007
朝。他人の主観によっては昼。目を覚ますと俺の腕をまくらにして、ノエルがすやすやと寝息をたてていた。あまりに近い顔と顔、唇と唇の距離は、毎朝のことだというのに慣れることがない。おかげさまで、俺の目覚めはいつでも心臓に悪い爽快感から始まる。
必要としない睡眠をノエルがとっているのは、起きていられると俺が落ち着かないという身勝手な理由からだ。こうして腕枕で眠っているのは、ろくでもないテレビドラマのおかげだ。
男と女が――いわゆる裸で、一緒のベッドで目覚めたシーンが幸せそうに見えたのだろう。ドラマの中では生々しい途中経過を飛ばしてくれたのか、雀がチュンチュンの結果だけがあって、ノエルはそのシーンを再現しようとしているのだった。
せめてパジャマは着るように、と俺は念を押すのだが、ときおり忘れる。
今日は――よかった、覚えていたようだ。
「おはよう、ノエル」と声をかければ彼女の瞳は……開かない?
まさか、本当に眠ってしまったのだろうか、と一瞬だけ期待してしまう。
だが、「むにゃむにゃ、眠ったお姫様とキスをした王子さまは、末永く幸せに暮らせるのですむにゃ」……そんな寝言は眠てから言え、と思わずツッコミたくなることを言う。
さて、どうしたものか。
どうすれば、この困ったお姫様を目覚めさせられるのだろうか。
「困ったな。俺は王子さまではないからなあ。このままでは、ノエルが目覚めなくて困ったことになるぞ。ああ、困ったなあ。俺は、いったいどうすれば良いんだろう?」
これで、ぱちくりと目が……覚めない。
「むにゃむにゃ、ノエルはお姫様ではないのです。天使なのです。だから、そーちゃんも王子様じゃなくて大丈夫なのですむにゃ」
今朝はしぶといな。
絵本とは設定すら違っているじゃないか。
「でも、お姫様じゃないなら放っておいても起きるか……」
「ノエルは起きないのですむにゃ!」
「朝御飯が食べたいな」
「起きたのですむにゃ!」……寝てるじゃないか。
必要としない睡眠だからか、ノエルの目覚めはいつでもすっきりしたものだ。
ぴょんと跳ね起きて、自分の部屋に、トトト、小走りで駆けていく。
朝御飯を作るためにパジャマから普段着に着替えるつもりなのだろうが、あまりにもあっさりとした態度は、少しだけ寂しくもある。
枕もとの時計を覗き込むと、10:43。
草木も眠る早朝だった。
眠り足りない欠伸を漏らしながら寝巻から普段着へと、売れないバンドマンの格好へと着替える。
隣室、ノエルの部屋からは着替えのものとは思えない騒がしい音が聞こえてきた。毎朝の風物詩だ。裸一貫で生まれてくる人間と違って、天使は生まれたときから着たきり雀である。だからなのか、衣食住といった人間の暮らしに欠かせないものほど不器用な傾向にあった。
不死にして不変、完璧で完全、人間のように不完全から完全へと近づく生物とは在り方がまったくの逆なのだ。天使が着ること、眠ること、食べることを必要としたとすれば、それは完全性を失ったことを意味する。つまり不完全な存在、人間に成り下がったということだ。
どたばたと騒がしい着替えの音を耳に洗面台へ、顔を洗い歯を磨き、櫛で寝癖を直しおわるころには、ノエルも部屋から現れた。彼女には新陳代謝といったものが存在しないため、顔を洗うことも、歯を磨くことも、髪を梳かす必要さえない。つねに彼女の美しさは保たれている。――朝に弱い俺としては、素直に羨ましい。
慌ただしい着替えの時間が終わると、ようやく朝食の支度が始まる。
夕食ほどに凝ったものではない。
朝に贅沢を許せば、朝食が夕食に、夕食が朝食になってしまうことだろう。
