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002


 反応が遅い。

 ≪怒りの日≫を直接に知らない世代など、こんなものか、と思う。

 いまだに逃げるか観戦するかで選択を迷っている顔が周囲には溢れていた。

 さすがに、戦うという選択肢までは出てこないだろう。


 こういうことを口にすると、「最近の若者は~」と煙たがられる老人の同類に思われてしまうので口にはしない。内心で、少しの心配と数多くの侮蔑をポカンと口を開けたままの若者たちに吐きかけるだけだ。


 目の前、自動車の推力機関室から白い燐光が立ち昇り、無形の光が人と翼をぼんやりとかたちづくる。


 脳から垂れ下がる脊髄だけであったものから神経の根が素早く広がり、同じく血管が絡まりあうように人体をかたちづくる。神経や血管の周囲に肉の細胞が生まれ、増え、燐光は徐々に人間に近づいていく。一方で背中、肩甲骨の周囲を起点に人間から離れていく。ついに人間がもつことはなかった器官、天使の翼が広がりを見せ始めていた。


 帝都軍警察隊の制服が、天使儀杖アンヘルシュテッケンを手にした俺を見つけた。

 その目は、「倒してくれ!」と訴えかけている。

 俺の目は、「断る」と正しく答えられただろうか。

 目は口ほどに物を言うと世に言うが、目は口ほどに口が達者ではない。


 いまだ携行端末機は無反応、目の前の天使の脅威判定は1=0のままだった。


 これが1=1、あるいは2=1となれば――不謹慎なことではあるが、俺は儲かる。周囲の人間がどうにかなってしまう可能性はあるが、俺は儲かる。それがすべてだ。一応は民間人である俺よりも、まずは公僕であるおまえたちが必死になって戦え、と微笑みを返しさえした。


「くそ、金の亡者どもが!!」と高給取りが目で語る。――口が達者な瞳だ。


 あるいは、交通課や資料課などは軍警であっても薄給なのだろうか。――だとしたら心の底よりの同情を申し上げる。


 場には俺のほかに処刑人が四人集まっていた。

 彼らの稼ぎを奪ったとなれば次に出会ったときには、うっかり天使ごと殺されかねない。

 少なくとも――俺ならばそうする。


 天使の降臨から≪中央≫が出動優先級数を発令するまでには若干のタイムラグが存在する。長くても5分、短ければ数秒だ。簡単に言ってしまえば、天使の脅威を金額に変換するにも時間がかかるし、査定前に倒してしまえば報酬は支払われないということだ。


 だが、自動車の部品に使われる程度の天使である。最下級、≪名もなき天使≫(コモンエンジェル)に違いない。その脅威の度合いは精々――街中でフル装備の主力戦車(MBT)が暴れる程度だろうか。見物客には危険な存在だろうが、俺を含めた処刑人にとっては危険のうちに数えるほどの脅威ではなかった。


 とりあえず戦車が一台と、戦車以上の危険人物が五人、この場には揃っていた。


 怒れる天使が見物客に配慮することなどありえないが、天使以上の危険人物が見物客に配慮するかどうかは、処刑人の気分次第である。


 一度は、見物客こと民間人への被害を抑える――俺も身分の上では民間人なのだが、民間人保護規定が帝都の条例で可決されたこともあった。対する処刑人たちの反応は、民間人が皆殺しになってから戦うという実に合理的な判断であったため、これは即日撤廃された。


「地震のときは机の下へ、天使のときは走って遠くへ、小学校で習わなかったのか?」

 ごちる。


 天使役の教師が翼の付いた衣装で子供たちを追い回している。そんなほのぼのとした情景が目に浮かぶようだった。子供たちは、キャーキャー。先生たちは、ガオー。そして嫌みな教頭が、「真面目にやるように!!」とねちねち言ってくるような、そういう平和な情景だ。


