004
「総一郎さんが現場に居てくれはって、うち、ほんまに助かりましたわぁ」
京都訛りを抑えているが、六天堂シノの語る帝都標準語にはイントネーションに違和感を覚える。本人にその気はないのだろうが、どこか、男に媚びた音色だ。一番に似ているものは子猫の甘える鳴き声だが、無邪気さはなく、彼女の声音はしっとりとした艶を帯びていた。
軍靴、軍帽、軍套に堅く身を包みながら、女性としての丸みを感じさせるのは天性のものだ。
女は生まれながらにして女と言うが、六天堂シノの艶気は、それにしても度が過ぎている。
「軍警の詰め所……警察庁からは目と鼻の距離だろうに、いったい何を暇していたんだ?」
「そうなんです。総一郎さんも聞いてくださいな。渋谷から南に行くと、お偉いさんの建物が仰山ありますやろ? せやから、帝都のお偉いさんも仰山おりまして、自分を守れー言うて、それはもう聞きませんの。総一郎さんをお待たせしてもうて、ほんまに、すんまへんなぁ」
「そんなので、大丈夫なのか?」
「ダメですやろなぁ?」
即答だ。
4=7、能天使グジエルが渋谷の街に解き放たれたなら、最終的被害は幾千人か幾万人か、想像もつかない。天使の降臨から討伐までは秒を刻んだ戦いになる。対応が1秒遅れれば、1秒だけ多くの人命が失われる。だから巧遅な守りは諦めて、拙速の攻めをもって最大の防御とするのが対天使戦略の基本原則であったはずだ。
だが、天使の降臨から軍警特務隊の到着までには15分以上も経過していた。俺がすでに討伐したという報告があったにせよ、これは遅すぎる。これほどの猶予を能天使グジエルに与えたなら、瓦礫と死体の山が10や20は簡単にできあがっていたことだろう。
俺の知る軍警であれば、どれだけ上層の人間であろうとも必要な犠牲者数に計上して切り捨てたはずだ。戦闘を遅延させる要因は、前もって排除されていたはずだ。戦争から10年、平和が人や組織の頭を腐らせると言っても、これは早すぎるような気がした。
「ご歓談中のところ失礼します。六天堂中佐、よろしいですか?」
「よろしゅうない、言うたら、うちは総一郎さんとのおしゃべりを続けてもええんかなぁ?」
「ダメだろう。俺は早く帰りたいんだ。終電に乗り遅れれば帰りは徒歩になるんだぞ?」
「もう、総一郎さんは相変わらずのいけずぅやわぁ。あぁ、それとも、終電が無くなってしもうた言うて、うちの家とベッドに泊めてもらうための方便、」
「方便ではないから、さっさと事後処理を進めてくれ。少佐」
パッと見て、六天堂シノとの会話に割り込んできてくれた彼の階級を確認した。
10年で変わらないのは襟章くらいなものだ。――いやそれも、戦時中のものとは違うか。
軍警内部での階級は、襟章に付けられた金と銀の星の数で示される。
だが、すべてを純金で作れば高くつくので、金の星は銀の星にメッキが施されている。
それも戦場を駆け巡るうちにメッキが剥がれてしまい、やがて、金であったはずの星が銀に変わってしまうものであった。
戦場でよくある冗談のひとつに、新入りの銀星ひとつの少尉を、「少佐、少佐」と持ち上げる話がある。隊内でも名誉少佐扱いにして、士官学校出身の新米少尉を弄りまわすのは通過儀礼のひとつだった。
戦場で一か月も過ごせば襟章は泥と灰と血にまみれ、金糸もほどけて布地の色も分からず、ときには堅く縫い付けたはずの星を落とすことさえあった。再申請には時間がかかるし、それよりも昇進のほうが早い。生き残れるなら、新しい襟章が届くのを待てば良かった。
こうなると襟元につけた階級章など有って無いようなものであり、前線では、ただ見知り合ったお互いの顔だけが確かなつながりとなる。
六天堂シノと出会ったのは戦場で、その頃の彼女は、銀星ひとつがキラキラと輝く年若い少尉だった。――少女だった。
「少尉クン? そないに怖い顔したら、あかんえ?」
「六天堂中佐、失礼しました。そちらの民間協力者のかたが、私を少佐と呼ぶものですから。つい、いったいなにごとかと思いまして」
「ああ、これはすまない少尉殿。悪気はなかったんだ。これは、ただの口癖だ」
この手の冗談は、当事者同士でなければ通じないところがある。冗談が通じないどころか、皮肉のひとつに受け取られることもある。今回の場合は後者だ。兵役あがりの民間人が、戦争を知らない新米少尉に先輩風でも吹かせたように感じられたのだろう。
面白くない、という顔を、その少尉は隠さなかった。
帝都軍警察隊。通称にして軍警。戦時中、環太平洋帝国軍の一翼として天使との戦いに臨んだ英雄たちも遠い過去のことだ。いまは、戦時中に得た特権の数々を既得権益として権力にしがみつく、戦争が遺した負の遺産でしかない。
いまの彼らは警察で、検事で、裁判官で、そして執行官だ。罪あらば切る。その精神に変わりはない。だがしかし、なにが罪であるかは各自の自己裁量に一任される。いまの彼らは法の番人であり、無法者であり、そしてなにより民衆の恐怖の対象であった。
畏怖と恐怖、媚びとへつらいの表情を見慣れた少尉殿にとって、それを欠片も見せない俺の仕草そのものが気に障るもののひとつであったのかもしれない。
