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012


 なにも、はたきとレンチで殴りかかって来ることはないと思うのだが。


「ノエル、なんで俺は怒られたんだと思う?」


「キクリちゃんの趣味にあわなかったのですよ」


「なるほど、バケツ頭に任せた俺がバカだったようだな」


「そうなのです。贈り物は気持ちが大事。そーちゃん自身が選ばなければならないのです」


 正論で殴られると耳が痛い。

 だが、ノエルのお子様用の購入でさえ恥ずかしさに身もだえする俺に、それは無理だ。

 ノエルに任せるという手段もあるが、想像すると、もっと悲惨な目にあう予感がした。


 奇操キクリが用意したのは、小さな犬だった。

 犬と言っても生き物ではなく、ロボット犬だ。


 500円が5000円なら生きた犬そっくりに造れたと嘆いていたが、それは要らない。

 どうせ、食事や排せつ、散歩をねだって夜鳴きする機能でも付けようとしたのだろう。

 そもそも、犬のかたちである必要もなかった。


 ≪中央≫から貸し出される天使には、人間の鼻には感じられない香りが血管内に注入されている。天使の自浄作用により、皮膚表面から徐々に体外へ排出される仕組みになっている。香りはブレンドによって無限のパターン数を持ち、特定の天使を追跡可能にするものだ。


 俺の携行端末機にも追跡機能は備わっているのだが、端末機の使用履歴を洗われれば、セラヴァーナを追いかけた事実を隠しきれない。そうなれば、ノエルが依頼を引き受けた意味が無くなってしまう。この一連の行動は、あくまで、ノエルが自主的に行っていることだ。と誰に向けるでもなく自分の心に言い訳する。


 ロボット犬を連れたノエルのすがたが珍しいのか――今、ギド様って聞こえたぞ、自然と街の住人の視線を集めてしまう。人の注目を浴びるのは慣れない。「一枚良いですか」と聞かれたので、「仕事中だ」と答えると、「ガチ勢!」と逆に嬉しがられるのは……度しがたい!


 だがそれも表層、表の道のことだ。路地を一本、二本、あえて細い道を選ぶころには、秋葉原の住人でさえ近寄りたがらない光景が広がり始める。


 秋葉原という街が、戦後の闇市に起源をおくというのなら納得の光景だ。

 いまは戦後であり、そしてここは闇市だ。

 人の闇をかき集めた闇市だ。


 戦時中に造られた人類の狂気の数々が集められ、露店の軒先を賑わせている。

 懐かしくもあり、苦々しくもある。


 薬蟲アリ〼。

 ダイエット効果アリ〼。


 軒に下がった謳い文句の木札を見つけ、目を商品にやれば、硝子瓶のなかには白い糸のような線虫の群れがうねりを見せていた。胃酸のなかを泳ぎまわり、小腸に住み着いた線虫は、宿主が口にした食事を養分として、アンフェタミン等の苦痛や疲労を忘れさせる薬物を合成する。


 単性生殖により数を増やし、肉体が薬物耐性を得るよりも早く薬効は強くなる。だがいずれ小腸内部は線虫に埋め尽くされ、口にするものすべてが薬物に変換されてしまうと、当然のように飢餓状態が訪れる。ここまでくると、もはや折り返し不可能だ。物理的に線虫を取り除けば激しい禁断症状に襲われて狂死し、線虫を残しておけば栄養失調で死に至る。かといって餌の食事を与えなければ、線虫は宿主の内臓を食い破り始める始末だ。


