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005


 渋谷駅から北へ三つ、新宿駅のホームを小走りに、24時20分発の中央線快速武蔵小金井行きの最終電車へ駆け込み気味に乗車する。


 新宿駅は帝都東京が誇る五大迷宮のひとつで、人を歩かせることに長ける。走らなければ間に合わなかった。改修工事が多いことでも知られている。工事が行われるたび以前に使えた道順が使えなくなり、迂回路へと人を誘っては方向感覚を失わせ、構内を右往左往に惑わすのだ。


 追い抜いてきた幾人かは最終電車に乗りそびれ、朝まで涙に暮れることになるのだろう。――バカめ。普段から鍛えていないからだ。――いやいや、可哀想に。心の底から同情を申し上げる。懐に余裕ができると、人は寛大になれるものだ。


 振り返れば、俺の背中で閉じたドア。硝子の向こうでは、いかにも乗り遅れましたという顔のサラリーマンが顔を赤らめていた。怒っているわけではない。苛立ってはいるだろう。単純に、酒精アルコールのせいだ。酔いが回った状態で走ったものだから、顔色が赤から青へ、ああ、早く出発してくれ。後生だ。彼の醜態を見届けたくはない。


 電車内へ駆け込んできた俺にいくつかの視線が向けられた。その目に疎んじるところはない。深夜の最終便の乗客たちだ。それぞれに駆け込んだ経験や、乗り遅れた経験のひとつやふたつはあるのだろう。いくつかの目が向けられたのは、動くものを追いかけてしまう人の目の習性だった。


 電車は無情に動き出し、ホームに置き去りにされた彼は――いや、よそう。迷惑行為とは、ああいうことを指す言葉だ。


 動き出してから数十、駅構内の明かりから離れて、電車は暗闇のなかに入る。


 電車の内側が明るく、外が夜闇に暗ければ、窓の硝子は鏡に変わる。

 そこに映しだされるのは、若い男の顔。

 若いというよりも、幼い。


 少なくとも成人男性と認められる年齢には達していない。店舗で堂々と酒のたぐいを購入すれば、身分証の提示が求められることだろう。実際、そうだ。酒も、女も、知るにはまだまだ早すぎると大人にたしなめられる。子供よりは大人びていて、けれど大人には届かない、若い男の顔が夜の硝子には映っていた。


 背負うのはギターのハードケース。正確にはギターよりも首板ネックの長いベース用のケースなのだが、通っぽく語るなら、どちらもギグケースになる。ギグケースの名前は、ライブ(ギグ)に使用する弦楽器全般を収納するための背嚢ザックに由来する。


 天使儀仗をむき出しのまま持ち歩いても法律に触れることはないのだが、人の琴線にはよく触れる。それは銃火器類をあからさまに持ち歩く軍警のすがたに似て、弱者の瞳には脅威に映り、強者の瞳には挑発に映るものだ。


 そういうものには襟章の星の数で、もう飽いている。

 人のなかでどれだけ虚勢を膨らませても、天使がそれを気に掛けることはない。

 だから知恵をつけた処刑人たちは、それぞれの風体に似合った偽装を覚えるのだ。


 俺の場合は、あまりパッとしないバンドマンの(よそお)いを覚えた。

 接頭辞にパッとしないと付くのは、このすがたを初めて目にした六天堂シノの感想だ。


「金回りが悪そうな恰好してはりますなぁ」じつに正直な感想が、俺の胸に突き刺さった。


 衆目を集めないための偽装なのだから彼女の感想のままで良いはずなのだが、俺は意地になって、この格好で通すことに決めた。ギターは弾けないし、楽器そのものを持ってもいない。もしものために、サインの練習だけはした。いまだに求められたことは一度もない。つまり、それだけ俺の偽装は完璧ということなのだろう。街の風景に完全に溶け込んでいると言えた。