二秒、三秒、胡乱なものを見つめる目をして、それから興味を失ったかのように外した。
「……能天使グジエルの封滅、および再生中枢体を確認。これの回収を完了しました。今回の戦闘における被害査定は……0。よって、報奨金は12億8000万圓となりますが、よろしいでしょうか?」
「なにが? なにがよろしいと、うちに聞いてはりますの?」
「報奨金の全額を民間協力者のかたにお渡ししても、よろしいのでしょうか、と」
≪中央≫は、ここのところの計算式がおかしい。
天使討伐の報奨金査定は、天使の級数と被害の規模から算出される。つまり、建物が壊れれば壊れるほど、人が死ねば死ぬほどに儲かる計算だ。ある意味で、天使の脅威を測るにはよい物差しなのだが、一方で、戦闘に多くの巻き添えをつくったほうが儲かる仕組みでもある。
そして、人死にはさすがに困るが、そのへんの建物の一棟や二棟なら壊れても仕方がないんじゃないかなぁ、と考える俺もいた。おそらくは保険にも入っているだろうし、問題ない。壊れる建物がなければ、保険屋が濡れ手に粟と儲かるだけだ。俺が儲からない。
少尉の彼が、よろしいか、と六天堂に尋ねたのもいまの軍警では珍しくもない光景だった。
天使討伐は関わった処刑人で頭割りされる規則だ。明文化はされていないが、暗黙の了解として、そうなっている。だがそれも民間の話であり、公僕たる軍警が絡むと話は複雑になる。報奨金はそのまま彼らの危険手当であり、報奨金を査定するのも、配るのも、ほとんどが彼らの自由裁量のもとにあるのだ。
つまりは、あとからやってきた軍警が手柄を横取りすることなど日常の光景だった。
俺が六天堂シノと親しげに会話していなければ、12億8000万圓が、飄々として、1280圓と言われてもおかしくはなかった。過去にはそれが原因で死者も出ているのだが、処刑人は基本的にひとりきりの個人事業主であり、≪中央≫を後ろ盾とした軍警組織には強く逆らえない。そもそもの雇用主が軍警自身なのだから、逆らえば仕事を無くすだけだ。
少なくとも半分、多ければ七割は持っていかれることを俺も覚悟していた。
覚悟を決めた俺のもとに訪れたのが、帝都軍警察特務隊、旧知の間柄である六天堂シノが率いる精鋭部隊であったのは幸いなのか、災いなのか、悩ましいところである。グジエルを確実に倒せるだけの戦力、一個小隊30余名の精鋭揃いで参上し、当のグジエルが存在しないでは話にならない。格好もつかない。これでは子供の使いだ。
「少尉クン? キミ、うちの見てないところで手当を貰えるような手柄でも挙げはったん? うちには、な~んも覚えがないのやけど?」
「いえ、それは……ですが、12億圓ですよ。六天堂中佐」
自分が欲しいのか、俺に渡したくないのか、あるいは両方か、少尉の彼が大金を前にして目の色を変えていた。――もちろん俺もだ。12億圓もあれば――その、なんだ、色々と買える。そう! ブランドものの服とか、鞄とか、高級な外車とか、リビングにマッサージチェアも置ける。ウナギ! ウナギも食べられる。しかも養殖じゃない天然ものだ。スゴイ。
六天堂シノは、そんな彼を――もしくは俺を含めて、面白そうに見つめ、くすり、笑うだけだ。
「キミは、怖いもの知らずさんやね。うちなら、総一郎さんに芋ひかせるような真似は、ようけできひんわ。総一郎さんがその気になれば街中に火がついて、帝都なんか半日で灰になるんよ? 総一郎さん、火で燃やすの好きなん、わかって言ってはる?」
「俺に放火癖はない」
俺は不服を申し立てたが、
「いややわぁ。涼しい顔して京都の町も人も、天使諸共に焼き尽くしはった御人が、いまさら何を言うてますの。うちが総一郎さんに惚れて軍警に入ったのは、あの横顔をもう一度見るためでしたんえ? やのに、総一郎さんは戦争が終わってしもうたら早々に軍警から引退してしもうて、残念。ほんま、いけずぅな御人やわ」
くすり、京都訛りの六天堂シノが目を細めた。
外見年齢は17以上、20以下。天使儀杖を使用した副作用でなかば天使化したその肉体は成長とも老化とも無縁で、中身の老獪さもあいまって、悪魔めいた美貌を見せる。戦争以前ならば、天使のような、と形容されていたことだろう。――いや、悪魔だな。彼女のような女性は、いつの時代にあっても男を狂わせる魔性のたぐいだろう。
そして、ふと、気がついた。
なるほど、新米少尉には、少しばかり毒気が強すぎる。
六天堂シノが俺と楽しげに会話している、そのこと自身が気に入らないのだ。――嫉妬だ。
そして、
「京都? 大焼失の? あれは15年以上も前のことですが?」
少尉の眉尻が、いぶかしげに歪む。
人に言われるか鏡を見るかしないと、自分の外見は忘れがちなものだ。俺は窓ガラスを見つけるたびに前髪を気にする種類の人間ではない。むしろ、鏡は嫌いだ。周囲が大人になるなかで、大人になりきることのない自分の顔を鏡に映して、六天堂シノならば何と思うのだろうか。
いや、むしろ女性だから――得した? なのか?