 だが、これでも戦時中は役に立つ道具だった。

 末期症状が現れるまで、生きていられることのほうが珍しかったからだ。

 なにしろ、線虫に殺されるよりも、天使に殺されてしまう可能性のほうが遥かに高かった。


「オニイサン、ムシ、興味アル?」と露店の店主。

 編み笠帽を目深にかぶり、喉を潰した声は、男か女かも分からない。


「いや、懐かしいと思っただけだ。いまではダイエットに使われているのか?」


「食ベテモ、太ラナイ。元気、イッパイ。女性ニ、売レスジ」


「生憎、ダイエットとは無縁の身でね」


 すでに抜き身の天使儀杖を軽く振ってみせる。


「コワイ、コワイ」と言いながらも、店主の声には歪んだ笑い声が込められていた。


 天使の群れに追われ、大陸から逃げ延びてきた難民の生き残りなのだろう。

 箱詰めにされた天使を目の前にして、暗い喜びの表情を口元に浮かべている。


 帝都民を飼いならすための最低生活金保証制度(ベーシックインカム)だが、帝都民ではない彼らにまでは適応されない。


 だが、食わなければ人は死ぬのだから、彼らにも仕事や商売は必要だ。

 秋葉原の闇市は、そんな彼らの受け皿として存在している。


 帝都軍警察も、藪をつついて蛇を出すような真似はしない。

 なにしろ軍警察自身が闇市の闇を利用しているのだから、無くなってしまっては困るのだ。


 露店の商品を眺めて冷やかしだけに留めるつもりだったが、わずかに直感が疼いた。


「乾燥卵と虫下しをセットで、ひとつ」と無駄な買い物をする。


 これはジンクスのようなものだった。

 十のうち八、九は無駄に終わるのだが、十にひとつの無駄が勝利の鍵となったことも多い。


 人間のこういった不合理な行動の積み重ねが、天使の機械的な計算では予測のつかない間違い引き出すのだ。


「そーちゃん、早くするのです。セラちゃんは近いのですよ」


「わかった、今行く」と答える俺の服の裾が掴まれた。


「オニイサン、イイ人、ダカラ忠告」


「忠告? ――なんだ?」


「魔弾ニ、気ヲ付ケル。モウ、何人モ殺サレタ」


「忠告に感謝する。それじゃあ、また機会があれば」


「私ニ触ラレテ、驚カナイ。オニイサン、イイ人。イイ人カラ死ヌ。ダカラ気ヲ付ケテ」


 女性、だったのだろうか。

 編み笠帽のしたの皮膚は無数のフジツボに寄生された岩のようにゴツゴツと、戦争の後遺症を色濃く残していた。


 使い捨ての兵士に与えられる人体強化薬の後遺症だ。

 人体強化薬は人間の皮膚を硬化させ、天使の爆撃にも耐えられる外骨格に作り替える。

 ただし変化は不可逆で、一度使ってしまえば死ぬまで、いや、死後も永遠に、というたぐいのものだ。ただの火で焼いたところで、岩の肌は岩として残り続ける。


「治したいか?」と俺は天使儀杖を揺らす。


 だが、


「コレガ、私ノ選ンダ人生」


 彼女は、自分の人生を受け入れているようだった。


(きょく)なれば則ち(まっとう)し、というやつか」と老子を持ち出す。


 醜ければこそ、女として食い物にされずに済んでいるのだ。

 下手な同情から彼女の皮膚を治せば、途端、闇市の闇は彼女を飲み込むのだろう。

 諦めの色が混じったいびつな笑顔を、少しだけ上げた編み笠帽の隙間から覗かせた。


 ロボット犬の導くままに闇市を行く。

 闇市というと響きは悪いが、これで外からの客にとっては安全な市場だ。


 暴力で君臨する元締めが、それぞれの闇市にはあり、彼らは外来の客を歓迎こそすれ、拒絶はしない。少なくとも客であるうちは、適度に金を落としているうちは安全である。安全な顔で歓迎し、闇市の外にはない刺激でもって底なしの沼に落とし込むのが彼らのやり口だ。


 二度、三度、闇市に足を踏み入れて安心感を覚え、秋葉原の通を名乗り始めた頃合いが、一番にハマりやすい。


 財布のなかの金が尽きるまでは、あるいは、売れる臓器がなくなるまでは、上客として扱ってもらえる。その後は、自業自得というやつだ。こういう種類の罠は、なにも秋葉原の闇市にかぎったものでもない。どこにでも潜む罠だ。


 ほどなくして、男のほうは見つかった。

 コンビニオーナーの息子、接客業にはとことん向いていない無精ひげの彼だ。


 さすがにコンビニの制服を着てはいないし、愛の逃避行の前には風呂にでも入ったのか、いつもの無精ひげも見当たらない。こざっぱりとしすぎて、一瞬、誰だろう? と首をひねった。


 ひどく暴力を受けたらしく、商業ビル跡地の砂利のうえ、ビルの壁を背もたれにして足を放り出した姿勢で空を仰いでいた。


「そーちゃん、ノエルが男の人を発見したのです!」


「うん、そうだな。危ないから、ノエルはそこでまっていなさい」


「はい、なのです! ノエルと犬は、そーちゃんをここで待つのです!」


 砂利のうえに足を踏み入れようとして、周囲の視線が一斉に集中したのを感じる。

 雑踏のざわめきが唐突に消え、突然の静寂に耳鳴りを覚えた。


 この空白の土地は、ひとつの緩衝地帯だ。こちらの道とあちらの道、こちらの闇市とあちらの闇市をつなぐ近道に見えて、だが、どちらの暴力にも属さない空白地帯である。軍警察の法も、闇市の法も及ぶことのない真の空白。完全な無法地帯だ。