 新宿発の最終便は、箱詰め肉(スパム)というわけではないが、空席があるほどの余裕はなかった。

 深夜まで働いたか遊んだかした人々は疲れ果て、つかんだ座席(幸運)を手離しはしない。

 俺でもそうする。


 諦め、ギグケースを背負ったまま、電車はドア脇の空間に背中を預ける。


 なにをするでもなく中空を彷徨さまよう視界が、中吊り広告を流すフィルムスクリーンを捉えた。


 フィルムスクリーンには、『STOP! 違法天使撲滅キャンペーン』とめい打たれた公共広告の映像が流されている。


 ≪中央≫を知る人間からすれば、こういった広告の効果がどれほどあるものか疑問に感じるものだが、≪中央≫を知らない人間からすると、それなりに広告効果はあるのだろう。


『天使は、あなたに笑いかけます』

『天使は、あなたに優しくします』

『天使は、あなたに奉仕することを喜びとします』


『でも、ちょっと待って? その天使は検査証のない違法天使ではありませんか?』

『社会の安全と秩序を守るため、天使労働管理局では定期的な検査を実施しております』


『守ろう! 社会の安全! 無くそう! 無登録天使!』

『STOP! 違法天使撲滅キャンペーン実施中!』


『~天使労働管理局に届け出のない天使の飼育・使役は、最高で死刑となる違法行為です~』


 最後の最後に、死刑、という文言をもってくるあたりに≪中央≫らしさを覚えた。

 帝都の中枢を担う≪中央≫のおもな財源は、天使需要に頼るところが大きい。


 翼を失った天使は奇跡の力を失う。

 ほとんど、人間と変わりなくなる。


 人間と違うところは、食べることなく、眠ることなく、命令に従順であることだ。人間と同じだけの柔軟な思考を持ち、そして人間には在りえない従順さを持ち、人間とは比べ物にならない耐久力と忍耐力を持つ彼女たちは、いまだ完成の目途が立たない人工知能の完成形だ。


 これ以上に使い勝手のよい道具も存在しない。

 機械制御による自動化が進んだとはいえ、それでも人の手が足りない産業は多い。

 正確に言えば、薄給にも文句を言わず黙々と働いてくれる忠実な社員の数が足りていない。

 戦後復興の原動力となったのは、皮肉にも、世界に破壊をもたらした天使そのものだった。


 ≪中央≫は鹵獲した天使の貸し出し(レンタル)業で運転資金を稼ぎ出すと同時に、戦後の急速な復興を果たした。元は半国営状態だった鉄道輸送網などのインフラ事業も≪中央≫の手に一元管理され、いまでは帝国鉄道の名称で知られている。


 有事、戦争の際には強制徴用されることが国営化の代償であり、無償化が恩恵だった。

 いまのところ無償化の恩恵のほうが大きく目立つため、これに反対する人間も少ない。

 一日を電車の中で暮らしていたい人にとっては――そんな人間が居ればの話だが、良い世の中になったといえる。


 代わりに値段が跳ね上がったのは、タクシーだ。

 駅から駅へ、一駅分を走らせただけで、三日分の食費が飛ぶ。

 石油燃料が値上がりしたわけではなく人件費が跳ね上がったためだ。


 労働の大半を羽無しの天使が担うようになった帝都では、人間の労働者は趣味人のような存在だ。最低生活金保証制度(ベーシックインカム)の導入以来、労働人口は減少の一途を辿っている。それでありながら、国内総生産(GDP)は前年比200%を毎年記録しているのだから、これがどんな奇跡であるのか、戦争以前の経済学者には理解不可能な状況に違いなかった。


 無限の原動力と永遠の奉仕者、この二つによって帝都の経済は支えられている。


 ふと、今日、鹵獲した能天使グジエルの存在が頭をよぎる。

 彼女は――きっと、巨大な発電機にでも使われることになるのだろう。


 知性、理性、感情、記憶、奇跡のために必要のないすべてが取り除かれ、制御基板から伸びた電極の針を突き刺し、電気の流れを生み出すための詩がリピート再生で、無限に、永遠に、流し込まれる。それこそ、人の文明に終わりが来る、その日まで。ずっとだ。


 不死であることを、恐ろしいことだと思う。

 それは敵とした場合も、自分自身に当てはめた場合であっても。


 ならば、今すぐに死ぬか? と問われても素直に頷くことができないでいる中途半端な生き物が、人間というべきものだった。だから、天使の軍団を相手に戦争まで起こしたのだ。


 人生には、まだやり残しがある。それは、いつまでたっても。今すぐには死ねない。明日も、明後日も、まだ死ぬには早い。まだ、やり残したことがたくさんある。


 永遠を生きたいとは思わないが、いますぐに死にたくもない。――これを強欲だと思う。


 夜のなかを進む電車が、終着駅、武蔵小金井駅のホームに近づいていた。

 ここより先は、無だ。目を凝らしても地平線に光はない。


 箱根峠を最終防衛線とした第五次帝都決戦はついに決壊し、天使の一群が西から襲った。

 天使の一群を街諸共に大炎が薙ぎ払って以来、ここより西に住もうという人間はいない。

 つぎがあったとき、また焼き払われてしまう土地に住みたがる人間も、そうはいない。

 言ってしまえば、いつ噴火するともしれない山の火口に住みたがるようなものだ。


 いずれ戦争の記憶が薄れたのちには、地価が安いとかの理由で住みたがる人間も増えるのだろうが、そのときは、まだ、であるらしい。≪中央≫が焼け落ちた土地の再都市化計画を行っているものの進捗のほどは、あまりはかどっていないようだった。


