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魔法少女は正義を抱いて静かに殺す  作者: NOMAR
虎の皮、人の名、死んで残るは他には何か――
15/16

9・祈りと願いを保つ為にはーー


「なぜ、貧困を相談する相手の相談支援員の石田さんが、貧しくて苦しい生活をしているのですか?」

 アンダーさんの質問に、私は何も応えられない。何も言えずに固まってしまう。

「石田さんだけではありません。あの会議室にいた方のほとんどがそうです。給料は年収で180万。資格手当てを除けば、手取りは関東近郊の生活保護と変わらない。貧困を相談にくる人の方が石田さんより収入を得ていることもある」

 実際にその通りだ。ときには相手を羨むこともある。

「それなのに親身に相談者の相手をして、ときには自腹で相談者に食事を振る舞ったり、仕事の時間外でも電話で相手をしたり」

「……よく、ご存知ですね」

「ストレスから不眠症になり、心療内科に通院していたのでは? 最近はどうなのです? 病院には行ってないようですが」

「治療費に薬代が高くて、病院に行くのはやめました」

「ふん、これでは医療費が無料になる生活保護の方がマシな生活ができるのでは?」

「そうかも、しれませんね……」

 俯いてコーヒーを飲む。アンダーさんはよく調べている。


「石田さん、今の仕事を辞めようと考えたことは?」

「そりゃ、何度もありますよ。でも今の仕事を辞めて他の仕事を探しても、ろくに資格も無く歳をとった私が勤まるところは無いでしょう」

「それで、我慢して今の仕事を続けている、と?」

「我慢してるところもありますが……」

 私はコーヒーのカップをテーブルに置く。

「私が、貧しい家庭で過ごしてきたからか、彼らを見ると、ほおっておけないんですよ」

「それで、精神保健福祉士の資格を?」

「はい、誰かの役に立つ仕事を、と。この資格を取ってから、この業界では低賃金が常識だと知りました」

「介護に保育などは専門の資格が必要ですが、これらの業界は収入が低いというのが当然となってますね」

 アンダーさんは呆れたように続ける。

「官製貧困。国が政策として作る貧困層。社会に必要とされる職業ほど低収入が当たり前という常識にしてしまえば、国の支出を抑えられるというところですか。それとも途中のピンはねでも誤魔化せますか」

「まぁ、相談そのものが利益を産み出す仕事にはなりませんからね」

「石田さんが今の仕事を続けるために、勤め先の事業所が行う不正も、見てみぬふりですか?」

「なんのことですか?」

 とぼけてみる。もしかしてアンダーさんは事業所のやってることを知りたいのかも。


「あの事業所が石田さんの給料を不正に申告していることを、ですよ。石田さんへの給料は年収320万で年2回の賞与があることになってます」

「あぁ、そのことですか」

「ご存知ですか。実際には賞与など無く年収は140万少ない180万なのに」

「そうなんですが、ウチの事業所も本当のことを書けば契約の更新ができなくなります。そんなに利益が出てるものでも無く、けっこうギリギリのところでなんとかやってるんです」

「あなたが告発すれば、この問題は解決するのでは?」

「告発してどうなります? あの事業所が無くなれば私は失業します。少なくても給料の出る仕事を続けるには、無くなっては困ります」

「問題は石田さんひとりのことでは済まないのですが」


 アンダーさんは手を挙げて店員を呼び止める。

「すみません、コーヒーのお代わりをふたつ」

 なんとなく俯いてしまう。あの事業所が不正申告をしていることは知っている。だけど役所の下請けなどではよくある話だ。

 私の勤め先だけが特別なことをしてる訳では無い。

 店員がコーヒーを持ってくる。ハンバーグ専門店ということだが、コーヒーは本格的で深い苦味がある。

「石田さん、仕事がキツいと感じたことは?」

「それはまぁ、いつもですよ」

「自治体の方には石田さんの給料は年収320万プラス賞与となっている。だから、その分、働けということになる」

 アンダーさんは手元のコーヒーに視線を落として静かに話す。なんだか呆れているような、少し悲しそうな?