 だが呆れる一方で、危機感が絶望的に足りない見物客の気持ちも理解できた。

 天使の死とも言える箱詰めから夜空に向かって立ち昇る白い再生の光は、素直に美しい。

 これが人間に死をもたらさない安全なものであるなら、ずっと目にしていたくなる光景だ。


 火の発見から幾万年、電球の発明から幾百年、人の視線はつねに光に釘付けだ。携行端末機はもちろんのこと、テレビも、ゲームも、ネオンサインの看板も、人類の目はつねに美しい光を追い求め続けてきた。人の先祖が蛾であっても、これは驚くに値しない。


 箱詰めの死から再生しようとする天使の光より美しいものを、人類はいまだに造り出すことができないでいる。この光を見るためだけに、繰り返し殺され続ける天使まで存在するのだ。初めて目にする美しい輝きに、危険も忘れ、ただ見入ってしまうのは、もはや人の業とも言えた。


 魅了されるのも仕方がない。

 魅了されたまま、無抵抗に殺されるのも仕方がない。

 最後に目にするものが世界で一番に美しい光なのだとしたら――「それも悪くない」。

 ごちる。


「しかし、≪中央≫の反応が鈍いな。これでは再生が完了してしまうぞ?」


 誰に問いかけた言葉でもなかったが、答えたのは携行端末機の着信音だった。

 これは着信音というよりも警報に近い。人間の耳に否応なく危険を知らせる激しい音だ。

 音の数はおそらく見物客の数だけ、渋谷の街の住人の数だけ――つまりは膨大。


 いまだに携行端末機を所持していない信念の人も存在はするのだろうが、ここ渋谷には存在しないだろうし、まして夜の街となれば。強制起動の災害警報が十重二十重に響き渡り、建築物の壁面に沿って反響するものだから、耳を塞ぎたくなるほどの轟きが広がる。


 鼓膜に痛みを覚えるほどの不快でもって、光を見つめる見物客の心を現実に引き戻す。

 これは、天使降臨を意味する避難警報だった。


 我に返った事故現場の見物客たちが、この警報の意味がなんだったか、そこから思いだそうとしていた。いっそ電子音声で、「天使、ニゲロ」と繰り返し告げてやったほうが良心的なのではないか、と考えてしまう。


 手にした携行端末機に目をやり、ついで、救急救命車両に運び込まれた男に目をやる。

 思わず、「どこまで……」と口にしたのは苛立ちと呆れからだった。

 処刑人の携行端末機の画面には出動優先級数、『4=7:CodeName_グジエル』と表示されている。


 天使等級クラス4、能天使、その破壊力は小型戦術核弾頭に匹敵し、そして意思を持つ。


 街のひとつやふたつが地図上から消えてもおかしくはない恐怖の使者であり、そして確定被害深度7の≪名前持ち≫(Named)。箱詰めするまでに幾千単位の死者をだした天使を自動車の部品に使うとは道楽が過ぎるぞ、と考え、いや、と俺は頭を軽く振った。


 これは一見したところ、ただの交通事故だった。

 だが、蓋をあければ推力機関室には核弾頭が搭載されていた。

 第三帝都、東京、渋谷、人と人が密集し、そして、国会議事堂を含めた政府機関が近い。

 第一帝都、ワシントンDCで例えるなら、ホワイトハウスのすぐ隣も同然の距離だ。

 すべてのことが出来過ぎている――。


「ああ、これは……テロというやつか?」


 周囲の見物客を小馬鹿にしておきながら、俺も相当に平和ぼけの状態であったらしい。


 ふたつの意味を込めて笑う。

 ひとつは、自分を嘲笑(あざわら)うように、もうひとつは、「儲かった」という素直な喜びを込めて。


 俺は天使儀杖を手に謳う。


調律機関始動ハーモナイザー・イグニス!! 目覚めよ、天使儀杖(アンヘルシュテッケン)――ウリエル!!」


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