5・金は騙して奪うもので――
暗い中で男は目を醒ます。目を開いても辺りは暗く何も見えない。
――なんだ? ここは、どこだ?――
口には布を噛まされているようで息苦しい。首に何かかけられている。首輪のように。
後ろ手に縛られて椅子に座っている。背もたれに身体を預けている。微かに錆の臭いがする。
そこまで解ったところで男は混乱する。
――何が起きた?――
暗闇の中から声が聞こえる。女の声だ。ふがふぐと何を言ってるのか解らない。んー、とか、うー、とか呻いている。
男も何か喋ろうとするが猿轡を噛まされてこちらも不明瞭な呻き声しか出せない。
――訳が解らない!――
何も見えない暗闇の中、やがて女の声は聞こえなくなっていく。身動きも取れず猿轡に首を締めるもののせいで息苦しい。
気が狂いそうな時間をどれだけ過ごしたか。
いきなりパチンと音がして周りが明るくなる。
男が目にするのは広い空間。高い天井にはクレーン。見渡せば鉄骨や金属を加工するための機械がある。
――工場? でもいったい何の工場だ?――
左を見れば少し離れたところに背凭れのついた椅子がある。そこには赤いスーツの女が座っている。
よく見れば口には布で猿轡を噛まされて、後ろ手に縛られているようでモゾモゾと動いているがそれが精一杯らしい。
首にはロープがかけられて、そのロープの先は天井の方に伸びている。
男は赤いスーツの女と目が合って、きっと自分も同じような状態なのだろう、と理解する。
唐突に訪れた不気味で不可思議な状況。
――夢、か? にしては苦しい――
そこにガラガラと音を立てて現れるのは台車を押して進む長い白髪の黒い下着姿の少女。
赤いスーツの女は、ふー、んー、と少女に声をかけるが黒いベビードール姿の少女は女を無視。
二人の目の前を通り男の右側、誰もいない背凭れのついた椅子の前に行く。少女の押す台車の上には大きな袋がある。
「ふう、これで3人揃いましたね」
少女が台車の上の袋を開けると、中にいるのは縛られて猿轡を噛まされて目隠しをされたジャケット姿の青年がひとり。
少女は、よっこいせ、と青年を台車から持ち上げて椅子に座らせる。
天井から下りているロープを青年の首にかける。
「さて、初めますか」
少女は黒いパンツに手を入れるとそこから刃の厚いナイフを取り出す。
――え? どうやってしまってた?――
男の心の声に応える者は無く、少女は青年の顔にナイフを当てて猿轡だけを切り落とす。途端にジャケット姿の青年はわめき出す。
「誰だ? 何モンだ? 今すぐ俺を解放しろ!」
ガムテープの目隠しで何も見えてない青年は声を上げる。そのすぐそばにサバイバルナイフを持つ黒い下着姿の少女がいることは解ってない。
少女は空いた左手を男の顔に伸ばし、目に貼られたガムテープを一気に剥がす。
「痛ってえええ!」
「眉毛が抜けた程度で大袈裟な」
更に何か言おうと青年が開けた口の中にサバイバルナイフの刃先を突っ込む。刃先で青年の舌をつついて、
「静かにしないとその舌を切り落としますよ」
小首を傾げて青年を脅す。ジャケット姿の青年は目を見開いて静かになる。
下着姿の少女は工場の中をゆっくりと歩き、怯える男と女の口の猿轡も切り落とす。
3人の口が自由になったところで黒い下着姿の白い少女は、3人の前の机に座り足を組む。
「まずは状況を説明しましょうか。私があなたたち3人を誘拐してここに運びました。今日は土曜の夜、日付が変わって日曜の午前2時10分ですね。この工場は月曜まで誰も来ません。大声を出しても無駄ですよ」
「誘拐? 何が目的だ? というかなんだそのカッコ? 頭、大丈夫か?」
ジャケットの青年の言うことに赤いスーツの女と真ん中の男の顔がひきつる。
――ばかー! どう見ても頭おかしいでしょ? キレたら何するか解らないのに――
――あほが! 3人も誘拐して平然としてる奴を挑発するな!――
「私の頭を心配してくれてありがとうございます。ですが3人を誘拐したのは私で」
下着姿の少女は黄色い箱に手を伸ばす。長細い箱は天井から黒い太いコードで垂れ下がっている。少女はおもむろに黄色い箱のスイッチを押す。
天井からゴウンと音がして男の首が絞まる。
「が、あ?」
ジャケットの青年も赤いスーツの女も驚きの声を上げる。
「3人の首のロープは天井のクレーンに繋がってます。私の操作ひとつで首吊り死体が3人分できる、ということを知っておいて下さい」
モノクロの少女は口元だけでニコリと笑う。
「クレーンがひとつしか無いので3人一緒になってしまいますが、こういうのを連帯責任といいますか?」
「や、やめて……」
「苦し……」
少女が手元の大きな黄色いリモコンを操作すると、クレーンが下がったらしく3人は息を荒らげてホッとした顔をする。
「理解できたならば大人しく私の質問に応えて下さいね。あぁ、その前に私が何者か名乗っておくとしましょうか」
少女は底の見えない黒い瞳で3人をゆっくりと見回すと、机から下りて一礼する。
「私の名前はアンダーウェア。悪と戦う正義の魔法少女です」
奇しくもアンダーウェアを前にする3人が少女の名乗りを聞き同じ感想を心に浮かべる。
――本物の気違いだ――
下着姿の真っ白な少女、アンダーウェアはまずジャケット姿の青年の方を向く。
