4・米は混ぜて売るのが常識と――
暗い、何も見えない。
「助けて……」
喉が渇く、腹が減った。
「誰か、助けてくれ……」
いつからこうしているのか、時間の感覚が無い。連れ去られて、縛られて、頭に袋を被せられて、どれだけ時が過ぎたのか。
後ろ手に縛られた指先は痺れて感覚が無い。
地面に芋虫のように転がされて身動きの取れないまま。床に毛布が敷かれているようで、そこに寝転んで放置されて。
なんで俺がこんな目に会うんだ? ここは何処なんだ?
ガチャン、と音が聞こえる。これは扉の開く音か? コツコツと聞こえるのは、足音か?
混乱する男が怯えるのに構わず、足音の主は倒れる男に近づき頭を覆う黒い袋を取る。
明かりは点いていても薄暗い倉庫の中。縛られて転がる男の頭から袋を取ったのは、黒い下着姿の長い白髪の少女。
「君は?」
仰向けに転がる男の口が開いた隙に、ペットボトルを男の口に捩じ込む白髪の少女。
「ごぶっ? げぼがぼぼっ!」
ペットボトルに入ってる水が男の口から溢れて顔と胸を濡らしていく。
下着姿の少女は静かにペットボトルを持ったまま見下ろしている。
「げぶっ! いきなり何をする?」
「喉が渇いているだろうと思いまして、水を飲ませてあげたのですよ。お礼を言ってはどうです?」
「え? けふ、あ、ありがとう?」
「どういたしまして」
男は辺りを見回す。薄暗い倉庫は広い、しかしそこには何も無いように見える。日の光が入らない造りになっているのか、窓は閉ざされて外は見えない。蛍光灯の明かりが照らしているが、隅にまで届かずどこか暗い。
「何をキョロキョロしてるんです?」
「こ、ここは何処かなって」
「ここが何処か解らない? あなたが? 本当に? ここが何処か解らないと言いましたか?」
「あ、あぁ、ここは何処だ? 君は、誰なんだ?」
下着姿の少女はふう、とため息をつき手に持ったペットボトルの蓋を閉めながら。
「ここが何処かはあとで教えましょう。私が誰かと問われれば、私の名前はアンダーウェア。悪と戦う正義の魔法少女です」
――俺を拐ってここに連れて来たのはこいつなのか? しかも下着姿で彷徨いて、自分で自分のことを魔法少女と言ったか? これ、絶対に怒らせたらヤバイ奴だ、頭のおかしい奴だ。くそ、こんな奴に捕まったのか――
「何やら失礼なことでも考えてますか? 農協にお勤めの安田健雄さん?」
「い、いえ、何も」
――俺の名前も勤め先も知ってるのか? なんだコイツは?――
「捕まえて約半日というところですが、そろそろお腹が空いてきたんじゃないですか? 私の質問に答えてくれたらオニギリをあげますよ。だから私の質問に正直に答えて下さいね」
「それが、俺を誘拐した目的、なのか?」
アンダーウェアは男の前に立ち腕を組む。
「そうですね」
「お、俺はそんなに金を持ってないぞ。実家だって金持ちってわけじゃ無いし」
「お金なんてどうでもいいですよ。身代金目当ての誘拐ではありません。農協にお勤めする方に聞きたいことがあったからです」
「いったい、何を?」
「まずは、何故、都会で売ってる米は不味くて田舎で売ってる米の方が美味しいのですか?」
「は?」
男は転がったまま、少女を見上げてパチパチとまばたきを繰り返す。
「そ、そんなことは、俺には解らない」
「解らない? 農協にお勤めなのに? お米のことが解らないのですか?」
「米の味が売ってる地域で変わるって、そんなことは無いだろう?」
「本当に知らないのであればおめでたいことですが、そんなはずはありませんよね。何をとぼけていますか? ですが、まずはひとつ答えてくれたので小さいですがオニギリをひとつあげましょう」
アンダーウェアはタッパーから一口サイズの小さいオニギリを取り出す。指で摘まんで見せつける。男は寝転んだままそれを見あげて、
「手だけでも自由にさせてくれたら、自分で食べられるけれど」
「私が食べさせてあげますよ。はい、口を開けなさい」
半日と何も口にせず、ついさっき水を飲んだばかりで腹を空かせた男は怯えながらも口を開ける。逆らって少女の機嫌を損ねることを恐れながら。アンダーウェアはその男の口に小さなオニギリを優しく入れる。
男は暫く味を確かめるように口の中でモグモグとゆっくりオニギリを噛む。
――何か変な薬でも入ってるんじゃ無いか? 妙に甘いし、なんだこのオニギリ?
