『狂人のふり、の思想』・・・第二話
二、
㈠
思考回路をたどれば、誰だって過去に遡及できる。しかし、過去の虚栄ほど意味のないものはあるか。
例えば、病院で、気が狂うほど叫んだって、それが回復への証なら、要らない過去だ。
要らない過去ほど、しかし今を造っているものなのだ。振り返らなくても、財産に自然となっている。
昨日のことすら忘れて、家族で怒鳴りあっていたことも忘れていたら、家族は不審に思うだろう。
しかし、それが狂人のふりの成せる業なのだ。つまり、刹那に関係を遮断するということだ。
昨日の食事すら忘れていても、今、食事がとれるなら、別に昨日を思い出す必要はない。
㈡
必要なのは、賢い頭である。それが人生の刹那を積み上げていく。それは、賢者の石の様だ。
詩も面白いが、散文詩の方が面白い。リズムのある小説の様なものだ。簡単なことだ。
簡単なのは、実は狂人だからだ。狂人は狂人でないふりをしなければいけないのだ。
唖然として人を見るとき、人は泣いている。なぜ泣いているのか、自分にもよくわからない。
しかしまた、自己存在が他者を悲しみに追いやっているのだから、自己を振り返る必要がある。
それはそうだろう、人を傷つけることはしたくないし、されたくない。当たり前のことだ。
㈢
当たり前のことを当たり前に話すほど馬鹿らしいことはない、聞いてるだけで苦痛だ。
苦痛は、脳をダークに染め、芸術の形を変容させる。そしてまた、人の前で狂人のふりをする。
本当の狂人は常識人のことだ。常識とは観念にあるから、心が正常なら、観念をぶっ壊す。