#12 苦あれば薬あり
薄暗い廊下で膝を落としたまま動かないサイコ。
「どうした?」
俺が立ち止まって声を掛けるが、彼女は何も答えずただ荒い息を繰り返していた。先を走っていたタカシも異変に気づき戻ってくる。
「何かあったの?」
しかしサイコは顔をあげず下を向いたままだ。彼女の顔を伝いあぶら汗が廊下に滴り落ちた。
サイコに近づき様子を見ると、彼女は左の手首の辺りを抑えている。俺は手を伸ばして抑えていた彼女の右手をゆっくり払う。あらわになった左手首のあたりにはひっかき傷のような筋が刻まれ、すでに青黒く変色し始めていた。
「お前ゾンビに……」
俺はその先の言葉を飲み込んだ。
「大丈夫だ。いいから先に行け」
苦し気にサイコが言葉を吐きすてる。
「ダメだよ」
「何言ってんだ!」
タカシと俺がすぐに言葉を返す。
サイコは苦し気に息を整えた後、こちらを睨みつけながら言葉を吐き出す。
「いいんだよもう。やりたくもないゲームを無理やりやらされて…、それにそろそろこのゲームにも飽きてきた頃だ。ちょうどよかったんだ」
そう言うと俺にエレベーターのカードキーを投げつけてきた。
「だからってお前、このままじゃ…」
そう言いかけた俺の言葉をサイコが遮る。
「やめやめ、そういうお涙頂戴的なやつは。どうせただのゲームだろこれ、本当に死ぬわけじゃない…だろ?」
そう言うと彼女はその場にうずくまってしまった。
確かにそうかもしれない。死ねばゲームオーバー、バッドエンドを知らせる画面が表示され終了。そしてすぐに、このタチの悪い夢から目が覚め、当たり前のように日常が戻ってくるのかもしれない。
──だが本当にそうだろうか……
改めて自分の心に聞いてみる。この世界にきてから普通じゃないことの連続で、何がリアルなのか、どこからがフィクションなのかよくわからない。そんな状況で正しい判断などできっこない。だからといって今ここで……。
俺はサイコの左手首に巻かれた彼女のアームギアに目をやる。せわしく点滅を繰り返すハートマークは既に1/3が欠け、そしてその色はピンクではなく彼女の腕と同調するかのように青く変色していた。このマークが消えた時、その先には……。
俺もタカシも言葉を発せず、重苦しい沈黙が続く。ただサイコの苦し気な息遣いの音だけが響いていた。
「ただのゲーム…そうかゲームなんだ」
沈黙を破ってタカシがつぶやいた。
「え?」
なにやら確信めいた顔のタカシを見つめる俺。
「ほら言ってたじゃん、ここはバイオ・ゾンビーズのゲームの中なんだろ?、あのゲームでは確か薬草から解毒剤が作れたはずだよ」
──!
そうか、確かに! ここまで来る途中、確か9階に製薬室があった。しかも部屋の前には薬草らしきものが生えたプランターも。
「行こう!、9階だ」
そう言うと俺はうずくまっているサイコを抱え起こしエレベーターの方角へ向かった。エレベーターに乗り込みキーカードを差し込むと、無事操作できるようになった。フロアパネルを押してそのまま9階へ降りていく。
製薬室の前には、赤と緑の薬草がプランターに植えられていた。俺たちはそれらを乱暴に摘み取ると、クリーンルームと書かれたガラス張りの部屋を抜け製薬室へと足を踏み入れた。そこはまるで製薬会社の研究室のように大掛かりな施設で、様々な機械、器具、薬品が所狭しと並んでいた。
サイコを近くに置かれた椅子に座らせ、辺りを見渡した俺とタカシは当惑していた。ここに来ればどうにかなると気安く考えていたのだが、専門的な装備ばかりで何をすればいいのか全くわからなかった。
二人で手分けして何か手掛かりが無いか探し回る。机や作業台を見て回るが、何に使うかもわからない器具や薬品が並んでいるだけだ。書類棚も調べるが専門用語で書かれた書類や本ばかりで理解できない。そもそも半分近くは日本語ですらなかった。
どさりと音がして振り返ると、サイコが椅子からずり落ち、床に伸びていた。あわてて駆け寄り確認する。生気は無く全身の肌が黒みがかり、ほとんど息もしていないかのようだった。俺の呼びかけにも一切応えることはなく、かろうじて開いた目から、焦点の合わないうつろな瞳でこちらを見返すだけだった。
──やばい! このまま死ぬのか? それとも……
「ニキ!」
離れた所からタカシの声が聞こえた。ついにタカシ、お前まで俺のことを「ニキ」と……、だが今はそんなことに構っている場合じゃない。
俺は近くにあった白衣を丸め枕代わりにサイコの頭の下へ差し込むと、タカシの元へ駆けていった。
次回更新、02/15(木) 18:00予定