アンダーウェアは男がオニギリを噛むだけでなかなか飲み込まないのを見て口を開く。
「美味しいですか? 線路米で作ったオニギリは?」
「ぶへえっ!」
男は口の中で噛んでいた米を顔を背けて吐き出す。舌で口の中から押し出して全部出そうとする。
「ふむ、線路米のことは知ってましたか」
「な、なんでそんな米を?」
「生産者は鉄道会社から補償金を貰って処分してるハズの米ですが、こっそりと流通してるのですよ。処分せずに食用に混ぜればお金になりますから。農協にお勤めなら知ってることでしょう?」
「知らない! そんなことは知らない!」
「では次の質問です。魚沼産コシヒカリは実際の収穫量の約10倍の量が流通しているのですが、なぜ産地偽装が野放しなのですか?」
「野放しになんてしてないだろう? 何人も捕まってるハズだ。それにみんなブランドに弱くて騙される。ちゃんと知識があるものは騙されたりしないだろうに」
「知識が有るものは騙されたりしない? ふん、ではあなたの知識を試しましょうか。このオニギリが何の米か当ててもらいましょう」
アンダーウェアは男の顔の横にタッパーから取り出した3つのオニギリを並べる。海苔の無い白い一口サイズの小さなオニギリが、倉庫の床に敷かれたキッチンシートの上に。
「しっかりと見て判別してくださいね。あなたにはこのうちひとつを飲み込んでもらいますから」
「いったい、何の米なんだ?」
「ひとつはカドミウム汚染米、ひとつは被爆米、ひとつはMA米です」
「どれも食べたくない!」
「何を言ってるんです? いずれもスーパーで売られている食用米に混ぜられているものですよ。つまり、食べても問題無いとされている米です」
「そ、そんなハズは無い!」
「戦後の闇市以来、日本の米とは混ぜて売るのが当たり前になっています。都会の人ほど慣らされて舌がバカになっている。だから米にいろいろ混ぜても気がつかないしばれたりしない。それで都会のスーパーや量販店で売られる米は古米やらMA米やら混ぜられている率が多くなる。そのため、都会の米は田舎の米より不味いのです」
「そ、それは農協の責任じゃ無い! 農林水産省のせいだ!」
「ふん?」
「え、MA米、輸入義務米をなんとか国内で消費するために、農林水産省が外米を国産米に混ぜて流通するのを黙認してるんだ。農林水産省が外米を、輸入義務米を輸入してる限り、米の偽装は無くならない」
「それでMA米に含まれる残留農薬にカビ毒も国産米に混ぜて売られていくのですね」
「それを農協のせいにされても困る。全てこの国の政策がもとになってる」
「国の政策に責任があるというなら、この国は民主主義なので、米の偽装問題は国民ひとりひとりにその責任があるということになってしまいますね。国民が汚染米を口にする政策を国民が選んだ、ということになってしまいますね」
「いや、そんなこと言われても、日本はアメリカに逆らえないからMA米は輸入するしか無いし。だけど外米は買う人が少ないから消費できないし」
「ふん、米の偽装を真に解決するためには、日本はアメリカと戦争して勝たないといけない、というところですか」
「そんなことは無理だし、そんな無茶苦茶は言ってはいないし」
「ならば、どうすれば良いのでしょうか?」
「そんなの、俺にも解らんよ」
「それで、どのオニギリを口にするか決まりましたか?」
「どれも食べたくない!」
男は怯えて首を振る。ひとつ食べたところですぐに死んだりはしなくとも、身体に悪そうなことは解っている。
「では、次の質問にいきましょうか。何故、農協は農薬を売りつけるのですか?」
「それは、農家の為に」