 すぐそこに倒れている男を助けようとしないのは、闇市の人間が無慈悲だからというわけではない。ここに足を踏み入れることが、闇市同士の抗争の火種になりうるからだ。


 1辺10メートルにも満たない小さな空間。

 だが、闇市の法を知る人間ならば誰も足を踏み入れようとはしない。

 この、たった10メートルのなかでは、どんな無法も許されると知っているからだ。

 盗み、犯し、殺し、それがたとえ天使に(まつ)わるものでも、この空間のなかでは許される。

 いや、この場合は許すも許さないも存在しない。

 審判者が不在であると表現すべきか。


 一歩、二歩、足を踏み入れる。


 上下する胸の動きから、彼が生きていることは確認できた。意識もあるようだ。だが、この場から動こうとしないのは、動くだけの気力を失っているからなのだろう。近づいてくる俺の足音にも関心がわかないようだ。戦場ではよく見かけた、諦めきった人間のすがただった。


「どうした。セラヴァーナを攫われ、自分ひとり置いて行かれでもしたのか?」


 俺の挑発の言葉に応えるだけの気力は残っていたのか、睨みつけるような視線だけが向けられた。


 男の唇の端が、にやり、と歪んだ。


 自嘲? それにしては――。


 罠。

 その匂いを嗅いだ瞬間に、地面を大きくえぐりながら飛びすさる。

 天使儀仗の力で超音速域に加速した知覚が、直上から訪れる高速の金属弾頭を捉えた。

 回避。だが、弾頭は軌道を変えて俺の動きを追随する。


「追尾弾頭?」


 儀杖で追いかけてきた弾頭の軌跡を横殴りに弾き飛ばす。

 しかし弾頭は弾道学を無視し。ありえない鋭角をもって再度、襲いくる。


「しつこい!!」


 二度、三度、襲い掛かる弾頭を儀杖で殴りつけるが、これでは拉致があかない。

 すでに銃弾としてのかたちさえ失っているのに、俺を襲う意思に変わりはない。

 このでたらめは、天使の奇跡によるものだ。


「――これは、因果のほうを捻じ曲げたか」


 奇跡の力で一射必中の運命を与えられた弾頭は、俺の頭を撃ち抜くまで、その突進を止めはしない。必中の運命を果たすまで、この弾頭は永遠に追いかけてくる。だが、そうやすやす、撃ち抜かれてやるつもりもない。天使儀杖で弾頭を叩き弾き返す。


 かなりの時間差を置いて、発砲音が聞こえた。


 銃弾の速度から逆算し、発射地点は闇市から3000メートル超。一方的に銃弾の雨を降らせられる距離だというのに、それをしようとはしない。必中の一射によほどの自信があるのか、あるいは狙撃手として用心深いのか。


 唐竹割り、直上から足元に向かって天使儀杖を振り下ろす。軌跡に挟んだ弾頭を砂利の地面にたたきつけ、浮き上がろうとする力を強引にねじ伏せる。ギャリギャリ。天使儀杖がまとう≪障壁≫の力場と高速回転する弾頭が激しく擦れ、金属が削れる甲高い音が響く。


 その姿勢のままに、1秒、2秒、外部からのさらなる追撃はない。

 敵は、二射、三射と追撃を加えることよりも、狙撃位置の隠蔽を優先するタイプらしい。

 いまから音の方角へ走っても、すでに身を隠した後だろう。


「挑発は無駄か。焼け、ウリエル」


 天使儀杖がまとった炎で、金属弾頭を原子単位にまで分解する。原子単位に引き千切られた金属のガスは、肌の表面に当たり多少の熱を感じさせたが、銃弾のように頭を貫くようなことはなかった。


「おまえの仲間、というわけでもないか。これは、どういうことだ?」


 罠、が不発に終わったところで尋ねる。

 さすがに、この男が糸を引いたとも思えなかった。


「俺も知らねぇよ。俺に近づこうとするやつは、みんな、頭を撃ち抜かれた。一番にそうなって欲しいアンタにかぎって、そうならなかったのは残念だけどな」


 彼は単純に、ふてくされてビルの壁に背中をあずけていただけらしい。


 そして彼に近づこうとするもの、天使の違法取引現場に近づこうとする処刑人の頭を、空から鋭角に降り注ぐ弾丸が撃ち抜いたのだろう。


 この男が殺されていないのは、生餌として、この場に残されたからだ。

 だが、人が殺されるのを目の前にして、思うところは無かったのだろうか?


