過去7・正義のはじまるところ
日が登り明るくなる。松林の中のバンの中。
赤茶色のくまのぬいぐるみが座っている。
「……アンダーウェア、帰ってこないまふ」
マフーはひとり、ボソリと呟く。
アンダーウェアと出会って10日。この松林の中で二人で暮らしている。
アンダーウェアは昼間に暑くて寝苦しいと言いながらも午前中はこの壊れたバンの中で睡眠をとる。
『いろいろ調べるためには夜中の方が都合が良いので』
変身した肉体に慣れるために松林の中を走ったり木に上ったり、髪の毛を動かす練習をしたりする。夕方には町の方に行き食糧などを盗んでくる。
『万引きは良くないまふー』
と、マフーは注意してみたものの、他に食糧入手の手段は無い。
『アンダーウェアは家に帰らないの?』
『家に帰れば魔法少女として活動することができなくなります』
『え? どうして?』
『母が厳しいので。学校への登校と宗教の集会以外、私に外出の自由はありません。母と叔母の家族の監視から逃れるのは難しいですね』
『え? アンダーウェアってどこのお嬢様?』
『ただのカルトの狂信者の家の子ですよ、私は。警察など行政に見つかれば、あの家に連れ戻されるでしょう。施設などに私を引き取ってもらうのも無理です。家に連絡されるでしょうから。この先、魔法少女として活動するには家に戻らずひとりで暮らすべき。今の日本で未成年が保護者無しで仕事に就くことはできず、今のところ、窃盗以外で生活必需品を入手する手段がありませんね』
『……まふー』
『いずれは改善するつもりですが』
――ほんとに、どういう子なんだろう? 頭は良さそうだけど――
マフーはバンの中で、コンビニのビニール袋にゴミを集める。アンダーウェアが万引きしてきたオニギリやサンドイッチ、弁当の包み、お菓子の袋にジュースのパック。
適当にまとめてゴミの入った袋を持ってバンの外に出る。バンの外、松林の中はタイヤにドラム缶とあちこちにポツポツと捨てられている。
そこにアンダーウェアとマフーが食べたものの包みなどのゴミが増えた。
『この松林はもとキャンプ場ですが、閉鎖されて今では付近の住人の粗大ゴミの捨て場になってます。たまに産廃を捨てにくるトラックが来ますよ』
『なんで閉鎖されたまふ?』
『海岸を埋める土砂を山から持ってきたら、その土砂にマムシがいて、このキャンプ場に住み着きました。これで閉鎖されて、近くの松林にマムシがいる海水浴場は人気が無くなりました』
『……アンダーウェアはなんでそんなところに居るの?』
『そんなところだから誰も来なくていいんですよ。マムシに噛まれたらそれで死ぬだけですから』
『まふー』
マフーは歩いてバンから離れたところにゴミ袋をポイと投げる。
アンダーウェアの魔法隠蔽はアンダーウェアに触れていればその効果に入る。しかし、アンダーウェアから離れると隠蔽の効果から出てしまう。
マフーも最初はアンダーウェアにしがみついていたが、それでは動きにくいということでアンダーウェアの単独行動が増えた。
『ちゃんと戻って来ますからご安心を』
魔法接続でいろいろ調べたりしているようだが、その様子は目を閉じて瞑想してるようにも見える。
魔法少女として活動しようとしても、アンダーウェアには悪夢を倒す手段が無い。
『その辺りもこれからいろいろ試してみましょう。そのためにも今は情報の収集ですか』
マフーはこれまでの悪夢と魔法少女の戦いや、悪夢の生態をアンダーウェアに教えたりしてた。そしてアンダーウェアは自分でもできそうなことを頑張ってる、らしい。
――だけど、これじゃあ魔法少女の前にアンダーウェアがこれから生きていけるかどうかも不安――
マフーがバンに戻ろうとするとその目の前にアンダーウェアが現れる。魔法隠蔽を解除したアンダーウェアは、マフーには突然、目の前に白髪頭の黒い下着の少女が出現したように見える。
「マフーさん、ただいま戻りました」
「お帰りアンダーウェア。一晩中どこに行ってたまふ?」
「マフーさんが心配していた生活用品の窃盗の件、どうにかならないかと頑張ってみました。見てください」
アンダーウェアが黒いパンツに手を入れる。小さなパンツは魔法収納に繋がっている。
アンダーウェアがそこから取り出したのは男物の財布。
「現金を入手しました。5万円もあります。これで活動資金になりますね」
