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ありがとうボタン

作者: aqri

 世の中にはいいね、good、など高評価のボタンがよくある。口コミサイト、動画、個人の発信情報など用途は様々だ。コメントなどでなくても押すだけで加点され好意的な評価を簡単に形にできる。

 今、女子高生の間で流行っているのは「ありがとうボタン」だ。長引く新型ウィルスの影響で外出がままならず、ぎすぎすした雰囲気が続きストレスもたまり続ける。ちょっとしたことでトラブルになったり人に当たったり、感謝の気持ちが薄れている、ということで自然と広がったアプリだった。


 やり方は簡単。何か良い事、世の中の為になることをやって写真や動画をそのアプリに投稿する。するとその行為で感謝をしたい人がありがとうボタンを押すのだ。内容は何でもいい。道に落ちていたゴミを捨てた、自転車に乗っていて妊婦さんが歩いていたので自転車を降りて押して通った、普段は捨ててしまう牛乳パックを資源回収箱に入れた。すると道のゴミ捨てはその地域の人が、妊婦さんは他の妊婦の人やお年寄りが、牛乳パックは牛乳製造業の人やリサイクル場の人が、ありがとうボタンを押す。


 その投稿内容に関係ありそうな登録者へ、サイトが自動で「こんなありがとうが生まれました!」と通知される仕組みだ。その行動に感謝をしたいと思ったらボタンを押す、とても単純な仕組み。

そしてありがとうがたくさん集まると良い人、と注目される。自分のSNSも急上昇しフォロワーが増える。あくまで善意の話なので、何か特典がついたりはしない。気分が良いだけだ。それこそが「ありがとう」の本質である。


 このボタンは女子高生の間で流行した。良いことをして有名になれるのなら気分が良い。どんどん良いことをしよう、とボランティア活動を始める者も現れ始めた。中には余計なお世話と捉えられる行き過ぎた内容もあるが、そういう場合はボタンを押さなければいいだけだ。


 結局、こういうのは友達同士やネットで「私のボタン押して!」となれ合いが物を言う。誰が押しているかなんてわからないのだ。お互いに誰かのボタンを押せば簡単に評価が上がる。押した数だけ、倍以上のありがとうが返って来る。


(ねずみ算じゃん)


 花梨は冷めた目でアプリを見ていた。皆がありがとうボタンを崇拝する、その様子が気持ち悪い。そんなことを口にする気はもちろんなく、適当に周りに話を合わせながらたまにボタンを押す。中には「昨日の私のやつ、ボタン押してくれた?」と聞いて来る奴までいるくらいだ。押すかどうかなんて個人の自由なのに、何考えてるんだと心底呆れる。

 心から善意を持ってやっている人は果たして何%なのだろうかと言いたくなる。アホくさ、下心でとりあえず形だけやってるくせに、とため息をつきたい気分だ。


 このボタンの快感にハマってしまうと常にアプリを更新し続ける猛者もいる。その一人がクラスメイトの茂木だ。いかにも今どきの女子高生、という感じの良くも悪くも普通の人。彼女はクラスの中でいち早くこのボタン活用を始め、クラスに浸透させた。

 どうすればボタン数が多く押されるかのアドバイスまでしているほどだ。こういう行動したほうがありがとうボタン押してもらえるよ、なんて。いろいろな人に日常の行動に逐一「アドバイス」をしてくる。そのアドバイスをしたよ、という事さえアプリで更新する。学校だけにとどまらず、近所、地域、様々な場所で色々な活動をしているのだとか。


あー、はいはい。あっそう、だから何?


言われた方はそんな雰囲気を出しながら「へえ」というだけだ。茂木は気づいているのかいないのか、おそらく気づいていないだろうが満足げにその場を後にする。


お前、何様なの?


