過去5・初めての戦闘と負傷
玄関の鍵は開いていた。扉を開けてアンダーウェアは家の中へと入る。
「廊下に血の足跡が点々と、ホラーですね」
ブーツを履いたまま土足で家の中へと。
廊下を進み扉を開けてリビングを見ればそこには惨状。
「ぐ、む……」
テーブルは倒れ、庭に続くガラスの戸は大きく割られてガラスの破片が散乱している。
カーペットの上には仰向けに倒れた女がひとり。首から下の胴体は刃物で滅多刺しにされ辺りには血が飛び散り、天井にまで血の跡がある。ピクリとも動かない女の腹は割かれて赤黒い内臓が床に溢れ落ちて生臭い臭気を放つ。
血と内臓と排泄物の臭いがリビングの中に充満する。
「ぐ、おぇ、む、ぐぐ」
「アンダーウェア! しっかりするまふ!」
アンダーウェアは身体を震わせ両手で口を覆う。背を丸めて俯き、こみ上げた胃液を口から出さないように唇を閉じてこらえて、
「うぐ、ごくん、えほっ、はぁ、はぁ」
逆流してきた胃液を強引に飲み戻して咳き込む。
「うぅ、バラされた人間なんて初めて生で見ましたよ。えほっ、見た目も酷いけれど、何よりこの臭いがヒドイ。吐きそうです。マフーさんは平気なんですか?」
「悪夢を相手にしてると、たまにこういうの見ることもあるまふ」
「魔法少女をやっていくには、けほっ、こういうことにも慣れないとダメですか」
「アンダーウェア、どうする? 一旦引き返す?」
「いえ、こんな惨状を起こす怪物を野放しにしてはダメでしょう。悪夢を追いかけます」
「根性あるまふ。アンダーウェアを選んだおいらの目は間違って無かったまふー。悪夢はそこから庭に出ていったみたいまふ」
「次の人間に取りつく前に見つけましょう。幸か不幸かこれで人質の心配は無くなりました」
アンダーウェアはリビングから廊下に戻る。
マフーはアンダーウェアに、
「アンダーウェア? 悪夢はそこから外に」
「その前にこの家の中に生きてる人がいないか確認させて下さい。その女の人があの男の妻なら、この家に他の家族がいるかもしれません。玄関の靴の数からは二人で住んでるとは思えないので」
「よく見てるまふ」
「その方は手遅れで死んでますが、私は2階を見て来ます。マフーさん、1階を見てもらえますか?」
「任せるまふー」
アンダーウェアはえづいて涙ぐんだ目を擦り2階に駆け上がる。
魔法少女の行動は本人に任せる。教導者はアドバイスはするけど行動は魔法少女が決める。
『他の教導者の中には細かく指示するのもいるけど、おいらは本人の自主性を大事にしたいまふ』
『いろいろ知ってるマフーさんが決めると効率がいいような気がしますが』
『おいらは魔法少女の力って本人の自主性や責任感も大事だと思うまふ。悪夢を相手にするには、気合いとか根性とか必要まふ。言われるがままに動く魔法少女はその力を発揮できないまふ』
『精神寄生体を相手にするには精神力が必要ですか。なるほど、意外に体育会系ですね。と、なれば私はこの魔法少女の力を私の思う正義の為に使えば良いと?』
『おいらもいろいろ口出しするけど、最後に決めるのはアンダーウェアまふ』
『それがマフーさんのやり方ですか。ならばマフーさんの期待に応えられるようにやってみましょう』
ここに来る前にバンの中でした話をマフーは思い出す。
――アンダーウェアはずいぶんとしっかりしてるまふ。でも、頭は良さそうなのに家出して飢え死にしかけるとか、いったいどういう子なの? 妙に割り切りが良すぎるし、初めて使う魔法でしたことは万引きとか。正義感は強そうだけど、なんだかおいらの知ってるこれまでの魔法少女とは、その正義の種類が違うような――
考えながらマフーは1階をチョコマカと調べていく。
和室ではひとりの老婆が全身を切り刻まれて死んでいた。
やがて上から2階を調べたアンダーウェアが階段を下りて来る。
「マフーさん、どうですか?」
「おばあさんがひとり死んでるまふ。あれは助からないまふ」
「そうですか。2階も男の子がひとりグサグサに刺されて死んでました」
アンダーウェアは片手で口を押さえたまま眉をしかめる。
「おぇ、医療に詳しくは無いですが、呼吸は無し、脈も無し。ここで私ができることはありませんので、悪夢を追いかけましょう」
「わかったまふー」
マフーはピョンと飛び上がりアンダーウェアは両手で受け止める。左の肩にマフーが掴まるようにして。
「外はまだ人目があるでしょう。マフーさん、私から離れないで下さいね。魔法隠蔽の効果から出てしまいますから」
「試してみたときにだいたい解ってるまふ。悪夢の痕跡から見る気配は、あっちまふ」
「駅の反対側ですね。では、行きます。『魔法隠蔽』」
姿を消して肩にマフーを乗せたアンダーウェアは家から庭に出る。庭の壁を駆け上がり路地に出る。そのころには悲鳴を聞いて出てきたのか、路地には家の方を見上げる人がポツポツといるが、誰もアンダーウェアの姿は見えない、気がつかない。
そんな人たちの脇を抜けてアンダーウェアは走り出す。
日が落ちて街灯の明かりが点くころ、路地を走るアンダーウェアは目的の悪夢を見つける。
「……大きな黒いヒトデ?」
全長約1.5メートル、その身体のあちこちに赤い線の入った黒い悪夢の姿は、まるで立って歩く大きな黒いヒトデ。
「手足というのですか? 4本を丸めていたので男に取りついてるときは丸く見えましたが、手足を伸ばすとあんな姿ですか」