厚切りの食パンをトースターの口に咥えさせ、レバーを引く。トースターのなかではハロゲンが遠赤外線の光を煌々と放ち、小麦の表面をじりじりと焼く。焦げの芳ばしい香りが一面に立ち込めて、台所から地続きの居間のなかにも顔をのぞかせる。
マグカップは並々と注がれた牛乳で満ちる。
トーストの表面に塗りつける赤い苺のジャムとバターはセルフサービス。
食パンの朝食には、失敗の余地も工夫の余地もなく、そしてノエルは不満げだ。
喜ぶ、というのは、これで疲れる。
遊び疲れという言葉があるように、感情の大きなうねりは精神に疲労をもたらすものだ。
まさか、朝からA5和牛のステーキで大喜び、というわけにもいかない。
栄養補給の側面が強い朝食は人間に、それから俺にも、大きな喜びをもたらすものではない。朝食は美味しいよりも手軽さが重視される。それが天使であるノエルには我慢ならないのだ。常にテンションを高くして、子供のようにキャッキャと喜べれば良いのだが、血の気の足りない俺の朝は、おおよそ不機嫌で不愛想である。
そしてノエルの機嫌を損ねる存在が、もうひとつあった。
食パンを口に咥えた、レトロなトースターの存在である。
パンを焼くことに関しては、もはや万能調理器具と呼んでも差支えのない彼は、その料理の腕前においてノエルの遥か高みをいく。神の領域だ。フライパンで、直火で、キツネ色の焼き目を再現しようとノエルも試みるのだが、彼女の料理の腕前では、いまだに成功したことがない。――家を焼こうとしたことなら何度もある。
ノエルは彼の料理の腕でも盗もうというのか、トースターの横顔を見つめ続けていた。
そして、ぷんむくと頬を膨らませながら、
「そーちゃん、この子は捨てましょう!!」
「捨てません。もったいない」
「そーちゃんを喜ばせるのはノエルのお仕事なのです!! トースターさんは、おそとに行っててくださいなのです!!」
バカをホザきよる。
ノエルが自分よりも上手にパンを焼くトースターに激しい対抗心を覚えていた。
調理過程があまりにも簡単すぎて、自分がパンを焼いたという認識が発生しないのだろう。パンを焼いたのはトースターさんで、俺を喜ばせた手柄もトースターさんのものだ。神に仕える天使の身でありながら、ノエルは万物に魂が宿るアニミズム信仰に目覚めたらしい。
たしかに人間の道具とは、すべからく人間を幸福にすべしと造られている。それがトースターでも、拳銃でも、使用した側の人間には幸せが訪れるよう設計されている。使用された側の人間にも幸福が訪れるかどうかは、その設計図の気分次第である。
レトロなトースター、もはやパン焼きの神とでも呼ぶべき彼が軽い金属音をたてると、二枚のこんがりと焼けたトーストが飛び出した。皿に乗せて運ぶのはノエルの仕事だ。うっかり手伝おうとすれば、「そーちゃんは、そーちゃんを幸せにする邪魔なのです!!」と怒られる。――とても理不尽に思う。
一枚は俺、一枚はノエル、食費が二倍かかる計算なのだが、テーブルにひとりだけの食事というのも落ち着きがないものだ。ましてや、一挙手一投足を見張られての食事では味がしない。
「そーちゃん、ノエルが塗ったジャムは美味しいですか?」
「ああ、美味しいよ。とくにこの、焦げ目の部分なんて最高だ」
「そーちゃん、ノエルが塗ったバターは美味しいですか?」
「ああ、美味しいよ。小麦の焼ける芳ばしい香りがたまらない」
「そーちゃんの浮気者!! ノエルは実家に帰らせてもらうのです!!」
「実家に帰って、それからどうするんだ?」
「帰ってきてくれぇぇ、と泣いて謝る可哀想なそーちゃんを慰めてあげるのです」
また、ろくでもないテレビ番組で人の幸福について間違った学習をしたらしい。
