過去4・悪夢の発見、男は嘆く
黒髪の少女が町を歩く。アンダーウェアは変身せずに肩からスポーツバッグをひとつかけて、夕暮れの町を歩く。
駅からは仕事帰り、学校帰りの人が多い。誰もがややうつむき気味に家へと帰る。学生達はお喋りしながら歩き、並んで道を塞ぐように歩く彼らを追い抜いて帰り道を急ぐスーツ姿の男に女。
平日のいつもの駅前の夕方の風景。
そのなかにひとり地面を見ながらゆっくり歩く男がいる。夏なのに黒いハーフコート。口の中でブツブツと呟きながらフラフラとした足取りで歩いている。
変身前のアンダーウェアはその男から距離をとりながら、後を付ける。
アンダーウェアのスポーツバッグの中から声がする。
「見えてるまふ?」
「えぇ、見えますよ。あんなものがこれまで見えなかったとはいえ、人にとりついているとは」
「魔法少女になったことで見えるようになったまふ。あれはそろそろ成体になって取りついた人間から離れて動き出しそうまふ」
「あれが悪夢ですか」
アンダーウェアが後を付けるくたびれた姿の中年男。猫背に丸めた背中には黒い丸いものがくっついている。大きさは1メートル少し。赤い線がデタラメに描かれた盛り上がった影のような黒いもの。三角のトンガリ帽子を被ったように1ヵ所だけがツンと伸びている。
「ずいぶんと目立つリュックサックを背負ってますが、誰にも見えてないのですね」
「悪夢は精神体まふ。普通の人には見えないまふ。勘の鋭い子供にはたまに見えることもあるまふ」
「それでは人にはどうにもできませんね。それで魔法少女が必要ですか。魔法少女以外にはあれはどうにかできないのですか?」
「昔はお祓いとか退魔とかやってる人もいたまふ」
「幽霊とか悪霊みたいですね」
「本質は似てるのかも。悪夢は人の負の感情を増幅させて、それを食べて成長するまふ」
アンダーウェアはフラフラ歩く黒いハーフコートの男から20メートル離れて、その背中の黒い悪夢を視界の端で観察しながらゆっくりあるく。
中学校の制服を着て歩くアンダーウェアは学校帰りの学生に紛れている。
スポーツバッグの中にいるマフーに小声で話す。
「負の感情の増幅ですか。具体的にはどうなります? 悪夢に取り憑かれると」
「ちょっとしたことで苛立ったり落ち込んだりするようになるまふ。精神が不安定になって攻撃的になったりするまふ。これが拗れていくと殺人や自殺を起こしたりするまふ」
「そんなものがいるなんて、これまで知りませんでしたよ。厄介なのに悪夢のことを知る人はいませんか」
「知ってる人も極一分にはいるまふ。でもインチキ呼ばわりされて少なくなったまふ」
「そうなりますか。悪霊退治なんていうのは今ではインチキか詐欺になってしまいますか」
「だから魔法少女が必要まふ」
「なるほど。人の精神を歪めて罪を生み出すものは許しておけませんね」
「だけどここは人が多いまふ。巻き込まないようにするためにここで仕掛けるのはやめた方がいいまふ」
「私も変身した下着姿を皆に見てもらいたいなんて露出趣味はありませんよ。今回はあの男の家の住所を調べましょうか。このまま気づかれないように後を付けていきましょう」
フラフラと歩く男は地面を見ながらブツブツ呟いている。男が身体を揺らすたびに背中に乗った黒い悪夢から伸びたトンガリ帽子のような物体が右に左に揺れる。
「しかし、奇妙な形ですね。丸くみえますが手足を丸めて男にしがみついているのですか」
「悪夢は個体ごとにその姿はデタラメまふ。悪意を吸収してるからか人から見て不気味だったり気持ち悪かったりするまふ。アンダーウェアは大丈夫?」
「今のところは。あの黒い身体に入ってる赤い線が脈動してるように見えるのは、少し気色悪いですね。タイヤに赤いペンキを垂らしたような、血管の浮いた中華鍋のような」
「アンダーウェアのセンスも独特……」
二人が話ながら歩いていると、黒いハーフコートを着た男は一軒の家に入っていく。
「ふん、なかなか裕福そうな家に住んでいますね」
「これで住んでるところは解ったまふ」
「悪夢を人から引き剥がす方法はありますか?」
「魔法少女ならできるのもいるけど、そのためには武器を使うまふ。アンダーウェアには……」
「私には武器がありませんからね。では悪夢だけ殺すというのは?」
「取りついてる状態で悪夢を殺すと取り憑かれた人の精神にもダメージがあるまふ。場合よっては心が死ぬまふ」
「心が死ぬ、というのはつまりどうなります?」
「似てるものとしては、脳死? 植物状態?」
「それは避けたい事態ですね。では取り憑かれた人を先に殺した場合は?」
「悪夢は人から離れて逃げ出すか襲ってくるまふ」
「取り憑かれた人はまるで人質のようですね」
