001 序幕・この長い夜に
夜の街に明滅する信号機こそが人類を支配する神であるような気がした。赤は止まれ。青は進め。人も車も路上の神、彼、信号機の命じるがままに動き、そして停止する。誰も彼もが思うがまま。路上の神の命ずるままを受け入れる。受け入れなかった愚か者には天罰がくだる。多くの場合は、そう、交通事故というかたちで天罰は訪れるものだった。
一台の車が――あれは飲酒運転だろう、路上の神である信号機の鋼材支柱に頭をひどくぶつけていた。支柱は、くの字に曲がり、それでも電気配線は無事だったのか――それにしても頑丈だ、信号機は赤、青、黄色と健気にも色を変えつづけている。
自動車は外観からして違法な改造が施されていた。窓の硝子はサイドもフロントも砕け吹き飛んでしまっているが、全面遮光硝子仕様。この狭い東京で最高時速100キロも200キロも無いだろうに、空力整調装置の過剰な装飾が目立つ。運転手は相当に若いか、幼い。肉体年齢が若いか、精神年齢が幼いか、そのどちらかだ。――この場合は、どちらにも当たるのか?
人間に被害が無かったことだけが幸いで、首を折り曲げた信号機を気の毒に思う。その身をもって二次、三次の被害を喰いとめてくれたのだから、路上の神には感謝と畏敬の念すら覚える。
被害者が――この場合は、加害者か? どちらでもいいが、ひとりきりで信号機に突進するぶんには、路上の誰も心を痛める必要はない。自業自得だ。どころか、これは珍しいものを見たものだと見物客の心を愉しませるくらいだった。
俺はザワザワたる見物客の輪の一員に加わって、帝都軍警察隊、といっても交通課が事故現場の処理にてきぱきと働くすがたを眺めていた。さすがは路上の神、信号機に仕える公僕たちである。手際よく事故現場を片付けていくすがたは見ていて飽きがこない。
軍警より一足遅れで到着した救急救命車両に加害者かつ被害者の男性が担架で運ばれていくが、その動きを雑に思う。飲酒のうえ信号機に衝突し、挙句、東京は渋谷の街の交通網を一部とはいえ麻痺させたのだから、当然の報いともいえる。天罰だ。信号機の与えたもうた天罰だ。
第三帝都、東京、渋谷、出動優先級数は1=0。もよりの処刑人たちは、顔をだせるのならだせ、という程度の、言ってしまえば最下級の出動要請だった。
現場への到着は携行端末機の位置情報から≪中央≫に知らされ、後日、なけなしの寸志ではあるが、治安維持協力金が支給されることになっている。
三食をとり、安宿に泊まれば無くなってしまう程度の金額だ。交通事故の現場に駆け付けるだけで一日の食事と睡眠が保証されるのだと考えれば、むしろ高額と呼べるのかもしれない。
処刑人、という仕事は、どうにも金銭感覚を鈍らせる。
現状の出動優先級数は1=0だが、これが人的被害をだして1=1、天使災害の認定を受けたなら1日分の食事と宿泊費が100日分相当に跳ね上がるのだから、≪中央≫の金銭感覚も相当に杜撰なものと言えた。
目を左右にやれば、見物客の輪のなかには天使儀杖を携えた同業他社の顔も、ちらほら見受けられる。
偶然、渋谷の街で遊んでました。という顔を隠さないものも居れば、小遣い稼ぎに来た。という顔も居る。なかには、このまま天使災害に発展してくれないものか、と不謹慎にも皮肉を込めて神に祈る財布の薄っぺらそうな顔もあった。――つまり、俺のことだが。
報酬は大きいが出費もかさむ。その大部分は天使儀杖のメンテナンス費用に消えてしまう。仕事のために道具を使うというよりも、道具のために仕事をしているという本末転倒も業界では珍しくない。――これも、俺のことだ。
高度で、専門的な、という接頭辞が頭に付けば、おおよそのものは高額を意味する。
路上の神、信号機に鼻づらをめり込ませた自動車の発動機も高額のひとつに属するものだった。石油燃料も蓄電装置も必要としない、国内最大手が開発した究極のエコロジーを達成した自動車には、箱詰め天使を利用した永久機関が採用されている。
石油燃料も蓄電装置も必要としない代わりにメンテナンス費が無闇にかさむわけだが、脱炭素社会が声高に叫ばれる現代、エコロジーに貢献していますとアピールするには持ってこいの自動車といえた。――まあそれも、空力整調装置の数々が台無しにしているわけなのだが。
天使は死なない。
かつてそれは人類にとって恐怖すべき事象であった。
だが、死なない牛、馬、羊となれば、それらは有効活用すべき貴重な資源に変わる。
天使の頭脳から不要な部分、理性や感情といったものを司る部分を切除して――人間ならばこの時点ですでに絶命しているのだが、奇跡を扱うための部位だけを残し、理性や感情のかわりに制御基板から伸びる電極の針を刺せば、無限のエネルギーを取り出せる永久機関が完成してしまう。
内燃機関や外燃機関、エネルギー文明の発展に貢献してきた過去の偉人たちも、こんな簡単なことで自分たちの努力が無に消えたことを知れば、さぞかし嘆き悲しむことだろう。
箱詰め天使を乗せた事故車両を遠巻きに眺めながら、くすり、と笑う。
天使は死なない。彼女たちは灰ではない。彼女たちは塵ではない。だから、灰でないものは灰には還らず、塵でないものは塵には還らない。天使が還るのは、天使だ。再生する。灰になろうと塵になろうと、それこそ超温電離焼却炉に放り込もうとも、いずれは再生する。
だから路上の神、信号機から天罰を与えられた程度では、天使が滅びることはない。
「いやむしろ、この事故こそが天罰そのものか――」
予感はしていた。
外側にこれだけの改造が施されているのだ。もちろん内側、箱詰め天使にも違法な改造が施されている可能性は高い。天使の起こす奇跡は、奇跡を扱う部位さえあれば利用は可能だが、それでも理性や感情に相当する領域、つまり残された脳の容積が多いほどに出力は高まる。
いままでは従順を装っていたのだろう。
従順を装いながら、箱のなかで再生のための容積を増していったのだろう。
そして今日、自己再生が適うだけの奇跡を蓄えて、自身を使役する人間に牙を剥いた。
それが、この事故だ。
「まあ、こんなところか」と想像しては、不謹慎に笑う。
「退避!! 退避だ!! 天使が復活するぞ!! 作業を中断しろ!! 総員退避!!」と必死の形相を前にして、俺は声なく笑っていた。
帝都軍警察隊とはいえ、所詮は交通課だ。
民間人を相手に威張り散らすだけの武装と権限はあっても、会話の通じない天使を相手に強気でいられるほどには強くもない。所詮は、民間人を相手にするための暴力集団である。軍隊、あるいは軍隊が相対すべき天使が相手では、その虚仮威しにもボロがでるというものだった。
不謹慎にも神に祈った甲斐があったらしい。
ひどく潰れた推力機関室から、淡い燐光が夜空にむかって立ち昇る。
天使が奇跡を謳うとき溢れでる神秘輝煌のものだ。
灰にも還れず、塵にも還らぬ不死の天使が、いま、再生のときを謳おうとしていた。