過去2・身を変えると書いて変身と呼ぶ
「この指輪をつければいいんですね? どちらの手のどの指に?」
「つけていればどの指でもいいまふ」
少女が受け取った指輪は白い太い指輪。宝石の代わりに小さな鏡がついている。割れた鏡の破片、その鏡の周囲を銀で装飾して囲んだ指輪。鏡の表面は白く曇っている。
「くまさんの言う通りにしないと指輪が縮んで、着けた者を苦しめたり、指を千切り落としたりとかですか? 孫悟空の頭の輪のように」
言いながら左手の中指の根本に指輪を嵌める。
赤茶色い熊のぬいぐるみが短い手をわたわたと振る。
「そんな恐いことしないまふ。なんでそんなこと思い付きながら指輪を嵌められるまふ?」
「あなたが居なければ私は死んでいたとするならば、私は1度死んだものとしてあなたに従うこととしましょうか。これで私は魔法少女ですか?」
「これで変身できれば魔法少女まふ。おいらが見てきた中じゃ、君は魔法少女の適性はちょっと微妙、だけど、その潜在能力はずば抜けているまふ」
「適性と潜在能力、ですか」
「その胸に熱く燃える正義の炎を力に変えて、悪夢と戦うまふ」
小さなくまのぬいぐるみはその手で少女をビシッと指す。
「悪夢の脅威から人々を守る愛と正義の魔法少女に」
「……言ってて恥ずかしくないですか?」
「なにが?」
「正義の炎とか、愛と正義の魔法少女とか」
「君にそれが有ると感じたから、おいらはこうして君と話してるまふ」
「ふむ……、」
少女は目を閉じて思案する。
「……まあ、確かに、世界にマトモであって欲しい、人には正しく賢くあって欲しいという願いは常に有ります。それがどうやら他の人より強いらしい、というのも解ります。母と親戚に合わせることができなくて家出をしたのも、辿ればそれが原因ですか」
「なんだかいろいろありそうだけど、その心の力があれば魔法少女になれるまふ。指輪の鏡に瞳を映して、変身と口にするまふ」
「その前に、バンから出ましょうか」
バンの外の林の中、夏の暑い日差しも木陰で和らぐ緑の匂いに包まれて、少女と熊のぬいぐるみが草を踏んで立つ。
蝉の声が降り注ぐ中で少女はフラフラと立っている。
くまのぬいぐるみが心配して、
「ちょっと、大丈夫まふ?」
「ふう、ハンバーガーひとつでは足りないようですね。目眩がします。では試してみますか」
少女は左手の甲で目を隠すようにして左手中指に嵌めた指輪の鏡を左目で覗きこむ。
「これが鏡ですか? 曇っててなにも映らないような、覗いても何も見えませんが?」
「そのまま変身と言うまふ。適性が合えば魔法少女になれるまふ」
「変身……いえ、変身では無いようですね。何となく解ります。これは……、鏡よ、根の姿を映し現せば、鏡を残し我が失せる。『魔法変身』」
指輪から灰色の光が溢れ出す。光の中から黒い帯がいくつか現れ、少女の周囲をクルリと回る。
「ふん? 理屈は解りませんが、何やら、身体が探られているような。暖かくて少しくすぐったいですね。服が消えて全裸になるのはくまさんの趣味ですか?」
「初めての変身を冷静に観察したのは君が初めてまふ。あと服が分解収納されて戦うための装備になるのは仕様で、おいらには少女を脱がせてヌードを眺める趣味は無いまふ」
「む? 私の裸は需要が無いですか? 中学生女子のヌードは価値がありませんか?」
「そのあたりの価値とかよく解らないまふー」
「まぁ、確かに売春でもして金を稼いでご飯を食べようとして失敗してますが」
「まふー、なんか目付きが鋭くて怖そうに見えるからでは?」
「凌辱欲を満たす弱者には見えないようですね私は。ところで変身とはこんなに時間がかかるものですか? これではいざというとき直ぐに使えないのでは? 裸で立っているというのも無防備で不安ですね」
「最初の1回は魔法少女としての身体変換のために時間がかかるまふ。だけど次からは最適化するので変身時間は短縮されるまふ。でも最初の1回で変身成功しそうなんだからやっぱり適性は合ってたまふ。それも今まで見たことが無いくらいに」
