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アイリス

作者: tuku



 草木が芽吹き桜も咲いて、獣は巣穴から出て餌を探す。人も生物も精力的に活動を再開する――そんな季節の事である。


 新品の制服に身を包んだ学生逹が希望を胸に門を潜り、共に切磋琢磨し合う友達、教師、ちょっと良い感じの異性との出会いを果たした入学式初日。

 早速出来た友人と最後までお互いの趣味を語り合っていた一組の学生が、教師に追われる形で帰路に着いた。窓辺から賑やかな声が遠のいていく。


「これだから春は嫌い」


『冬きたりなば春遠からじ』。英国の有名な詩人の言葉を思い浮かべながら、羽柴はしばひいらぎは毒づいた。


「そんな事言わないの。こんなにも過ごしやすい季節は無いものよ?」

「関係ないです。私にとって過ごしやすい季節なんてないし」

「もう、柊ちゃんてば……」


 場所は木造校舎の一階角部屋。初老の養護教諭が職務を全うする保健室にて、柊はいつものように寝そべっていた。

 三つ並んだベッドの窓際。去年一年間、柊の指定席である。


「だってそうじゃないですか。変に暖かいから冷房も暖房も付けづらいし、布団を掛けると汗を掻いちゃうもの。掛けないと今度は逆に寒いし」

「なら外に出ればいいじゃない。ほら、良いお天気よ? こんな日は散歩でもしてみたら?」


 それも嫌 と柊は突っぱねた。


「春になると虫が湧くもの。変な人も湧いてくるし……。春になるくらいならずっと冬の方がまだマシよ。虫は湧かない上に部屋は暖房付ければどうとでもなるし、それにコタツでぬくぬくするのは至高ね」


 それに私『柊』だし、と付け加えられた言葉に、養護教諭は一言、


「柊ちゃんは柔らかくて気持ちいい女の子よ。言葉にトゲがあるけど」

「先生……ちょっと微妙ですし、何だか少しオヤジくさいです」


 あらそーお? と自覚が無いのはご愛嬌か。柊はつられてふふっと笑う。


 もう普通に会話が成立する人はこの女性ひとだけになってしまった。他の人だともう駄目だ。会話が成り立たない上に何を喋っても面白くない。変に意識をして、空回りして、それが相手の頭の回転が悪いからだと気付いたのが二年前か。


 どうしてこうなってしまったのだろう。昔はこんなに捻くれてなかったのに。


「何か面白い事無いかな……」

「だから外に出れば幾らでもあるわよ。それに、ほら――いつも来てくれるあの子。柊ちゃんとしても満更じゃないと私は思ってるけど?」


 折角物憂げな横顔を演じてみても、この女性には全く通用しない。それ所か結構痛い所を突いてくるのがさすがと言える。

 柊は何とも言えない表情で、


「あいつの事は気にしないで下さい。先生には言ってなかった、というかわざと言わなかったんですけど、私とあいつは幼馴染みなんです。いつも来るっていっても、ようは監視みたいなものですよ」

「監視!? 結構可愛い子なのに、穏やかじゃないわねぇ」


 柊の母は名の知れた弁護士で、父は国会議員である。そしてここに頻繁に様子を見に来る男の子は父の子飼いの息子なのだ。


 父は世間体が重要な職業故、身内の不祥事など絶対に起こしてはならない。地方でも上位に位置する進学校で常に一位を叩き出す柊にさえ、監視の目が張り付くのは当然と言えた。


「そう、穏やかじゃないんです。だから先生は気にしないで下さい」


 自然と声が小さくなった。少し嫌な事を思いだしてしまう。


 あいつとはよく一緒に遊ぶ仲で、小さな頃から仲が良かった。お互いの好きなものも知ってるし、誕生日だって覚えている。正直気もあった。


 だけどあいつの素性を最近知って、途轍もないショックを憶えたのは記憶に新しい。出会った切っ掛けが、一人公園で遊んでいた所を話しかけられただけに。


「先生の事は頼りにしてます。だから私が卒業するまでの後二年、宜しくお願いしますね」

「もう、仕方のない子ね……」


 聡くて感情の機微に敏感なこの女性の事だ。それ以上の余計な詮索は控えてくれた。


「そうねぇ……ならこの花は一体どういうつもりなのかしら……?」


 その言葉に反応したのはほとんど無意識だったと思う。女性の視線の先を目で追うと、一つの鉢植えが窓辺の側に置いてあった。


「花……。アイリス……ですか?」

「あら、よく知ってるわね。柊ちゃんも女の子ね」


 どういう意味だと言いたくなったが、女性お得意の”からかい”が始まってしまうのでグッと堪える。


 アイリス――アヤメ科アヤメ属の植物。季節としては春に咲く花で、紫や黄色、多種多様な色の花弁がひらひらと大きいのが特徴的。ダッチアイリスやジャーマンアイリスと様々な名称があるが、総称的にアイリスと呼んで差し支えない。


 柊が春の中で唯一好きなもの。そしてアイリスの花弁が白いという事は、園芸品種――誰かが意図的に育てたという事も理解した。


「……それ、あいつが育てた花ですか?」

「そうよぉ? 去年の夏頃かしら……鉢植えを一つ置かせて下さい――なんて言い出してねぇ。柊ちゃんに会いに来る度に、必ず様子を確認するのよ。本当、私が水を上げた事なんて一度もないのよ?」


 よっぽど咲かせたかったのねぇ、としみじみ話す女性の言葉を、柊は話し半ばで聞いていた。


 頭を巡るのは花言葉。


 愛、吉報、あなたを大切にします、よい便り、希望、知恵……恋のメッセージ。


 ――ロマンチスト……いいえ、もう完全にナルシストよ! 花言葉を意識するあまり根付く花をここで育てるなんて……盲目にも程があるじゃない!


 昔からそうだった。鈍くさくて天然で、その癖夢見がちで。お世辞にも要領が良いとはとても言えない……でも何をするにも一生懸命な男の子。


「先生……ちょっと外、散歩してきます」

「……ふふ、行ってらっしゃい」


 言うが早いか、柊は身支度をして保健室から出て行った。きっとすぐ近くに居る。そんな確信を持って。



「ここも寂しくなっちゃうわね……」


 養護教諭の声は、寂しくも何処か嬉しさに満ちていた。





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