喉まで出かかるその言葉、皆言わないのは面倒くさいからだ。所詮は赤の他人、かまってやる必要はない。

ちょっとうざいけど、ほっとこう。そんな雰囲気の教室が日常の風景となっていた。


「ねえ、カリンちゃんは何でこのアプリたくさん使わないの?」


ある日茂木から聞かれた。友達でもないのに名前でちゃん付けされることに若干イラっとしながら、表面上は普通に取り繕う。


「使ってるよ、茂木さん程じゃないけど。私は茂木さんみたいにはできないから、不器用で」

「え~、コツたくさんあるのに。私投稿すると30分くらいで2000ありがとうがつくよ? コツ教えてあげるよ」

「いらない」

「……え?」


 本当、教えて!と食いついてくると思っていたのと、断り方が「いらない」と断言だったことに驚いたようだった。普通は、もうちょっと当たり障りない返事をする。それをはっきりと拒絶されて茂木は目を白黒させていた。


「私には必要ないから、いらないよ」

「え、何言って」

「だってそれさ。感謝されるだけなんでしょ?」

「……そうだけど」

「感謝されたからって、誰かに助けてもらえるわけじゃないじゃん。意味あんの? それ」


は、と鼻で笑って言えばようやく馬鹿にされていると気付いた茂木がものすごい剣幕で罵ってきた。どれだけ自分が良い人か、花梨がどれだけ馬鹿でろくでなしで人間の屑で……とにかく頭に血が上った勢いで次から次へとまくし立てる。


「信じらんない! 感謝の気持ちを否定するとか! やっぱ親が一人しかいないとクソ人間になるんだね!? クソ親にクソみたいな育て方しかされなくて可哀想!!」


今、母を馬鹿にされた。

花梨が8歳の時に離婚し、女手一つで必死に花梨を育ててくれた母を。

自分の贅沢をすべて捨てて花梨を最優先してくれている母を。

離婚直後に少しでも母の助けになりたくて、卵焼きを焼いたら真っ黒な炭が出来て、泣きながら捨てようとしたらあっという間に食べて美味しかったよ、ありがとうね、と笑ってくれた母を。

中3の進路相談の時、高校に行かずに働くと言った花梨に「勉強はしておきなさい、社会人になったらたっくさん親孝行してもらうんだから」と笑った後、自分から話してくれてありがとうね花梨、と少しだけ涙ぐんだ母を。


「ぎゃあ!?」


茂木の悲鳴に我に返ると、茂木が顔面を押さえてひいひいと泣いている。

なんだ? と思って見れば、右手がじんわりと痛い。

あ、そういえば今茂木の顔面を思い切り殴ったんだった。


やっちゃったな、お母さんに迷惑かけちゃう。そんなことを考えていると茂木がなんだかぎゃあぎゃあとうるさいが、クラスがしぃんとしていることに気づき、ああなるほどそう言う事かとふっと口元に笑みを浮かべる。

アプリを立ち上げて、鼻血を出して泣いている茂木を写すと投稿した。


【害虫駆除しておきました★】


ありがとう、と電子音がした。ありがとうボタンを押された時の音だ。


 それがやがて鳴りやまなくなる。なり続けてうるさいくらいだ。茂木が驚愕の表情を浮かべて周囲を見渡している。当然だ、クラス全員スマホをいじり何かをタップしているのだから。


 グラウンドを見ればサッカーをしていた男子生徒が、ベンチで談笑していた女子生徒が、校門で何か話をしていた教師が、校舎を歩いていた生徒が、廊下を通りかかった担任の教師が、学校に何か配達に来たらしい郵便局員が、学校の向かいにある団地前ではママ友であろう数名の女性たちが、下校中らしい小学生たちが、皆一様にスマホを見て操作をしている。


ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう、鳴りやむことはない。


「ほらね、2000ありがとうされてても、助けてはもらえないでしょ?」


 にっこり笑って言えば茂木が泣きながら首を振る。何か言いたいのだろうが鼻血が凄くて言えないのか、言葉が出なくて言えないのか。何にせよ、今この状況で茂木に駆け寄ったり花梨を非難したり声をかける者はいない。タップが終わった者は、まるで興味がないといった感じで元の談笑や読書などに戻っている。


「感謝してもらうコツはもう知ってるんだ。押しつけるんじゃなく、本当に心から望んだことをしてもらえれば自然と感謝してくれるんだよ。自分の目の前でハエがぶんぶん飛びまくってたら鬱陶しいし、誰かがそれを殺してくれたら感謝するでしょ?」


口元は笑っているが、目がまったく笑っていない花梨はスマホの画面を見せる。画面を見た茂木は、驚愕から恐怖へと表情を変えた。


花梨のアプリには、2分で1万「ありがとう」がついていた。


END

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― 新着の感想 ―
[一言] 現代社会の闇っていう感じのテーマ、面白かったです。ホラージャンルだから怖いだけかなと思っていたけど、考えさせられるストーリーでした。
2021/09/25 14:15 退会済み
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