロと徘徊しており、俺たちに気づくと、集まってきた。階段は屋上まで繋がっていたようだ。
「構うな、走ろう!」
そう叫びながら走り出す。滑りこむようにヘリコプターに乗り込みキーを差し込むと、オートパイロットのボタンを押す。ゆっくりと旋回を始め、徐々に勢いをつけていくプロペラ。近づいてきたゾンビが風圧でよろめいている。
やがて、ヘリコプターがふわりと浮き上がる。
「よしゃ、これで終わりだな!」
サイコが叫ぶ。
「これで帰れるんだよね!」
タカシの声にも興奮がにじむ。
確かあの紙に書かれていたのは「敷地外に出ること」だった。空の上はもう敷地外といっていいだろう。眼下には、屋上のゾンビがどんどん小さくなっていくのが見える。俺も安堵の息をもらした。
その時だった……周囲の景色が突然止まった。まるでフリーズしたビデオのように。続いてハレーションを起こしたデジタル映像かのようなノイズが走る。ノイズはそのままブロックノイズとなり周囲を埋め尽くしていく。
「今度はなんだ!」
サイコが声をあげる。
ブロックノイズの空間の中で、動いているのは俺たちだけだった。言葉を失い顔を見合わせる三人。数秒の間をおいて何かが動いた。
──!?
一枚のブロックノイズが剝がれ落ちていった。続いて一枚、また一枚。ブロックノイズが花びらのように舞い落ちていく。剥がれた所に何か別のものが浮かび上がる。見たことがない何かが。
そして、気が付くと俺たちは見知らぬ空間の床の上にしりもちを突くような形で座り込んでいた。
──どこだここは?
窓一つない無機質な空間。壁も床も天井も、ツルツルとしたクリーム色をしている。それぞれが微妙に異なる質感で、しかしそれが何の素材でできているのか、ビニールなのかプラスチックなのか金属なのか判別がつかない。ただ宇宙船の中のような近未来的な雰囲気をまとっていた。
言葉を失い唖然として周囲を見渡す俺たち。その時、壁の一部に音もなく亀裂のような線が走った。線はやがてアーチ状になり、切り取られた壁の一部がゆっくりと動き出す。扉だ、壁の一部がアーチ形の扉となり動いているのだ。
やがて壁の一部がぽっかりと開くと一人の男が姿を現した。何かの制服なのかタイトなシルエットの衣装に身を包み、胸板が厚く、恰幅の良い体格をした男。
その男が近づいてくる。歩くたびに、金属がこすれるような機械的な音が部屋に響いた。義足をつけているのだろうか。その男の足元を一匹の小型犬らしき黒い生物がついてくる。
男が立ち止まり、俺たちを見下ろすと静かな声で言った。
「ようこそ、ゲームワールドへ」