「見つけたけど、どうする? アンダーウェア?」
「マフーさんは離れて下さい。武器が無いのを心配するのは解りますが、1度相手をしてみないと私がどれだけできるかも解りませんので」
アンダーウェアは自分のパンツの中に両手を入れる。
「『魔法収納』」
アンダーウェアが黒いパンツから取り出した手には、右手にサバイバルナイフ、左手にスタンガンが握られている。
「アンダーウェアの魔法って、なんなの?」
「さぁ? 私にもよくわかりません。パンツの中にいろいろしまえて便利としか。あとは魔法隠蔽で隠れて暗殺です。というか、私にはそれしかできなさそうです」
「危なくなったらすぐに逃げるまふ」
一言声をかけてマフーはアンダーウェアの肩から飛び下りる。
アンダーウェアから離れたマフーには、魔法隠蔽で隠れたアンダーウェアは見えない。少し先の路地には黒いヒトデがこちらに気がつかないまま、ペッタペッタとその黒い身体を揺らせて歩いていく。
このまま姿を隠したアンダーウェアが悪夢を攻撃できれば一方的な戦いになる。
――だけど、魔法少女の武器が無いと悪夢は消滅しない。アンダーウェアのパンチとかキックでトドメを刺せるまふ?――
マフーはこの一戦でアンダーウェアの能力を確かめようとする。魔法隠蔽は透明になったように姿は見えなくなり、音も消える。あとは試してみないと解らないが、匂いや体温を感知するものにどれだけ効果があるか。
――おいらの守護する指輪の持ち主なら、かなり離れてもおいらにはどこにいるか感知できる。そのおいらにも居所が解らない程のステルス。これならナイトメアにも気づかれずに――
マフーが考えながら悪夢を見ていると、黒いヒトデはいきなりクルリと振り向いて腕にあたる部分を裏拳のようにブンと振る。
「きゃあっ!」
「アンダーウェア!?」
路地のブロック壁に寄りかかるように立つアンダーウェアが姿を現す。
「え? あっさり見つかった?」
壁にはヒビが入り姿を現したアンダーウェアは左手が肘から先が、関節としては曲がってはいけない方にプラリと揺れる。
「アンダーウェア! 避けて!」
「く!」
壁に寄りかかるアンダーウェアの頭を狙って悪夢が触手を1本伸ばす。地面に立つ2本の触手が足だとすると、ヒトデらしくない腰の入った正拳突きのような一撃。
アンダーウェアは地面にゴロリと転がって避ける。
黒いヒトデの正拳突きでブロック壁が割れて白い粉が舞う。
「なんで魔法隠蔽が通じないんですか! コンビニの店員にも監視カメラにも見つから無かったのに!」
目に涙を滲ませて道路に転がり喚くアンダーウェアを、今度は黒いヒトデのサッカーボールキックが襲う。
アンダーウェアの白い長い髪が一瞬アンダーウェアを守るように広がって身体を包む。その髪ごと悪夢の蹴りがアンダーウェアの身体を蹴っ飛ばす。
「あああっ!」
「アンダーウェアー!」
蹴りあげられたときに、メキャという嫌な音があたりに響く。
3メートルは宙を飛び道路に落ちてゴロゴロと転がるアンダーウェア。マフーは慌ててアンダーウェアに駆け寄る。
アンダーウェアはヨロリと身を起こして頭を振ると、右手でマフーを抱える。
「マフー、さん、撤退、します」
「アンダーウェア? 目が泳いでるまふ!」
「頭、クラクラします」
見れば黒いヒトデはペッタペッタと歩いてくる。こちらに正面を向けた黒いヒトデの中央には大きな目玉がひとつある。
「くぅ、正面から見るとなんだか腹の立つ奴。中途半端にキモ可愛く見えるのが余計にムカつきますね」
「アンダーウェア。あいつは力はあるけどそんなに早くはなさそうまふ。魔法隠蔽で隠れて駅の方に」
アンダーウェアは振り返り走りながら、
「かけ直します。隠せ、『魔法隠蔽』しかし、駅の方に、ですか?」
「ホントはやりたくないけど仕方無いまふ。このまま人の多い方に逃げるまふ。人の多いところに逃げて悪夢が獲物の方に夢中になれば逃げられるまふ」
「魔法隠蔽で隠れてるのに、あいつには見えてるみたいですからね。しっかりと追いかけて来てるし。ふん、しかもヒトデのくせにアスリートのような走り方をして、グロいゆるキャラですか? イラッとしますね」
「あれはあれでコミカルな奴まふ。でもそこがカンに触るまふ」
アンダーウェアは右手にマフーを抱えて、左手をプラプラさせながらヨロヨロと走る。それでも変身して強化された肉体は速い。
その後ろを黒いヒトデが手?を振り膝?を高く上げてアスリートのようにスターン、スターン、と走って追いかけてくる。
「なんか、腹立つ奴まふ」
「気が合いますねマフーさん。私もです」
「アンダーウェア、身体は?」
「左手が痛くて動きません。右胸が痛くて頭がクラクラします。右の乳首の下を触ってみたらぐにゃっと凹んだので、これは肋骨折れてますね。こん畜生」
アンダーウェアは額に脂汗を浮かべ眉間に皺を寄せて駅前に向かって走る。悪夢はそれを軽やかに走って追いかける。
繁華街にまで逃げ続け人の合間をすり抜けるように走る、熊のぬいぐるみを抱えた下着姿の白髪の少女。追いかける大きな目玉がひとつある黒い大きなヒトデ。
異形の追いかけっこは誰にも見つからない。
それが見える人は誰もいない。すぐそばを通り抜けても気がつく人はひとりもいない。
魔法少女アンダーウェアの悪夢との初戦闘。
結果は敗北、負傷、そして逃走。