それは――理不尽だな。
「少尉殿。天使儀杖を使い過ぎた者の多くがそうであるように、俺も外見年齢と中身が一致しないたぐいの人間なんだ。このあたりの詳しい話を聞きたければ、六天堂中佐に聞くといい。外見はそれこそ花の女子高生だが、実年齢はたしか――」
「総一郎さん?」
「――若いぞ?」
六天堂シノの微笑みには迫力があった。
人生の先輩として、無辜の少尉の目を覚まさせてやろうという老婆心であったのだが、そもそも、無思慮にも俺の財布に手をつっこんできた相手だ。救いの手を引きあげるのに、ためらう理由も無かった。
「しかし、そろそろ報酬をいただいて俺は家に帰りたいんだが?」
ちらり、携行端末機に目をやれば終電までの時間がない。
「お渡しは、現金がええですか? それとも振り込み?」
「現金、といったら、即座に渡してくれるのか?」
「軍警の金庫室には、その程度の貯えはありますさかい、すぐにお渡しできますよ?」
「えっと……振り込みでお願いします」
冗談めかした嫌みの言葉が圧倒的な財の暴力で叩き潰された。
これはもういっそ、軍警察の金庫室を襲ったほうが話も早いような気さえした。
「さすがに終電に乗り遅れるな。振り込みで頼む。六天堂、あとのことは任せたぞ?」
「最後まで確認しいひんで、ええんですか? 後になって、振り込まれてない、いうことも世の中にはありますよ?」
まあ、そういう不正も世の中には溢れていることだろう。
もはや溢れかえっているのだろう。
だがしかし、俺は六天堂シノの目を見つめながら言う。
「俺の知る六天堂シノという女は、こんなところで小細工を仕掛ける女じゃない。信用しているわけではない。信頼しているわけではない。俺はただ、六天堂シノが、卑小な女ではないと知っているだけだ。だから安心して任せる。任せられる。たかが――12億圓のはした金だ」
12億圓のくだりで若干、俺の声が上擦ったような気がするが、大いなる気のせいだろう。
六天堂シノは気付いたのか気づかなかったのか、にっこりと笑って、顔を赤くして、両手で頬を挟み込んで、にへへ、と顔の筋肉を緩ませて――おい、やめろ。
「総一郎さんが、うちのことそんなにも知ってくれはったなんて! うち、嬉しいわぁ!」
「やめろ! 抱き着くな! 頭を撫でるな! 離せ!! 俺は家に帰るんだ!! 少尉、助けろ!! これは、おまえの上司だろ!!」
年若い少尉が、見たことのない生き物を見つけたときの目で俺を見ていた。いや、六天堂シノのほうか。自分が憧れる上司の、普段は決して見せない純な乙女の側面を目の当たりにして……だから嫉妬するなよ。こいつは、おまえが思ってるほど善良な生き物じゃあないんだぞ。
だが、嫉妬する彼でありながら少尉は俺に手を貸そうとしない。ここで手をだせば、後が怖いことくらいは学習しているようであった。
果たして俺は、
「えへへ、総一郎さんは小そうて可愛いなぁ。お持ち帰りしたいわぁ。ほっぺ、すりすり~」
「頬ずりするな! においを嗅ぐな! 服を食むな! そして脱がせるなぁっ!!」
無事、終電までに帰ることが出来るのだろうか?