「その通りになってるまふ。魔法少女の武器があれば切り離したり叩き落としたりで、引き剥がすこともできるけど……」
「それが無いというのは困りましたね。ふむ、どうやってあの悪夢と闘いましょうか」
アンダーウェアはスポーツバッグの中をゴソゴソ探る。そのバッグに入った熊のぬいぐるみ、魔法少女の教導者のマフーはつぶらな瞳でアンダーウェアが手にとるものを見る。
「サバイバルナイフにスタンガン……」
「どちらも盗んできたものですが、武器となると、このあたりしか手に入りませんね。他の魔法少女は変身したら武器を持ってるものなんですよね?」
「普通は。武器を持って無い魔法少女はおいらは見たことないまふ。アンダーウェアが初めて」
「イヤな感じの史上初をいただきました。私ではマフーさんの期待に添えないかもしれません」
「たぶんアンダーウェアは支援型の魔法少女まふ。他の魔法少女と連携すると強いタイプまふ。きっと」
「そうでしょうか」
アンダーウェアは男の家を見上げる。わりと新しい2階建ての一軒家。
「とりあえず、この家を見張れるところを探して、夜中に『魔法隠蔽』で侵入して調べてみますか」
「今回は悪夢がどんなものか知ってほしいまふ。アンダーウェアは無理しないで」
「でも悪夢を倒すのが魔法少女の使命なんですよね」
と、アンダーウェアとマフーが話していると家の方から悲鳴が聞こえる。女の声、次いでガラスの割れるような音がする。
「なにか起きましたか。のんびりと様子見とはいきませんか。では乗り込みましょう」
「待って、先に準備するまふ。アンダーウェアは変身時間の長いタイプの魔法少女。先に変身しておくまふ」
「そうですね。今なら人通りもありませんし、変身して魔法隠蔽で隠れましょう。では、魔法変身」
左目で左手の中指に嵌めた指輪を覗きこむ。指輪に嵌められた鏡から灰色の光が溢れ、光が消えたときにはそこに変身したアンダーウェアが現れる。
長い白髪をなびかせた黒い下着姿の魔法少女が。
「まさか私がベビードールとパンツ姿で往来を出歩くことになるとは。魔法隠蔽がありがたいですね」
「うん、そうね。なんだか誘拐されてイタズラされそうになったところを必死で外に逃げ出した女の子みたいになってるまふ」
「下着姿で外に出る理由なんて、あまり無いですよね。寝ぼけて下着を着けないで学校に行ったときも制服は着てましたし」
「えーと、それはどうかと思うまふ」
「私はペッタン娘ですから、ブラを着けなくても誰にも気がつかれませんから、ふん」
「コメントしずらいまふ」
二人が見る先、家の玄関扉を開けて男が出てくる。
「うあぁ、あああああああ」
男は先ほどとは違い黒いハーフコートは脱いでいる。
「あああああああ」
顔も白いワイシャツも血塗れで、泣きながら外に出てくる。右手には血に濡れた包丁握り締めて、わあわあ泣きながら家の外に歩いていく。
「なんで? あー、みさ、あああああ、俺は、どうして? あああああ、うああああ」
離れた電柱の影に隠れてアンダーウェアは泣きわめく男を観察する。
「なんというか、いい歳をした男が子供のように泣くのは初めて見ました。血塗れですがケガをした様子も無いですね。その手の包丁で何をしましたか? まるでこの世の悲劇を全て味わったかのように号泣してますが」
「冷静に見えてアンダーウェアも動揺してるまふ。あの男に取り憑いていた悪夢がいなくなってるまふ」
「そうでした。どこに消えましたか? マフーさん、この場合あの男をつけた方がいいですか? 駅の方に向かって歩いてますが。それとも消えた悪夢を探した方がいいですか?」
「悪夢を探すまふ。まずは家の中を調べて悪夢の痕跡があればそれを追いかけて……」
そこまで言ってマフーはアンダーウェアを心配そうに見上げる。アンダーウェアは首を傾げて、
「どうしました? マフーさん?」
「あの家の中、かなり酷いことになってるんじゃないかな、と。アンダーウェアはそういうの見ても大丈夫?」
「あの男の姿が返り血なら、家の中は血塗れで誰か死んでるか出血多量で死にかけてるでしょうね」
「顔色が無いけど、平気?」
「変身後の私の肌は真っ白でもとから顔色は無さそうですけど、もしも家の中で助けられそうな人がいたら応急手当して救急車をよびましょうか」
「え、至極マトモまふ?」
「マフーさんは私を何だと思ってます? 私は少し小賢しいだけのマトモな女子中学生です。いえ、学校にはもう行かないので学生というのは過去形ですね。私は普通の14歳の女子です。では家の中に入りますよ」
アンダーウェアは右手にサバイバルナイフ、左手にマフーを抱えて家へと向かう。
マフーは腕の中でアンダーウェアを見上げる。
――アンダーウェアの言ったことはマトモなんだけど、そのアンダーウェアが真っ当に見えないのはなんで?