011
秋葉原の街。
路上のガードレールに腰かけて道行く人を眺めていた。
ここが池袋や渋谷なら衣服のファッションセンスが問われるところだが、ここ秋葉原で問われるのは情熱だ。いま、一頭のケンタウロスが、俺とノエルの前をカッポカッポと歩き去っていった。
天使から生まれた第三の福音、調律機関だ。
調律機関は、脳と機械をシームレスに接続する端末装置で、機械の手足を生身同然に扱うことを可能とする。補助電脳の価格によっては、自分の手足以上の精密さで扱うことも可能である。
手足や知覚を機械的に拡張する調律機関は、元は戦争の傷病人の治療目的として造られたものだったが、軍の技術が民間に降ろされて以来、ここ秋葉原では独自の進化を遂げてきた。
いま歩き去ったのはファンタジー世界のケンタウロスだが、つぎに歩いていくのは未来世界のロボットである。
人体を直接に機械化するサイバネティック技術は医療行為の延長として法律で禁止されているものの、こうして人体の外に機械のパーツを継ぎ足すことには制限がない。
つぎに俺とノエルの前を通り過ぎていくのは背中から無数の手を生やした千手観音像だ。足取りがおぼつかない。機械の手を何十本と背負っているのだから、その重量は足腰にくるのだろう。だが、オシャレは我慢と過去の偉人も――それが誰かは知らないが、言っている。
これは人なのか人ではないのか、曖昧なものの判別がつかないノエルが、一人一人のおしゃれを目の前にしては、おろおろしていた。
「そーちゃん、あの人は人間さんなのですか!?」
「たぶんな」
「そーちゃん、あの人も人間さんなのですか!?」
「きっとな」
知的探求心が満たされることに喜びを感じているのか、ノエルの表情はいつにもまして明るい。
一方で俺は、暗い顔をして悩んでいた。
「そーちゃん、なにかお悩みさんですか?」
「うむ。キクリのやつが怒ってただろう? なにが原因なのかと思ってな」
「キクリちゃん、怒っていたのです。それはもう、かんかんに怒っていたのです」
どうして秋葉原の路上で時間を潰しているのかといえば、顔を怒りで真っ赤に染めたキクリに店から追い出されたからだった。
いったい、なにがいけなかったのだろうか、と自分に問いかける。
「AもBも、たいした違いなど無いだろう?」と言ったことだろうか。
「以前は一緒にお風呂に入った仲じゃないか?」と言ったことだろうか。
「昔は、お兄ちゃん、お兄ちゃんと呼んでくれたのに……」と言ったことだろうか。
年頃の乙女の気持ちは分からないものだ。
俺が弁明をすればするほどに、キクリの怒りは収まりがつかないものになった。
「ノエルには、キクリが怒った原因は分かるか?」
「わかるのです」と自信満々。
「わかるのか!? 教えてくれ」
「キクリちゃんも年頃の乙女、おっぱいが大きくなったことを褒めて欲しかったのです。そーちゃんは、キクリちゃんを褒めてあげるのです。それから、撫でなでしてあげるのです」
「胸を撫でるのは、さすがに不味いだろう?」
「頭のことなのですよ、そーちゃん……」
ノエルの言うことにも一理ある。
娘が成長したなら褒めてやるべきで、頭ごなしに否定するべきではなかった。
これは俺が悪い。
むしろ祝い事なのだ。お祝いなら贈り物が一番だ。つぎに顔をだすときには、可愛い下着の一着も用意していくことにしよう。