「そのお金、どうしたまふ?」
「悪人を探して殺して奪ってきました」
「それ、強盗……」
――おぉ、万引きが強盗にランクアップしたまふ――
「そこをマフーさんに説明するためにも証拠を集めてきました」
アンダーウェアは今度はパンツの中から紙の束にボイスレコーダーを取り出す。紙は病院のカルテ、明細書、加工前と加工後のCTの画像のプリントアウト、患者の死亡診断書のコピー。
草の上に膝をつき平然と説明を始めるアンダーウェア。マフーも座りアンダーウェアの持ってきた証拠を確かめる。
ひととおりアンダーウェアが殺したという医者がやっていたことの話をする。
「これで悪人を殺してついでに活動資金を得られますね」
「あの、アンダーウェア。この医者が悪い奴って解ったけど、こういうのは警察に任せたら」
「残念ですがこの医者のしたことは犯罪にはなりません。この資料もマフーさんに見せるために持ってきただけです。私がこんな証拠を警察に持っていっても子供のイタズラで終わりですよ」
「えー?」
「そして悪意をエサにして成長し増殖する悪夢の行動を妨害するためには、悪意を持つ人が悪夢に食われる前に殺してしまえばいいのです」
「乱暴だけど……、確かにそのやり方で悪夢のエサは減らせるのかな?」
「悪を滅ぼし、悪夢の邪魔をして、資金を得られる。一石三鳥です」
「うむむ……、これまで悪夢を分離できなくて、仕方無く人ごと始末したこともあるけど、こんなやり方って」
「私単体では悪夢に勝てませんからね。他に良いやり方があればそうしますが」
人を悪夢から守るはずの魔法少女。それが自ら人を殺す。
悪を殺して金を得るために。
「これが、アンダーウェアの正義まふ?」
「えぇ、もちろんです」
アンダーウェアは黒い手袋に包まれた手を開いて見つめる。
「何もできない無力なままで、死ねば楽になるかもと考えていました。ですが、今の私は力を得ました」
静かに、しかし、力強く語る。
光を反射しない黒い瞳が真っ直ぐにマフーの目を見る。
「正義を為す力を得られたのならば、私は正義を行います。悪を滅ぼした先に人の正しさを求めて」
いつもよりも真剣に、切実に、思いを吐くように、祈るように言葉を紡ぐアンダーウェア。マフーはその気迫に圧倒されて、動きが止まる。
「ずっと考えてました。なぜ人々は正しさを正義を在って当然のように生きて、歪みを悪を罪を見ないようにしているのか。もしかして本当は見えていないのではないか、と。私にしか見えてないのではないか、と」
アンダーウェアは両手を組む。
「許せない悪があるのに、なぜ、みんな見てみぬ振りをするのか、解りません。それが当然と言われても納得できません。だから、今、悪を殺す力を得たならば、私は悪を殺します。悪を殺す私の方が悪だというなら、正義が私を殺せばいい。そうなれば、私は死ぬそのときに私を殺す正義を目にすることができる」
何も言えずに固まるマフーを見て、アンダーウェアは泣きそうな顔をする。
「……マフーさん、私は、狂っていますか?」
「……おいらはアンダーウェアが、誰よりも強い魔法少女になると感じて、指輪を渡したまふ。それが誰よりも強く正義を求めていた、その心にあったまふ」
だけど、強すぎる思いは狂気にも似て、
「アンダーウェアは、どうして正義を求めるまふ?」
「どうして? 正義を求めてはいけませんか? 正しさを求めるのは間違ったことですか? 私は、正しく在ろうとする人が、正しく生きようとする人が、騙され、奪われ、害され、損なわれることが、どうしても許せません。そう思うのは、おかしなことですか?」
「その正しさのために悪人を殺しても?」
「えぇ、殺します。昨日、初めて人を殺しました。でも、まだひとりです。私がひとり殺しただけでは世界は変わりません。まだまだこの世に悪はある。ならば殺します。もっと殺します。もっともっと殺します。屍山血河のその先に人が正しさを取り戻せるのなら――」
アンダーウェアの黒い瞳は光を反射しない。真っ暗な穴のような黒目がマフーを見る。
「百でも千でも万でも、私の命が尽きるまで」
マフーはその黒目から視線が外せない。
アンダーウェアの過去に何があったかは知らない。アンダーウェアからは何も聞いていない。解るのは切実に、狂おしく正しさを求める思いだけ。
マフーは短い手をアンダーウェアに伸ばす。
