エイナード2
イシュルが転移魔法で家の前に現れると、中からは酷く興奮した行商人の怒鳴り声が響いていた。
「一体何をしていたんだこのノロマが!!何のためにお前を雇ったと思っている!!!」
「………………っ申し訳…ありま…」
「ええい黙れ! お前の謝罪にあの坊主ほどの価値があるとでも思っているのか!」
相手はどうやら、先程の用心棒の少女ーーリフェリアのようだ。
イシュルはため息をつくと採取した薬草を荷物の奥底に入れ直し、何食わぬ顔で扉を開けた。
「何かあったのですか?」
「! お、おお…レイン! 戻ってきたのか!? い、いったい何故…」
そう言えばそんな適当な名を名乗ったのだった、と思い出し、イシュルは意識してへらりと気の抜けた顔で笑って見せる。
「この辺りを見学しておこうとちょっと外に出ていたのですが…何か問題が?」
「け、見学……そうか見学か! いやいや何でも無いさ! いやー良かった良かった」
明らかにほっとした様子の行商人は汗を拭いながら頷く。
おそらく、帰ってきた行商人は家の中にイシュルが居ないことを知り、自分の企みに気付いて逃げられたのではないかと焦ったのだろう。
いったいどれほどの大口と話をつけてきたのかは知らないが、金になるはずの商品が消えたとあれば、さぞ肝が冷える思いだったに違いない。
何故止めなかったのかとリフェリアを怒鳴りつけていたことなど無かったかのように、行商人は豪快に笑ってイシュルの肩を叩いた。
「疲れただろう、食事の用意をしてあるから広間に来るといい」
「…何から何までありがとうございます」
にっこりと笑ったイシュルに、行商人は脂汗のにじんだ口元を緩ませた。
カチャカチャと音を立てる酷く不愉快な行商人のカトラリーの音を聞きながら、イシュルはわざと平民のようなマナーを装って食事をした。
見たところこの世界の礼儀作法は前世とほとんど変わらず、王族であったイシュルは当然、完璧な礼儀作法で食事をすることは可能だった。
しかしただの田舎者であるイシュルがそのマナーを身につけているのはあまりにも不自然なため、あえて最低限不快にならない程度の仕草でもってこの場を切り抜けることにしたのだった。
「どうだね、料理の味は」
「とても美味しいです。食材や調理法にこだわっているのですね」
「そうだろう」と大口を開けて笑う行商人を横目に、イシュルはバレないように部屋をぐるりと見回した。
壁には豪華な絵画や調度品が並べられており、部屋の隅に並ぶ使用人も下手をすれば末端貴族ほどの数がいる。
(随分と稼いでいるようだ…)
この部屋にあるのは、荷馬車に乗っていた安っぽいつくりの品物とは似ても似つかない、正真正銘の高級品たちだ。
人間性と頭のつくりには難があるものの、目利きの腕は相当なようだ、とイシュルは皮肉げに胸中で笑った。
「そうだレイン、明日の予定はあるかね」
「午前には少し出ようと思っていますが」
突然視線をさまよわせ落ち着きが無くなった行商人に、イシュルは軽い様子でそう返す。
エイナードのせいで先程回収し切れなかった薬草を取り、ギルドに納めに行かなければならないのだ。
「そ、そうか。…それじゃあ、午後には少し付き合ってもらえないか」
「ええ。いったいどこへ?」
「まあまあ、明日になればわかるさ」
どこかソワソワしながらも、ニヤニヤとした笑みを隠せないでいる行商人は、ふと部屋の隅に控えているリフェリアに視線を移した。
「そうそう、明日の午前はそこの用心棒を連れていきなさい」
「え……よろしいのですか?」
「ああ構わないとも! この辺りはギルドもあって野蛮な冒険者たちがうろついてるんだ。ひ弱そうなお前さんに何かあっては困るからな」
「ありがとうございます」
(逃げないように見張りという訳か…用意周到なことだ)
行商人の作り笑いに作り笑いで返すと、イシュルはチラリとリフェリアの様子をうかがう。
煌めく鎧に身を包み、凛と伸びた背筋と燃えるような赤髪が眩しい少女は、酷く思いつめた表情で、俯いていた。
こんなタイトルのくせにエイナードは出てこない