奇操堂のおやじさんは男親ということもあって、そういうところに気が回らないからな。
「そーちゃんのお顔が明るくなったのです。ノエルのおかげですか?」
「ああ、ノエルのおかげだ」と頭を撫でた。
「ノエルも、そーちゃんに、おっぱいを撫でなでしてもらえば大きくなるですか?」
「なりません」
誰だ、ノエルに変なことを教えたやつは。
好奇心が旺盛なのは良いことだが、こうしてときおり奇妙な知識を拾ってくるから困る。
ノエルの自由をあまり縛りたくはないのだが、野放図な自由も認めていられない。
ジレンマだ。
「おう、珍しいところに珍しい二人が居るじゃあねぇか」と男の声。
視線をあげれば、そこには電光掲示板があった。
「バケツ頭か、おまえこそ珍しい……って訳じゃあないか」
「おうよ、秋葉原は俺っちのホームグラウンドだ」とむしろ秋葉原以外が敵地な男が言う。
バケツ頭。戦争で手足と内臓の大半、それから顔面の半分を失った彼は、機械の身体を与えられて蘇った。戦場で肩を並べて戦った戦友のひとりだ。日常の生活に戻ってからは表情がないのは不便なのか、トレードマークのバケツ頭に電光掲示板を貼りつけて暮らしている。
この秋葉原では、そういう恰好として街の住人たちに受け入れらていれるが、ここが武蔵小金井なら、いつ軍警察が飛んできてもおかしくはない格好だ。
戦地仕様の手足を日常のものに取り換えれば、傷痍年金と最低生活金で悠々自適に暮らしていけるものを、なんの因果か、処刑人をやめられないでいる。――戦争中毒のひとりだ。
「今日は奇操堂に用があってきた。バケツ頭こそ、真昼間からなにをやってるんだ? おまえの専門は吸血鬼だろう?」
「俺っちだって昼間に歩きたい気分のときはあるさ。と言いたいところだが、別件だ。吸血鬼関連の情報を追っているうちに、金儲けになりそうな良い儲け話を見つけてな」
「そうか戦友。それはどんな儲け話なんだ?」
「天使の国外逃亡に吸血鬼の連中が一枚かんでいるって噂だ。取引の現場に、俺っちの足元、この秋葉原が使われてるとなっちゃあ黙っていられねぇ。……で、ここから先は取引だな」
天使に対して帝国よりも寛容な扱いをみせる国々も多い。この帝都で、奴隷や家畜、それ以下の扱いを受ける天使を目の前にして、良心を痛める人間も多い。さらに彼女たちは美しい。憐憫と恋情が混じりあえば、感情の暴走を抑えきれない若い男性も数多く居ることだろう。
天使の誘拐は死刑、国外逃亡の共犯者も死刑、二重に死刑だ。
重罰を理解しながらそれでも罪に手を染める理由は、金か愛、そのどちらかだと昔から相場は決まっている。
しかし、そこに吸血鬼が絡んでくるというのは腑に落ちない。
吸血鬼。戦時中、天使を兵器化するうえで行われた実験の副産物である。天使の血管に人間の血を流し込み造られた彼女たちは、天使の力と人間の自由意思をもつ、天使にも人間にも恨みをいだく戦争の忌み子たちだ。
人間の自由意思を持つことと人間の味方をすることは話が別だ。むしろ、実験と称して自分たちの肉体を切り刻んだ人間を恨むほうが当然ともいえる。
戦場の混乱に乗じて逃げ延びた吸血鬼たちは、だがその後、定期的に人の血液を摂取しなければ自由意思を失う恐怖に襲われることになった。吸血鬼と呼ばれるようになったのは、人間を襲い始めた、その後だ。
人間を憎み、人間に憎まれる彼女たちが、人と天使の恋の橋渡しなどするものだろうか?