ノエルの熱演からして、画面のなかの俳優は相当に情けないすがたで泣いていたのだろう。
「実家に帰るのは朝御飯が終わってからな? 食事の途中で実家に帰るのは行儀が悪いぞ?」
「わかったのです。ノエルはテーブルマナーを守る淑女さんなのです」
淑女は口の周りをジャムで汚したりしないものだが。と柔らかに笑う。
俺が笑った理由を理解してはいないのだろうが、俺の笑顔を見て、ノエルも笑顔になる。
まるで鏡だ。と思った。
このままでは終わりのない、にらめっこが始まると俺はテレビに逃げる。
時間は11:45、ちょうど短めのニュースが流れる時間帯だった。
昨晩、渋谷で起きた交通事故はテロ攻撃であったらしいとテロップに書かれていた。天使が降臨したものの、幸いにして居合わせた帝都軍警察交通課、平松二等軍曹以下10名の活躍と民間人の協力により天使の討伐に成功したらしい。――なるほど、これは逃げられないわけだ。
死者数が0ということもあって、彼らには勲章が送られることになった。――勲章については要らないが、副賞の金一封については俺にも受け取る権利があるのではないだろうか。いや、勲章も貴金属店で売れるのだから、貰えるものなら寄越せ。
当局――軍警察の見解では、神と天使を崇拝する西方親聖王国主導による犯行と、と続く。
戦争では内側に爆弾を抱えた国家から先に滅んでいった。爆弾、キリスト教徒だ。天使の降臨以前から怒りの日を待ち臨んでいた彼ら、滅びたがりの死にたがりの彼らは、神と人類を並べたとき、神の側に立つことを選んだ。
アメリカが生き残ったのは、天使の降臨が日曜日ではなかったからだと冗談めかして言われる。アメリカに住むキリスト教徒は、食事の前と日曜日だけキリスト教徒になる。あとの時間は無神論者の顔をしているものだ。科学兵器で天使を殴り倒しておきながら、いまだ国内には十字架の教会があるというのだから、理解に苦しむ超大国である。
キリスト教の影響が少ない環太平洋文化圏に比べ、総本山、バチカンを抱えたヨーロッパの混迷は著しいものがあった。一方では死にたくないという悲鳴の声が上がり、もう一方では殺してくれという歓喜の声があがった。ひとつの国のなかのことだ。
恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方、と言ったのはフランス皇帝ナポレオン=ボナパルトだが、世界の終末においても歴史は繰り返されるものらしい。誰が味方で誰が敵か、それさえも分からない混迷のなかで、ヨーロッパの国家群は滅んでいった。
西方親聖王国は、天使諸共に核の炎で焼かれたヨーロッパの地を拠点に聖絶、人類滅亡を助けるテロ集団の名称である。
正午前の短いニュース番組が終われば、誰とも知らない芸人が一流の文化人の顔をして世の中を語る番組が始まった。ところで俺はテレビを消した。
「そーちゃん」とノエルの声。
「どうして、人間と天使は争うのです?」
その答えは、天上の父がそうと望まれたから、なのだが、翼を無くした天使であるノエルはそのことを忘れている。いや、天上の父が望まれたのは一方的な聖絶だ。人類には抵抗することもなく皆殺しとなる道を望んだことだろう。そう、ヨブ記にもある。
「それは、ノエルがトースターさんと争う理由と同じなんじゃないかな?」
天使には天使の、人間には人間の、トースターにはトースターの都合があって、妥協点が見つからないなら互いを否定するしかない。殺しあうしかない。とても単純な話だ。人類は、神よりも自分たちの都合を優先した、単純にそれだけのことだ。
「むむむ、ノエルはトースターさんと喧嘩していないのです」
「そりゃ、トースターさんは心の広い大人だからな」と俺は声に出して笑った。