行商人
生まれであるクルコ村を出てすぐ、イシュルは王都へ向かう道に立ち馬車を待っていた。
クルコ村は比較的王都から遠く、栄えていると言い難い村ではあるが、王都から港町へ向かう道の途中にある。
港町は他国との貿易や人の出入りが盛んな場所でもあるため、クルコ村を出てすぐのこの道は定期的に行商人の馬車が通るのだ。
その行商人にいくばくかの金を渡して途中まで乗せてもらうことはよくあることで、イシュルもそうしようと考えていた。
辺り一体を木と草に囲まれた高原を見渡し、イシュルは蒼とも碧ともとれる不思議な色合いの瞳を煌めかせる。
「良かった、ちょうど来たか」
そう呟いたイシュルからおよそ1キロほど、通常の人間であればその車輪の音を聞くことも、馬の影すら見ることも不可能であろう位置に、行商人の荷馬車が走っていた。
でっぷりと肥えた身体を質の良い生地で包み、馬に鞭を打って走らせるその男は、えらく上機嫌で荷台に積まれた荷物を見つめる。
(クヒヒ…今回は特別良い品が手に入った。早速王都に戻って馬鹿な貴族共に売り付けに行くとするか)
この男、王都で手広く様々な商品を取り扱っており、その客の多くは貴族など身分の高い者たちなのだが、信じられないことに、その品物の多くは売値に見合わない安物ばかりだった。
銅でできた飾りに金に見えるよう細工した安物の塗り粉で塗装したり、硝子玉に色を付けて「世界に1つの珠玉の逸品だ」と謳ったり。
海の向こうからそうした商品を安く買い付けては、見る目のない馬鹿な貴族めと心の内で嘲笑いつつ、今まで私服を肥やしてきたのだ。
今回もその手はずは上手く整った。
いつにも増して精巧な、完璧な偽物が多く手に入ったのだ。
後はこれを王都に持ち帰って綺麗に磨き上げ、さも名手が丹精込めて完成させたように口八丁手八丁で売りつければ良いだけ。
分厚い唇の隙間から隠しきれない笑いを漏らしていると、道の先に何やら人影が見えた。
「ん〜?」
目をこらすと、着ているものも粗末で荷物も少ない、ただの村人のようだ。
「フン、貧乏人が。誰があやつらのはした金程度で足代わりをするというのだ」
男は鼻息荒く顔を歪め、馬に打つ鞭を早める。
信じられるのは自分と金だけ。
自分が売る品物1つ分にも満たない金を握らされて、小汚い村人を運んでやるなど死んでも御免だ。
そう思いながら、せめてどんな顔か見てやろうと横目でその村人を見下ろした男は、その目が飛び出るほどにひん剥いて思わず声を漏らした。
どんな上質な糸にも適わぬような、透けてしまいそうなほど輝く金糸のような髪。
硝子玉では決して出せぬ輝きを秘めた、朝日に煌めく海のような瞳。
眩しい白い肌と、蕩けてしまいそうな甘い顔立ちの中にも見え隠れする凛と涼やかな色気。
女と見紛うばかりだが、格好はどう見ても男。
しかしこれだけの見目麗しい人間は、数多くの貴族を目にしてきた行商人ですらお目にかかったことはなかった。
行商人は慌てて馬を止め、転がり落ちるようにその男ーーーイシュルの前に躍り出た。
「お…お前さん…王都に行きたいのかね」
「ええ。馬車に載せていただけるとありがたいのですが……随分荷物が多いご様子ですので、致し方ありませんね」
これでもかというほどパンパンに荷物が詰められ紐できつく結ばれた荷台を見て、イシュルは困ったように微笑む。
その女神すら霞むような笑みに、行商人はとんでもないスピードで計算を始めていた。
(こやつが男であろうが女であろうがこの見た目は金になる。なに、こんな辺ぴな村の人間などちょっと上手いことを言えばすぐに騙せるに違いない。見世物小屋でも物好きな貴族でも当てはいくらでもあるんだ!)
行商人の目が爛々と輝いた。
しかしその表情をころりと人好きのするものへと変えると、手のひらを擦り合わせて大袈裟にまくし立てる。
「とんでもない! 困った時はお互い様だ。荷物は少しこの辺りに置かせてもらって、お前さん1人乗せるくらいは問題ないさ!」
「ですが…大切な商品なのでは? このような所で野ざらしにしても良いのですか?」
イシュルが首を傾げると、行商人はにっこりと笑って鷹揚に頷いた。
「もちろん! なに、この天気ではそうすぐに雨など降りそうもない。ちょっとくらいは構わんよ」
「ではお金を…」
「いい、いい! どうせついでだ」
そう言って行商人がいそいそと荷物の紐を取り外しにかかるのを見て、イシュルも「お手伝いします」と横に並んだ。
行商人は一瞬、見た目だけは素晴らしく高級そうな品物たちをぞんざいに扱っているところを見られることに躊躇いを感じたが、ただの村人に物の価値など分かるわけがないと思い直し、礼を言うに留めておいた。