なにかの違和感を覚える。
「俺がもつカードは、虐げられた哀れな天使に恋をして、逃避行に走った若い男女が一組だ。だが、ここから先は取引無しだ。すこしだけ複雑な事情があってな」
「セラちゃんなのです! ノエルは、セラちゃんを探しているのです! ロボットさんは、セラちゃんのことをご存知ですか?」
「おい、お前さんの天使から、情報がダダ洩れてるぞ?」
「……わざとだ」
「嘘つけ」
バケツ男が、不敵な笑みを浮かべた――ような気がする。わからん。
電光掲示板に彼の表情は示されているが、それも彼の気分ひとつだ。
嘘の表情を浮かべられる電光掲示板を信用はできない。
電子音声、というのも厄介な相手だ。
人間ならあるはずの、嘘特有の声の上擦りや緊張といったものも見つけることができない。
ともに肩を並べたはずの戦友さえ疑わなければならないとは、世界も複雑になったものだ。
敵と味方、天使と人類、ただそれだけに分かれていた、白と黒の単純な時代が懐かしい。
「まあ、戦友のよしみだ。ここは聞かなかったことにしておくぜ。セラヴァーナ、なんて、天使のことを俺っちは知らねぇしな。俺っちが興味をもつのは吸血鬼だけだ。――だろう?」
最初から俺の目的をわかっていて、近づいてきたのだろう。
あるいは、自分の獲物に手を出すな、という牽制だろうか。
戦争中毒のバケツ頭に必要なのは生死をかけた闘争で、もはや金銭が目的ではないのだ。
だが、
「セラちゃんのことを知らないですか……ロボットさんなのに。ロボットさんは賢くて、何でも知っているはずなのに……」
ノエルが膝から崩れ落ちた。
まるで、最後の希望が潰えたかのようだ。
ノエルがロボットにどんな幻想を抱いていたのかはしらないが、たしかに、テレビに出てくるロボットは、理不尽なまでに何でも知ってる万能の存在だ。
「お、落ち込むなよノエル、まるで俺っちが悪いみたいじゃねぇか」
「ノエル、許してやれ。ロボットといってもこいつはポンコツなんだ。知らないことがあっても仕方がない。ロボットでもポンコツだからな」
「許すのです。ノエルは、ロボットさんがポンコツさんでも許すのです。ポンコツさんが良い博士さんと巡り合って、アップデートされる日があらんことを、ノエルは神に祈るのです」
ロボットが天使に祈られるとは、世も末だ。
「わかったよ!! 言えば良いんだろ!? セラヴァーナは、今朝の早くに秋葉原に来た。それは間違いない。新顔の天使が降臨したと街ではすでに噂だ。ついでに言っておくと、おまえさんらも噂になってるぞ。灰羽x天使のギドさまコス、再現度たけー、らしいぞ」
「まったくもって、意味がわからんな」
身内だけで通じる用語を使うな。
略語を使ってい良いのは、秒を争う戦場だけだ。
「灰羽x天使ってのはアニメの題名だ。で、幼い天使を連れた処刑人が主人公だ。昼はパッとしないバンドマン、夜は天使を狩るダークヒーローって奴なんだが、知らねぇよなぁ……」
「知らんな。そのアニメの主人公と、俺が似てるってことか?」
「似てるどころか、本人だからな。そりゃあ、再現度たけーわ。まさか俺っちもアニメ化するとは思ってもみなかったからなぁ……」
「おい、キサマ、なにをやった?」
「……ちょっとな。ちょっとだけだぞ。画面映えする処刑人が知り合いに居ないかアニメ会社から取材を受けてな、ちょっとだけ資料提供の協力を……ちょっとだけだぞ?」
「よし、燃やそう。金属のロボットは可燃ゴミでいいんだよな?」
どうして処刑人が衆目を集めないよう偽装しているのか、目立ちたがり屋のこいつは、すっかりと忘れてしまったらしい。
「待て。落ち着け戦友。発端は俺っちだが、企画をねじ込んだのは六天堂のやつだ。軍警察ってところは汚ねぇよな。表現の自由をなんとも思わねぇ酷いやつらだぜ。スポンサーに圧力をかけて回るんだから、こいつは手に負えねぇよ」
六天堂シノの名前をだせば、俺が黙るとでも思っているのか。
まあ、黙るのだがな。
「お目当ての天使が秋葉原に立ち寄ったことは確かだ。監視カメラの目は誤魔化せても、秋葉住人の目は誤魔化せねぇ。秋葉の路地裏に入ったことまでは分かってる。そこから先は分からねぇ。分かっていたら俺っちが捕まえてる。これで貸し借りはチャラだぜ?」
「……チャラにするには足りないな。もう少しだけ足りない」
「そいつは強欲ってもんだろう。おい、戦友、俺っちからまだ何を聞きだそうってんだ?」
「情報は十分、必要なのは物資、おまえに用意してもらいたいものがある。金は払う」
「なんだ? 秋葉の住人である俺っちにしか用意できないものか? わかったよ、戦友。言ってみな? 表のものも、裏のものも、金さえ払えばなんだって用意してやるぜ?」
「バケツ頭、おまえに用意してもらいたいのは、女の子用の下着だ」