 人は愚かだと思うが、それでも、それなりに狡賢(ずるがしこ)い。そういうものらしい。


 電車はゆっくりと速度を緩め、武蔵小金井のホームに滑り込む。

 停車。ドアが開く。最後の最後まで電車にしがみついていた乗客たちを吐き出した。


 最終電車で武蔵小金井の僻地(へきち)に帰ってくる同士諸君たちである。名前も年齢も知らないが、見知った顔が多かった。遊び疲れが半分と仕事疲れが半分。もしかすると、バーのカウンターテーブルを挟んで客の側にひとり、店員の側にひとり、そんな関係だったのかもしれない。と想像しては、くすり、笑う。


 衣食住が満たされ、それでもなお働き続けるのは難しい。

 天使に任せられる程度の仕事であれば、天使に任せてしまえば良いが、世の風潮だ。

 働かずとも暮らせるが、働きたくても就職口がない現状が帝都全域に広がっていた。


小人閑居(しょうじんかんきょ)して不善をなす、か……」と礼記を持ち出す。


 呑んだくれの彼らとて、遊びたくて遊んでいるわけではない。ただ、社会経済から手切れ金を渡されて家のなかに(こも)りがちの生活を続けていると、遊ぶほかにやるべきことが見つからなくなるのだ。かくて彼らは労働の喜びを知らず、やがて時間と共に朽ち果てるのだ。


 退廃のローマに再びの栄光を、民衆にはパンとサーカス、まさしく現状がそれだった。


 武蔵小金井駅を出て、徒歩で数十秒、コンビニエンスストアで念のための弁当をふたつ購入する。


 終電のあとには客など無いだろうに、それでもコンビニエンスストアの明かりが消えることはない。24時間、365日、ずっと稼働し続けている。光熱費などが掛かりそうなものだけれども、それが店主の意向なのか、24時間、彼女はレジカウンターに立ち続けている。


 武蔵小金井駅の看板娘、セラ。セラヴァーナは天使そのものの笑顔を入店した俺に向ける。≪名前持ち≫ではなく、≪中央≫から適当(ランダム)に割り振られた名称だ。高値をだして借り受けている以上、24時間ずっと働かせ続けないと損、とでも思われているのだろうか。


 コンビニエンスストアには地域社会のインフラ的側面もあるのだから、深夜に生きる俺は大いに助かるの――だが。


 レジ奥には人間のための休憩室、スタッフルームが存在するのだけれど、セラヴァーナが休憩室から出てきたところを俺は見たことがない。代わりにでてくるのは無精ひげもまばらの、どう考えても接客業には向いていなさそうな若い男だった。


 俺の視線が向けられていることに気がつき、「らっしゃせー」と挨拶らしき呟きがあった。男のすがたを目で追ったのは無意識の作用だ。動くものに視線を向けてしまう、人の目の習性によるものだった。


 深夜配送の雑誌類を抱えてスタッフルームから出てきたのは、コンビニオーナーの息子なのだろう。人生で一度も金に困ったことのなさそうな顔をしている。与えられすぎて育ったもの特有の緊張感のなさ、とでもいうべき気配をまとっていた。――羨ましいかぎりだ。


 人間の彼の無愛想も相まって、セラヴァーナが向けてくれる優しい天使の微笑みが、より一層に天使らしく思えてしまう。


 深夜の弁当コーナーはさすがに空席が多く種類は選べない。雑誌と食品類では店舗に届けられる時間帯も違うのだろうか。人間の彼は雑誌コーナーにかかりきりで、弁当を並べだす気配は無かった。――まあ、売れ残りを買わせたほうが廃棄も少なくエコロジーで儲かるのだから、たとえ店の裏側(バックヤード)に弁当の山が積んであったとしても、これは商売として正しい判断なのだろう。


 売れ残りをふたつ、それから、念のためにプリンもふたつ。陳列棚の手前ではなく奥から選ぶ。こういう客がいるから新しい弁当が並べられないのだと因果応報的なことを考えつつ。


 俺の小市民的行動を見ていただろうに、レジに立つセラヴァーナは嫌な顔のひとつも見せずに、「いらっしゃいませ」とPOS(レジ)に商品を通し、「ありがとうごさいました」と深々、頭をさげる。


 店を出るときには、「ぁりやとやしたぁ……」と男の呟き声が聞こえたような気がした。


 海水の塩分、塩化ナトリウムと反応し分解する地球環境へ配慮したレジ袋に弁当とプリンをふたつずつ――どうにも≪中央≫の政策には奇妙な偏りを感じるのだが、手にして、武蔵小金井の街を歩く。同じ帝都でも、渋谷の街とはまるで違う。夜が、夜の顔をしていた。闇だ。



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