「そういうものですか」
少女の身体を囲むように黒い帯が宙に漂いクルクルと回る。灰色の光が淡く繭のように少女を包む。
「何やら探りながら私の身体を改造しているような、ムズムズしますね」
「最初の1、2回はスキャンして終わりだったりするのだけど。警戒心や恐怖心で抵抗されて変身を途中で止めたりするのだけど」
「ふん? 空腹と暑さにやられて私の頭も正常では無いですか。そこを狙ったのならくまさんは策士ですね」
「狙ってやったわけじゃ無いまふ。こんなにあっさりと変身しようとは思わなかったまふ」
「身を変えると書いて変身ですか、人体改造ともなれば警戒もして不安にもなりますか」
「今さらだけど空腹で死にそうになってたり、言ってることも自暴自棄な感じまふ。自殺でもするつもりだったまふ?」
「積極的に死ぬ気は無いですが、いつ死んでも構わないとはいつも考えてますよ」
少女は目を瞑り両手を大きく開く。灰色の光を全て受け止めるように。
「人が正しく在れない世界で、まともでは無い狂った世界で、生きていたくもありませんし」
灰色の光が白に変わり黒い帯が少女の身体に巻き付いていく。一際光が強く輝き白の光に飲み込まれる。
閃光が消えるとそこには変わり果てた少女の姿がある。
「……なんとまぁ」
髪は漂白されたように白くなり、長く伸びて膝まである。ボリュームが増えてまるでマントのように広がり身体を包むように。
肌の色も白くなり色があるのは黒い瞳に赤い唇。手には黒いレースの手袋。足には黒いブーツ。
ベビードールのような黒い服は下着のようで薄く透けて白く肌が見える。黒いパンツに黒いストッキングを黒いガーターベルトで止めた、白黒ツートンカラーの少女が立っている。
「これはまた、卑猥というか、やらしいというか、ただの下着姿の痴女のような。確か悪夢とやらと戦うと言ってましたが、とても戦う姿とは思えませんね」
「あ、あれぇー?」
熊のぬいぐるみが驚いて声をあげる。
「どうしました? くまさん?」
「武器は? 武器は持ってないまふ?」
「武器?」
少女は黒い手袋に包まれた手をプラプラと振る。その手には何も持ってない。
「何も無いようですが?」
「……武器を持ってない魔法少女なんて、初めて見るまふ……」
「そうなんですか?」
「悪夢は魔法少女の武器でしか倒せないまふ。それなのに武器の無い魔法少女なんて……」
「武器とはどういうものですか?」
「魔法少女の個性に合わせていろいろあるまふ。剣とか槍とか斧とか弓とか」
「意外と旧式ですね」
「変わったところで空手やってた子は脚甲にメリケンサックとかあったまふ」
「ガチバトルですか? 魔法少女って肉弾系なのですか?」
「わりと。その為の肉体強化に治癒力強化が変身まふ」
「なるほど。変身の時間は?」
「人によるまふ。強化率が高いと時間が短いし、変身時間が長いと強化率は低かったり。魔法少女の性格でこれは変わるまふ」
「ふん?」
その場でピョンとジャンプしてみる少女。バンの上まで飛び上がり目を見開く。
「おぉ。確かにパワーアップしてますね。他には何があります? 魔法少女というからには、魔法があるのでは?」
「魔法もあるまふ。どんなものかは使ってみないと解らないけど。武器から衝撃波とか炎とか光とか、なんか出すのが多いまふ」
「なんか出すってアバウトですね。使ってみないと解らないというのは?」
「魔法少女の性格というか個性でいろいろあるまふ。まずは変身した身体に慣れる訓練と使える魔法の把握が必要まふ」
「魔法少女になってすぐ戦え、という訳では無いのですね」
「そんなことしてたら貴重な魔法少女が悪夢にやられるまふー」
「その悪夢というのは、なんですか?」
「人の悪意を食べて成長する怪物まふ。人に卵を産み付けて、その悪意を増幅させて増えたりするまふ」
「悪意、ですか? なんとも定義しにくいもののようですが?」
