プロローグ
「さみしいね。」
降る雨に濡れた髪を頭を振り水気を落とすと少女はソレに笑いかけた。
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チャイムが民俗学の講義が終わりを告げ寝ていた生徒達が起き真面目に受けていた子らは早々に教室を出ていく。その中に1人資料をジッと眺める女生徒の姿があった。講師はそんな彼女に目を止めて歩み寄る。珍しく寝ずに、かと言って単位のためと言うだけではなく興味津々といった様子で講義を受けていた彼女に四十余年民俗学を研究していた彼は少なからず好感を持つ。
「何か気になる文献があったかな?」
「いえ、大丈夫です。お気になさらず。」
「………。」
にべも無かった。
講師は軽く曲がった腰に手を当てすごすごと教卓へ戻っていく。彼女には全く悪気はなくただ資料を読むのを邪魔されたくなかっただけで無視する訳にもいかずとりあえずは返事をしただけまだマシと言ったところだ。だが階段を降りるその背中に少し罪悪感があったのか資料と荷物を手に声を掛けた。
「先生、すみません。やっぱりここの資料の事で質問があります。」
「えっ、あぁ。いいよ、どこの事かな。」
「課題には関係ない部分ですが印刷ズレがあって資料の最後の所が読めなくて元の資料は何処にありますか?大分昔の文献ですし、市の図書館でも大学でも見た事無くて。」
「これは私の祖母が遺品にあった巻子本の一部でね、何処かの神様の噺だから細かい所は掠れてて読めなくなって巻子本の資料としてだけ持ってきたはいいんだけど、興味があるなら次の講義の時に全部印刷してくるよ。」
「ありがとうございます、助かります。」
軽く熱の入った説明にも淡々と応えた彼女は会釈をし、軽く足音を立て教室を出ていった。返事が余りにも、余りにもだったもので口をパッカリと開いてしまった講師は我に返りまたすごすごと階段を降りていった。
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「まーたやったの?」
「なにが?」
「それよ、それ!」
学食のラーメンを啜り終え先程の女生徒がもう1人の方を向いた。
「その、〝興味のないもの以外〟に対しての態度よ!」
「普通に興味無いものって言えないの?」
「アンタの場合これが正しいのよ。」
「よくわかんない。」
はぁと溜息をついてラーメンを啜る彼女の横でサンドイッチを食べている女生徒の名前は畑根 夏帆。この何事も淡々としている彼女の唯一と言っていい女の友達だ。
「さっき教室に残ってた子達が言ってたよ、授業中は目がキラキラして熱心に聴いてたのにその講師を冷たくあしらってたって。」
「あの先生は講義の仕方が下手くそ。あれじゃ折角面白い内容でも誰も聞かないで寝るかカンペ作る作業枠位にしかならない。資料のピックアップもなかなか良かったけどね。」
「そんなに興味のあるものだったの?」
「そう!!!!聞いてくれる!!?!?」
「やばっ。」
キラキラとした目と笑みにやってしまったと夏帆は思った。
「この資料見て!あのねこれは昔のある地域に根付く神様について書いてあってね、信仰の儀式の仕方だったり供物の種類だったり色々書いてあってね、なんと言っても生「わかった!ごめん!!本当に!!!許してお願いよ!!」許してって何。」
目の輝きと笑みが一瞬にして失われ夏帆がホッとする。
「ゴメンゴメン!ラーメン伸びちゃうからさその話はまた聞くから…ね?」
「そういう事ね。わかった、私もまだ完全な資料持ってる訳じゃなから、ちゃんとレポートが出来たら話すよ。」
「そうね、楽しみにしてる。本当に神様が好きだよね、花夜子。」
丼を傾けスープまで平らげた女生徒の名前は花夜子。
佐見 花夜子という。所謂オタク、それも激レアの神様オタクというよく分からない属性持ちだ。
「でもその態度は勿体ないよ、花夜子は勉強出来るんだし優しくおおらか?に接しなよ。高校の時に散々な目にあったでしょ?」
「大らかに、に疑問符が付いてる上に説得力がないから却下。」
「勿論花夜子にもメリットあるよ?」
「なに?」
「今日の民俗学の講師は高田 明先生だったよね?」
「多分そんな名前だったと思う。」
「高田先生って〝贄〟の作者と大学同じでしかも同級生だよ。」
「……!?!?…なん…て!?」
「だから贄の作者と同級生だって「どうしてもっと早く教えてくれなかったの?とても悪い対応したよ私、どうして…いや、そもそも私の調査不足。不甲斐ない、不甲斐なさすぎる、どうしよう」おぉう、オタク特有の独り言が凄すぎる。落ち着いて落ち着いて、資料頼んだりしたんでしょ?って事は次の講義では個別に話しかけて貰えるだろうしその時に失礼な態度しましたって謝れ「そうだよね!!大丈夫だよね!!話せるよね!!?」せめて最後まで喋らせて貰えると嬉しいな。」
今度は花夜子がホッと息をついてニコッと夏帆に笑いかけた。
「ありがとう夏帆!」
「笑顔可愛い100点満点!!!花夜子大好き!!」
「そう、私も好きよ。」
「凄い真顔で言われちゃったわ。」
苦笑いしながら夏帆は食べ終わった食器を下げに行った花夜子を見送った。
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実家暮らしの自分の部屋で花夜子は教室で眺めていた資料を鞄から取り出し自分の机の古語辞典を使い読み始めた。
「(供物は米と川魚に塩。儀式は里神楽で人長、所作人、巫女が五人。よくある神社の巫女神楽か。肝心の神様の名前は…)アメダマ様?漢字じゃない…って事は飴玉じゃないかもしれない。早く来週にならないかな。もっと詳しく知りたい。」
ファイル用のクリアポケットにしまい辞書を戻すと丁度母親が晩御飯に呼ぶ声が聞こえたので花夜子は制服を着替え部屋を出ていった。パタンと扉の閉じた部屋は夕陽に照らされ赤かった。