「アンダーウェア、君を魔法少女に選んだのはおいらだ。おいらはアンダーウェアの正義を信じる。信じることに決めた」
――この正義と心中してやろう。もう、鏡は割れてしまったのだから――
アンダーウェアは、両手でマフーの手を握る。
「マフーさん。面倒でイマイチ役に立たない私ですが、これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ、また口出しはするけど」
今までに無いタイプの魔法少女が提案したのは、悪夢を兵糧攻めにするという新戦術。マフーの知らない、新しい戦いの形。
姿を隠し人を殺す、捕まらない殺人鬼が誕生した。
アンダーウェアは片手で目を擦る。
「んー、なんだか昂って、変なところを見せてしまいました。こんな話をしたのはマフーさんが初めてです。なんだか恥ずかしいですね」
「そお? おいらはアンダーウェアの本音が聞けて安心したまふ。底の底では意外にも熱血だったまふ」
「冷めてると言われることはあっても、熱血と言われたのは初めてですね。妙な気分です」
「その胸に燃える正義の炎を力に変えるまふー」
「マフーさんはよく照れもせずサラリと言えますね」
「熱く語ってたアンダーウェアに言われるなんて」
「そこは、1度マフーさんにはちゃんと言っておこうと思ってたことですし。……底意を知られるというか、本音を知られるというのは、下着姿を見られるよりも恥ずかしいことですね」
「アンダーウェアの羞恥心ってズレてる?」
アンダーウェアは変身を解いてもとの姿に戻る。黒髪ショートの目付きの鋭い女の子へと。手に持つ財布の中身を見て。
「お金が手に入ったので、早速、服を買おうと思います」
「ずっと学校の制服だったし、そのままだと警察に補導されたりしそうまふ」
「それもありますけど、着替えも無いまま同じ服、同じ下着を10日も着てましたから」
アンダーウェアは襟を引っ張って鼻に近づける。
「やはり臭いますね。髪もベタつくし、靴下の中も指がなんだかヌルッとするし」
「女の子の言うセリフでは無いまふ」
「先に銭湯に行きますか。お金もありますし、10日振りのお風呂に入れます。久し振りに髪を洗うとしましょう」
「今までこんなことを口にした魔法少女はいないまふ。……言われてみれば少し匂うまふ」
「匂いのついた女子中学生の制服は売れるそうですね。販売するルートが解れば売りに出すのに。ネットの中古売買に出すには、私は住所も無いし銀行の口座も持ってませんし」
「10日分の汗と垢が染み込んでると、流石に古着として売れないまふ」
「そこがいい、という物好き紳士がいればいいんですけど。新しい服を買ったらこれは適当に捨てるとしますか。お風呂に入って服を買ったら、残りのお金で移動しましょう」
「移動? どこに行くまふ?」
「他の魔法少女がいる都市に。電車賃が足りるなら、東京に行くとしましょう。そこなら悪夢も悪人も多そうです」
アンダーウェアはマフーを抱え上げて胸に抱く。歩いて松林を出て行く。
このあと、アンダーウェアが移動するルートに沿って謎の殺人鬼の被害者が増える。メスやナイフで首を切られたり心臓を刺されたりした死体が増える。
目撃者も無く、犯行に使われる刃物は近隣で盗まれたもので犯人の手がかりは見つからない。
被害者の職業に片寄りがあることから、裕福な層に恨みを持つ犯人像をマスコミが勝手に想像したりする。
アンダーウェアは見つからない、捕まらない。殺人行脚はこの田舎の松林から始まることを知っているのは、アンダーウェアとマフーだけ。
松林を出て行くくまのぬいぐるみを抱えた少女。10日振りのお風呂を楽しみに少し浮かれて歩くアンダーウェア。胸に抱かれたマフーが呟く。
「あ、やっぱり匂うまふ。汗臭いを通り越してるまふ」
「この匂いとも今日でお別れです。好きなだけくんかくんかして下さい」
「おいらにはそんな趣味は無いまふー。ちょっと離してもらってもいい?」
「これから人のいる銭湯に行くのですから、暫くぬいぐるみのふりをしてくださいね。ここまで熟成した女子中学生の老廃物の臭いというのは貴重では?」
「そんな特殊体験はいらないまふ。匂いが移るまふー」
「後で洗ってあげますよ」
1章終わり
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