「恨みとか妬みとか憎しみとか人の負の感情をエネルギー源としてる精神寄生生物、っていう説明のほうが解りやすいまふ?」
「ピンとこないですね。ですが戦闘前に訓練など準備期間があるなら、そこでじっくり教えてもらいましょうか」
少女は自分の変わり果てた姿をペタペタと手で触って確かめる。
「筋肉がついた訳でも無いのに身体能力が上がるというのは不思議ですね。しかし、この恥ずかしいカッコはなんなんですか?」
「いや、他の魔法少女はそれなりに可愛らしい戦うカッコなんだけど……、どう見ても下着姿にしか見えないまふ」
「良く見たら乳首とか透けて見えちゃいそうですね。ヘソもお腹もパンツも丸見えで、胸もペッタンコになってるし」
「胸の大きさは変わってるようには見えないまふ? もとからペッタンコまふ」
「このカッコでは誤魔化すこともできないので、見栄を張っただけですよ。くまさんはなかなかツッコミが厳しいですね。ところでくまさんは何者なんです?」
赤茶色の40センチくらいの熊のぬいぐるみはその両手を開く。
「魔法少女の教導者。人類を守護する魔法少女の選別者にしてマスコット。鏡の力の守り手。おいらの名前はマフー」
「あぁ、それで語尾が、まふー、なんですか? キャラ作りなんですか?」
「まぁ、そんなとこ。可愛さアピールで魔法少女と仲良く上手くやっていくにはいいかなーと」
「それ言っちゃダメなことでは」
「信頼を得るために隠し事をしないのがおいらのやり方まふ」
「私も語尾を変えたほうが良いですか?」
「それは好きにするといいまふ。ではこのマフーの相方となる魔法少女の名前は?」
「……名前、ですか……」
少女は顎に拳を当てて考え込む。白い色に変わった眉を寄せて悩んだ顔をする。
「私は自分の名前が好きでは無いのですよ。名前を付けた親の主義に合わせられず、家も出たことですし。マフーさんが居なければ餓死してたとして、1度死んでこれから魔法少女として新たに生きるとするなら、古い名前は捨てましょうか。なのでマフーさん、私に新しい名前をつけて下さい」
「え? えぇ?」
「私はこれからマフーさんの言う、愛と正義の魔法少女として生きましょう。なのでそれに相応しい新しい名前を私に」
「え? ちょっと待って。えーと、前には一緒に魔法少女名を考えたことはあるけれど、おいらに丸投げされたのは初めてまふ。えーと、えーと」
マフーは少女の姿を上から下までじっくりと見ながら首を捻る。
「見た目で言うと、ダークベビードール……とか?」
「なんだか敵っぽいですね。それでいいですか?」
「言っててなんだか悪の組織の女幹部みたいと思ったまふ。えーと、下着姿だから、アンダーウェア……とか?」
「見たまんまですね。でも名前なんて解りやすくて呼びやすいのがいいですか。では、私の名前は今日からアンダーウェアです」
「いや、あの、センス無くてごめんなさい……」
「いえ、なかなかいいと私は思いますよ。鼻くそ回収車とか気違い狂信者とか未来の殺人鬼とか日本の北朝鮮とかよりカッコいいですから」
「え? なにそれ?」
「私の昔のあだ名ですよ。親がカルトの狂信者だと学校の同級生からは好き勝手に呼ばれるものです。ふむ、アンダーウェア、私の名前はアンダーウェア……。この世の闇に蠢く悪夢と人知れず戦う愛と正義の魔法少女、アンダーウェア。うん、良いですね」
「え? ほんとにそれでいいの? あの、ほんとの名前は?」
「私がこのままあの家に帰らなければ、もとの名前など無くてもいいでしょう? これからはアンダーウェアとお呼び下さい。マフーさん、どうぞよろしくお願いいたします」
「あ、ハイ。こちらこそよろしくまふ」
今までに相手にしたことの無いタイプの魔法少女にマフーは戸惑う。
――なんだか変わった女の子まふ。魔法少女の適性がある女の子は変わった子が多いけど、なんだかその変わり方がずいぶんと奇妙まふ。
しゃがんだアンダーウェアがマフーの手を握るように握手するのを見ながら、マフーは予感する。
なんだかこれまでとは違う闘いとなりそうだ、と。