「つまりは石田さんには毎年、140万プラス賞与分のタダ働きがノルマとして課されることになってるんです」

「どうりでキツいわけですね。ハハ」

「財政難から自治体は委託費を削減し、その自治体には委託先の労働実態を把握する義務が無い。そのため最低賃金を下回る時給、賃金の滞納、未払い、不当解雇の温床となっています。ハローワークや役所の窓口で働いている人が公務員では無く、生活保護同然の給料で働く外部委託の人員というのは、おかしな話です」

「生活保護の相談業務も、非正規職員で、雇用の調整に使われてますからね。ハハハ」


「なにかおもしろいことでも?」

「いえ、ちょっと思い出してしまって。窓口にいると私も公務員に見えるんでしょうね。相談に来た方が『公務員ばっかり給料上げやがって!』と、文句を言われたことがありましてね」

「そんな思いをしても今の仕事を続けるのですか?」

「私には他にできそうなこともありませんから」

「ニートを抱える家への家庭訪問、ホームレスとの関係構築のための挨拶回り。公務員が非正規公務員に押し付けるイヤな仕事を、生活保護同然の給料で?」

「それでも、誰かがやらないといけない仕事です」

「石田さん、」

 アンダーさんの顔は白い。赤い唇と黒い目に目がいってしまう。見てるとその黒目に吸い込まれそうな気がする。

「私は個人的に石田さんの社会への責任感は立派だと思います。素直に尊敬します」

 面と向かって、そんなことを言われたのは、初めてだ。こういう言い方をするあたり日本語はペラペラでも、やっぱり外国の人なんだろう。なんだか恥ずかしくなって視線を外してコーヒーに口をつける。

「ですが、その石田さんのマジメさが、回りに都合よく使われているようで、心配になります」

「いや、そんな、マジメというほどでは……」

 アンダーさんはメニューを取って、テーブルに広げる。

「石田さん、デザートはいかがですか?」

「いえ、もう、お腹いっぱいですよ。ハンバーグがボリュームがあって」

「私が食べたいんですよ。ケーキのひとつくらい付き合って下さい」


 テーブルの上には新しいコーヒーにベイクドチーズケーキ。アンダーさんは強引な人だ。そのアンダーさんはチョコレートパフェを美味しそうに食べている。

「話は少し変わりますが、石田さんは独身ですよね? 結婚など考えたことは?」

「いえ、ありませんね。今の収入では結婚も、家庭を作って子供を育てるというのも、恐くてできません」

「そうですか。これは私の仮説なのですが、おかしな思い付きと笑ってくれて構わないのですが」

「なんでしょう?」

「日本には過去に切腹、というのがありましたね」

「え? ええっと、ずいぶんと昔ですね。アンダーさんは日本の忍者とか侍とかお好きなんですか?」

「えぇ、まぁ。日本とは不思議な国で国民が不満があってもデモもストライキも暴動も少ない。黙って耐えることが美徳という風にも見えます」

 アンダーさんはスプーンでアイスを口に運ぶ。話が飛んでいまいちよく解らないが、あのハンバーグを食べてからパフェって、よくあの小さい身体に入ると感心する。

「しかし、今の日本の状況が、日本人らしい政府の政策への反抗なのでは? と考えました」

「今の日本が?」

「はい、急激な少子化です。これは国の未来に期待できず、その未来に自分の子孫を残したくない、ということなのではないか、と。育児の為の政策もなかなか改善は無い。これは突飛な連想ではありますが、日本人という民族そのものが緩慢な切腹を選んでいるようではないか、と」