「ただ売るのでは無く売りつける理由を聞きたいのですが? 同じ農薬でも農協よりホームセンターで買った方が安い。それなのに、農協から購入した農薬で無ければいけない理由はなんです?」
「いや、それは」
「農家が頑張って農薬を少なくしたり、無農薬で作物を作っても、農協が買い上げたあと農薬を使ったものも無農薬で作ったものも、混ぜて一緒にしてしまう。何故、農家の努力をわざわざ無駄にするようなことをするのですか?」
「農薬を使わなければ安全ということでも無いだろう。流通に乗せるのに便利な方法をとっているだけで」
「ふん? 農協が農薬で利ざやを稼ぐために、無農薬栽培を無駄にさせて農家に独自のブランドを作らせないようにしてるだけでは?」
「そんなことは無い。農協は農家を支えて農業を良くするために努力している」
「農薬や肥料に農機具を買った借金のカタに田畑を取り上げて、農地転売で稼ぐ農民の寄生組織がよく言えますね。これまでどれだけの田畑を売買してきたのやら」
「そんなことばかりしてるわけじゃ無い」
「そうですね。農薬に関してはかなり頑張ってますからね。農薬メーカーの主要株主が農協であったり、農協と事業提携で新しい農薬メーカーを作ったりしてますね。農民が農薬を使えば使うほどに農協は利益が出ますから、無農薬が流行しては困りますからね。その上、農業資材は農協以外から買うものは認めない。これって独占なんとかに引っ掛かったりしないのですか?」
「そのことで農協が違法とされたことは無いし」
「有機栽培に低農薬野菜は農協から見れば邪魔なものでしょうね。農業資材が売れませんし。その嫌がらせに農協ルートで出荷するには、農薬野菜も無農薬野菜も混ぜてしまうのでしょう。他に販売ルートが無ければどうにもなりませんからね」
「そんなに無農薬のものがいいなら、自分で作って自分で食べればいい」
「ふん? 農家を貧困に追い込み、米作りだけでは暮らしていけない、というところまで追い詰めて兼業農家を増やした挙げ句に、文句があるなら自給自足に戻れと?」
「それなら誰も文句は無い。農協に頼らず個人で頑張ってくれたらいい」
アンダーウェアは首を傾げる。
「まぁ、その言には一理あることを認めましょう。では、最後の質問です。これに答えられたらこのオニギリは口にしなくてもいいですよ」
「まだ食わせるつもりだったのか」
「口にしても問題無い、ということになってるハズのものですが、口にしたくないと言いますか。それを農協に勤める方が言いますか。まぁ、それは置いておくとして私が聞きたいことは、」
アンダーウェアはずい、と身を屈めて寝転んだままの男の顔に近づく。底の見えない黒い目で男を見つめる。
「農協がこの倉庫に保管していた処分予定のカドミウム汚染米は、何処にいったのですか?」
男の顔から血の気が引く。
――なんで、知ってるんだこいつ? ただの頭のおかしい露出狂じゃ無いのか? それに、ここがあの倉庫だったのか――
男は何か言おうと口をパクパクと動かすが、何を言っていいのか解らず言葉にならない。
その様子を見ながらアンダーウェアは小さく頷いて話を続ける。
「この倉庫からは20トンのカドミウム汚染米が流出して行方不明になってますね? 着色前で白いから解らないだろうと、横流しにしたのですね? 捨てずに売ればお金になりますからね」
「あ、お、そ、それは」
「ライスロンダリング、米の流通にはつきものの商習慣。たとえカドミウム汚染米であっても、他の米と混ぜてしまえばトータルでは薄まって安全基準値以下に納まりますから、違法とはなりませんか」
「そ、そうだ、そうだよ。色も形も他の米と変わりはしない。安全基準だって問題無い」