「あなたからいきましょうか。えぇと、石動さん。あなたのご職業は?」
「あ? なんでそんな話を」
アンダーウェアは黄色いリモコンに手を伸ばす。
「ま! 待て! 俺の職業は、職業は無職!」
「ふん? 無職の割りにはいい暮らしをしてますね。では質問を変えます。何で収入を得ていますか?」
「そうやってわざわざ聞くのはなんだ? お前、知ってるんじゃないか?」
「私が確認したいのはあなたの意思、あなたの悪意。なのであなたの口から聞きたいのですよ。あなたが自分のしてることをどう思ってるのか、が、聞きたいところなのです」
「何のために」
「正義のために」
ジャケット姿の青年、石動はアンダーウェアと視線を合わせる。二人は暫く無言のまま見つめ合う。
やがて青年は唇をひとつ舐めて口を開く。
「……俺がやってるのは、特殊詐欺だ」
「自分で詐欺だと認めますか?」
「……あぁ」
「具体的には?」
「所謂、オレオレ詐欺だよ。ボケた年寄りに電話して金を振り込ませるのさ」
「オレオレ詐欺の方が通りがいいですよね。母さん助けて詐欺なんて名称もありますが、広まりませんでしたね」
「名称を変えたところで実態は変わらんだろ。アホな名前を考える政府がアホなんだろ」
「それは同感ですね。そしてあなたは詐欺で稼いで生きている、と」
「そうだな」
「それについて、あなたはどう思います? 遠慮無くどうぞ」
「遠慮無く、ね。首を締められてる状況で遠慮無くと言われても、な」
「なかなか堂々としてますね。隣の二人は脅えて震えているというのに」
石動は首を回してスーツの男と赤いスーツの女を見る。二人とも青い顔をしてカタカタと震えている。
「覚悟が違うんだろよ。俺は確かに違法な詐欺をしている。しかし、俺は俺のしていることを正しいことと思っている」
「ふん? 年寄りを騙す詐欺が正しい、と?」
「そうだ。金っていうのは経済を回し、社会を動かすための、言わば生物における血液のようなものだ。解るか?」
「金は流通に乗ってこそ、売買に使われてこそ経済を動かし社会の役に立つ、と?」
「あんた、見かけはアレだけど頭は回るな。そうだ、金は天下の回りもの。回って動いてこそ経済は活性化する。俺達がしてることは、年寄りが溜め込んで動かない金を見つけては、それを取り上げて再び社会に還元している」
「その手段が違法な詐欺でも?」
ジャケット姿の青年はニヤリと笑う。
「オレオレ詐欺の被害は1年で166億円。なんでここまで総額が増えた? 答えは簡単だ、国が特殊詐欺を黙認してるんだよ」
「ほぉ?」
「かつてはドイツでも戦争の資金稼ぎにユダヤ人からぶん盗った。日本の政府も経済活性化のために年寄りのタンス貯金を奪いたいんだ。だけど時代が変わってマスコミが煩く言うようになって強引なことはできなくなった。俺達が腰抜けの政府の代わりに、詐欺師の汚名を被って死蔵した金を奪っては社会に還元している」
「日本の経済のために、敢えて汚名を被っていると?」
「そうだ。俺達は言うならば義賊だ。現代に復活したネズミ小僧ってところだ」
「なるほど、あなたの思想は理解しました。ではひとつお訊きしたいのですが、特殊詐欺を無くすにはどうすればいいですか?」
「あぁ、そりゃ無理だ」
「無理ですか」
「特殊詐欺の大手の会社は中国に本社がある。中国との関係悪化をしたくない日本は、中国に乗り込んでまで特殊詐欺を捕まえたくは無い。だから国内で目立つ間抜けしか捕まえられない」
「中国との国際交渉のために特殊詐欺の被害は泣き寝入りになるのですか」
「どうしても特殊詐欺を撲滅したいのなら、日本は中国と戦争して勝たないとな」
「なかなか難しいですね。ふん、やはり正義を通すためには戦って勝たなければならないのですね」
「単純に勝ち負けだけとは思わんけど」
「オレオレ詐欺はあなたにとって正義ですか?」
「そうだな。俺達にとっての正義だ。年寄りが好き勝手して今の日本を作ったんだ。その日本を建て直すためには過去の責任者から財産を奪って資金に当てる。バブル期にいい思いをして未来のことを考えなかった年寄り共から金を奪うことは、違法でも悪いこととは思わん」
「その考えに納得するかどうかはともかく、あなたの主義に1本筋が通っていることは認めましょう。おもしろい話が聞けました。ありがとうございます」
アンダーウェアは腕を組み、唇に人指し指を当てて何か考えている。
ジャケット姿の青年はどこかスッキリした顔をしている。
逆にスーツの男と赤いスーツの女は二人の会話の訳の解らなさに顔を青ざめさせる。
二人ともジャケット姿の青年、石動とは初対面でオレオレ詐欺に関わったことも無い。石動とは無関係。
誘拐した人物が身代金目当てに連絡先や家族構成を聞き出すでも無く、持っているカードの暗証番号を聞き出すでも無い。
職業を聞き出してからは、突然の正義と悪の話。その上、日本と中国が戦争とか言い出している。
これでは誘拐の理由も目的も解らない。
夜中の工場はじっとりと暑く、金属と錆と油の臭いがする。
スーツの男は額から出る汗が止まらない。
今度はその男にアンダーウェアは視線を向ける。
「次はあなたです。証券会社にお務めの高碕さん」
白髪の少女の黒い目から、なにか見えない靄が溢れて工場の空気を犯しているように感じて、男は背筋を震わせる。