「はぁ、いや、少子化はいろんな原因が合わさってのことで、日本だけの問題では無いですよ。海外の都市でも問題になってますよね」

「そのとおりです。だから突飛な連想と断っているのに」

「なんで自滅とか、自殺では無くて切腹と? それをする日本人はもういませんよ」

「それは過去に侍が主君の過ちを正すために、命を賭けて訴える手段に切腹が使われたからですよ」


 チーズケーキを口に入れて考える。アンダーさんは変なことを考える人だ。つまりは、

「言わんとすることは、なんとなく解ったような。国の政策への非難として、子供を作らない。今を未来に繋げることを拒否するストライキ、ということですか?」

「そうです。そういうことが少子化の理由のひとつに含まれるのではないか、と言いたいわけです」

「民族そのものが自滅を選ぶのが少子化って、ちょっと無理があるような……」

「ダメですか? そんな感じにまとめようか、と考えてましたが、ボツにしますか」

 アンダーさんはスプーンをくわえて首を傾げる。その様子が可愛らしくて、つい笑ってしまう。

「ふん? なんですか?」

「いえ、その、SFだと民族の集合無意識がレミングスのように集団自滅を選ぶ、というのもありなのかなーと。実際のところは少子化の問題は収入にあると思いますよ」

「収入ですか。日本人の平均年収は420万。ですが、石田さんの事業所のように不正申告が当然のようにあれば、実際の数字は400万には遠く届かないでしょうね」


 そうか、私の収入は日本の平均年収の半分以下、か――

「それにしても、あの男は何を言ったか解ってるのでしょうか?」

 アンダーさんは眉を寄せて言う。あの男? 

「誰のことですか?」

「講習会の講師ですよ。相談員の収入が少なくて生活が厳しいということについて」

「あぁ、『仕事を辞めて生活保護を申請して下さい』ですか」

「厚生労働省が給料の不正申告を調べるべきだというのに。それが実態を把握もせず、社会に必要な分野の現場の最前線で働く方になんという言い草、情も無い非道な暴言としか思えません」

 確かにあの言い方は無い。ムカついたというよりは、呆れて、空しくなってしまったけれど。

 アンダーさんはパクパクとパフェの器の底のフレークを食べる。怒っているのだろうか?

 もしかしてアンダーさんはジャーナリストに向かない人、なのかも?