「書類を少し書き換えておけば、証拠も誤魔化せますか。既に他の米に混ざってこの国のいろんなところで売買されていることでしょう。上手くやりましたね」
「なにも、なにも問題は無いだろう。誰もこれで死んでないじゃないか。イタイイタイ病のように病人が増えてるわけでも無い」
「体内に重金属が残留し、排出が上手くいかない状態が続くと免疫がおかしくなり、アレルギーが発症しやすくなるそうですよ」
アンダーウェアは更に顔を近づける。光を反射しない真っ黒な瞳が全てを飲み込むように男の目を見る。
「花粉症が異常に増えたのは、おかしなアレルギーを発症する子供が増えたのは、あなた方のせいではないのですか?」
「言いがかりだ……」
「罪在り」
アンダーウェアは身を起こす。その手にはいつの間にか手術用のメスが握られている。
「人々が安全に安心して食事ができるようにするためには、やはり農協が邪魔ですね。あと農林水産省も。なのであなたはここで殺します」
「な、なんでそうなる?」
「これ全て正義のために」
「正義だって? 俺なんてただの下っ端で、俺が死んだところで日本の農協は何も変わらないぞ?」
「では、農協という悪意の組織が消滅するまで、農協に勤める人をひとりずつ殺していきましょうか。千里の道も1歩から、何事も小さなことからコツコツと」
「そんな無茶な。それに農協が無くなったら、困るのは農家だぞ?」
「作ったものに毒を混ぜて売る組織が壊滅して無くなって、それでいったい誰が困るのですか?」
「殺されなきゃならないようなことなんて、何もしていない! やめてくれ!」
「そうですね。司法に任せれば死刑にはならないでしょうね」
「そうだろう? 俺はそんなに悪いことはしてない」
「だから?」
アンダーウェアは手に持つメスを男の顔に向け、黙らせる。口許は薄く微笑みながらも、黒い瞳は静かに冷たい。
「だから? 法のもとでは死刑にはならない。それほどの重罪は犯していないと、だから? それがなにか? それが私の正義の執行に何の関係があるのですか?」
「そんなの、正義を騙るただの殺人鬼だ……」
アンダーウェアはそれを聞いてニコリと笑う。
「それほど間違ってないのかもしれませんね。ですが、私は私の行為の果てに、人の世に正義を取り戻せると信じています。願っています。全ての罪在りを殺して、世界をマトモにしたいのです。人が正しく生きられる世界のために」
「やめてくれ!」
「やめませんよ」
「許してくれ!」
「許しませんよ」
「助けてくれ!」
「助けませんよ」
アンダーウェアは男の左目にメスを刺す。メスの柄を掌で押してメスの刃先で脳髄を抉るように。
「えぎゃはあ……、あ、え……」
「脳を抉れば、あまり苦しませず痛ませずに即死させられますか? いかがでしょう?」
男は身体をビクンとひとつ動かして、鼻と口から空気の漏れる音をさせて動かなくなる。
「返事が無いですね。すこしは上手に人を殺せるようになれましたか?」
アンダーウェアは、ふう、と息を吐く。
「まだまだ、もっともっと、たくさん殺さないといけませんね。マトモで安心して暮らせる世界のためには」
振り向いて立ち去ろうとして、男の前に置いたオニギリが目に入る。
「あ、せっかく作ったのに食べさせるのを忘れてましたね。もったいない」
アンダーウェアはオニギリをひとつ手にとり自分の口に運ぶ。
「実は普通のお米で作ったオニギリなのですが……、あれ? 甘い? 塩と砂糖を間違えましたか?」
黒い下着姿の白い少女は倉庫の中で、小首を傾げて自分の拳で自分の頭をコツンと叩く。
その可愛らしいとも言える動作を瞳に映すのは、片目にメスを深く刺した男の死体だけだった。