「そんな目をするなよ。俺だって、逃げようとはしたんだぜ? でも、少しでも動けば銃弾が飛んでくるんだから、ここから動けなかったんだよ。見てくれよこの靴の穴。これ、器用に小指だけ無くなってるんだぜ?」


 よく見れば、彼の靴先、スニーカーには穴が開いていた。穴の大きさのわりに出血量が少ないのは、貫通と同時に傷口を焼かれたせいだろう。長射程の銃弾特有のものだ。


 空気との摩擦がそのまま熱量となり、奇跡の力もあいまって、焼きゴテを押し当てたかのような傷を残したのだ。


 どちらにせよ、無くなった足の小指が戻るわけでもない。

 失血死や感染症の心配がなくて、むしろ儲けものといったところだ。


「そうか。それで、セラヴァーナはどうした?」


「攫われた。俺はぶん殴られて気絶した。で、目が覚めたらここから出られなくなっていた」


「セラヴァーナが攫われてから何時間になる?」


 男が時間を確認しようと携行端末機を取り出すと着信が入った。一度、俺の顔を見上げたが、流れとして着信を受け取り耳に当てると、「アンタにだ」と投げてよこす。俺が耳を当てると一言、


「――ザミエル」とだけ。


 通信は切れた。


「アンタに、なんの用だったんだ?」


「宣戦布告のつもりだろう。戦争を忘れられない戦争中毒者には多いことだ。飛鳥(ひちょう)尽きて良弓(くら)ると世にいうが、猟師を蔵のなかに閉じ込めておくわけにもいかないだろう?」


 史記の引用だったが、目の前の彼にはピンとこなかったらしい。


 戦場でどれだけ活躍した兵士も、相対的に平和な社会では、逆に必要とされないものだ。必要なのは民間人を恫喝するだけの見せかけの武力であって、街を焼くような大火は要らない。突出しすぎた暴力は、平和のなかでは、むしろ持て余すばかりだ。


 だが、戦場と日常の、兵器と自分の境界線が曖昧になってしまった者達にとって、敵のいない平和な時間は耐えがたい。


 戦ってこその兵士だ。

 使われてこその兵器だ。

 兵士でも兵器でもない人間の自分など、狙撃手の彼はすでに忘れてしまっているのだ。


 人間の名前ではなく天使の名前、ザミエル、と名乗ったことからも、もはや自分と天使儀杖の境目が分からなくなっているのだろう。調律機関がもたらすシームレスな(よどみない)接続は、機械と自分、天使儀杖と自分の境界線を曖昧にしてしまうものだった。


「それでアンタは、どうするんだ?」


「セラヴァーナを追う。彼女を連れ戻すよう、おまえの母親から依頼を受けている。彼女をどういう意図で攫ったにせよ、この短時間では、それほど遠くにまで連れては行けないはずだ。まだ、間に合う」


「待てよ。俺も行く。アンタには、アンタにだけは、頼るわけにはいかねぇんだよ」


 なぜ、この男は意固地になるのだろうか。

 ただの足手まといだと、自分で自分の状態を判断できない年齢でもないだろうに。


 ふと、思う。


 俺が武蔵小金井のコンビニに入ると、毎晩のように店先に出てきたのは、なにかの当てつけだったのだろうか。自分の兄が焼き殺されたことを恨みに思っての行動だったのか。そうすれば、俺の良心が痛むとでも、と思えば彼の行動のすべてに納得がいった。あの無愛想な挨拶も。


 むしろ、なぜ今まで気がつかなかったのか、不思議に思う。

 どうやら俺も、相当な戦争中毒者であったらしい。

 薄っすらと笑みが漏れた。


「命の保証はしない。むしろ、邪魔になれば焼き殺す。それでも良ければついてこい」


 焼き殺す、という脅し文句にピクリと肩を振るわせたが、あえての挑発と気付いたのだろう。


「ああ、望むところだ」


 と彼のなかの男が言った。



・・・つづく


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― 新着の感想 ―
[一言] とても面白いです!!! また投稿されるのを楽しみにしてます!!!!
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