「あの男は、悪ですね」

 アンダーさんは言いながらチョコレートパフェをキレイにたいらげる。


 結局アンダーさんに奢ってもらった。支払いのときに財布を出そうとしても、先にアンダーさんが会計を終わらせてしまった。

「あの、すいません。ご馳走さまです」

「いえいえ、私もおもしろい話が聞けました」

 頭を下げて、では、と立ち去ろうとすると。

「石田さん」

「はい?」

「石田さんを頼りにしてる方は大勢いると思いますが、それも石田さんがいてこそです。少し公私を分けて、御自愛して下さい」

「え? あの、はい」

「それでは、お達者で」

 相談員がアドバイスされてしまった。

 それでも、講習会でのウンザリする気分はすっかり晴れてしまった。

 アンダーさん、日本語の上手な不思議な人だったなぁ。



 相談員と別れたアンダー、変身した下着姿の上にデニムのジージャンと灰色のズボンにキャップを着けた、アンダーウェアは道を歩く。

 肩から下げるスポーツバッグからくまのぬいぐるみが、にゅ、と顔を出す。

「アンダーウェアってこんな感じで情報集めてるまふ?」

「初対面でこんなに長く話したのは初めてですね。相談員だからでしょうか?」

「アルゼリーアってどこの国まふ?」

「さぁ? 知りません。口からデマカセですから」

「成人のふりしたり、外国人のふりしたり、ホルモン異常の奇病とかよく思い付くまふ」

「内心ハラハラしながらですよ。突っ込まれたらどうしようって、ドキドキしてます」

「とてもそうは見えないまふ。堂々としてたまふー。プロみたいまふ」

「なんのプロですか? 変身した肌は真っ白で顔色が出ないだけですよ。あとは相手が勝手に変わった外国人と思い込んでくれるので」

「あの人もアンダーウェアの顔に見とれてたし、アンダーウェアもやろうと思えば可愛い子ぶるとかできたまふ」

「まさか、私が人前で可愛い子ぶる時がくるとは……」

「うん、見慣れてなくてちょっと怖かったまふー」

「何気に失礼ですね、マフーさんは」

 肩から下げたスポーツバッグ、そこから顔を出したマフーと話をしながらアンダーウェアは歩いていく。


 相談員の石田は役所で働く。講習会から五日経ち、いつもと変わらぬいつもの仕事をする。午前に相談の予定を入れた、痩せた中年の男と面談をする。

「加藤さん、それでどうでした?」

 加藤さんは初めて会ったときよりも、明るくなった。加藤さんは少し恥ずかしそうに話をする。

「はい、来週の頭から勤務することになりました」

「そうですか! よかったですね。で、どんな感じです?」

「いや、解りませんね。面接のときに職場は一通り見せていただいたのですが、中に入って働いてみないことには、なんとも言えません」

 慎重な性格の加藤さんらしい。それでもその顔からはやる気が伺える。

「給料のほうは以前のとこよりずいぶんと落ちて、月21万というとこですが。ようやく見つかったところですから頑張っていきたいと思います」

 ――私よりも高給ですよ、加藤さん――

 心に浮かぶ思いを消して顔で笑う。私はちゃんと笑えているだろうか?

「よかったですね、加藤さん! まだまだこれからですよ」

「これも全て石田さんのお陰です。石田さんがいてくれなかったら、私なんて、どうなっていたのか……。本当にありがとうございます」


 加藤さんの喜ぶ顔を見て、私のしてきたことがひとつの結果を出したことに、加藤さんの『ありがとうございます』に嬉しくなる。

 反面、なんの仕事か解らないが月収21万という言葉に羨む気持ちも湧く。

 胸の奥がザラリとする。

 あぁ、ダメだ。福祉の仕事をする人間がこんなことを考えては――

「加藤さん、これは加藤さんの努力の結果ですよ。あとは健康に気をつけてお仕事頑張って下さい。お酒は、ほどほどで」

「はい、何から何まで石田さんのお世話になってばかりで……」


 加藤さんを見送って昼の休憩を取る。朝に作った弁当を取り出す。弁当といってもラップに包んだオニギリとまとめ買いしたパックの味噌汁、簡単に作ろうとするとこうなってしまう。

 休憩室でポットのお湯で味噌汁を作る。

 テレビを見ながら海苔の無いオニギリを食べる。

『――ホテルで死体が発見されました』

 昼のニュースで事件の放送をしている。テレビ画面に現れた男の写真には見憶えがある。

 あの顔は、あのときの講習会の講師?

『――首と腹部が鋭利な刃物で切られており、警察は一連の連続殺人との関連を調べています』

 連続殺人? あの男、殺されたのか――

 ニュースを見ながら口の中のオニギリをモグモグと噛んで飲み込む。

「……ざまぁみろ」

 私は慌てて左手で口を抑える。私は今、何を口走った?

 右手のラップに半分包まれたオニギリを机の上に置く。両手で顔を覆う。

 私は、いったい、何を?

 

 あの男が殺されたところで、私の生活にも、私の仕事にも、変わりはない。なにも変わらない。それなのに、少しだけ胸がスッとしたような。

 目を閉じて息を吐く。

『少し公私を分けて、御自愛して下さい』

 アンダーさんの言葉を、不意に思い出す。私は疲れているのかもしれない。

 誰かの役に立てる人になりたかった。

 加藤さんにありがとうと言われて嬉しかった。アンダーさんに立派だと、尊敬すると言われて嬉しかった。

 だけど私はそんなたいした人間じゃない。収入のこと、生活のこと、そんな小さなことで仕事の決まった加藤さんを羨むような、妬むような、そんな器の小さい人間だ。

 ただ、立派だと誉められたいだけの――

 あぁ、これじゃダメだ。

 今日は午後からは引きこもりを抱えた家に家庭訪問に行く。初めて行くところだから相手に不安を抱かせないように、しっかりしないと。

 ひとつ大きく息を吸って、息を吐く。

 両手を顔から離して、テーブルの上のオニギリを手に取って口に運ぶ。

 休憩室では交代でお昼を取る職員が、お弁当を食べながら、テレビを見ながら談笑している。今のニュースの連続殺人事件の話などをしている。

 男が殺されたことについて、思うところがある人は、どうやら私しかいないようだ。

 暖かい味噌汁を飲み、二つ目のオニギリのラップを開いて口に運ぶ。

 オニギリはふりかけを入れすぎてしまったのか、いつもよりしょっぱい気がする。




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