第十一話 霊獣の棲家 -前編-
ベッケルの背後にある洞窟。
その先に、赤い光に照らされた広く高い部屋がある。
赤い部屋――その中空に浮かぶ異形の者。
「指輪のチカラデ 精神支配攻撃カラ 逃れたカ?」
霊獣ディアボロスは、ベッケルとサシェたちの対峙を心の目で観察していた。
「いや違うナ…… 指輪ハ カーバンクルの聖剣ニ 反応しているだけのヨウダ……」
嬉しそうに目を細めるディアボロス。
「たいした精神力ダ 冒険者ドモ…… どうスル レウヴァーン族? せっカク ここのレベル制限ヲ 60まで上げてやったというノニ」
ディアボロスの足元では、ベッケルの部下のひとりが震えている。
「レベル55で身に付ケタ 精神支配攻撃ガ 役に立たなケレバ…… そなたの次の行動ハ……」
***
サシェがベッケルを見据えたまま、アンティーナに声をかけた。
「アンティーナ、君はベッケルの暗示にかかっているだけだ。落ち着いて」
「は、はい」
右手を胸に当て、目を閉じて深く息を吸うアンティーナ。
本当は、そこまでする必要はなかったのかもしれない。
立ち上がったサシェの声を聞いたときから、力が湧いてくるのを感じているからだ。
サシェの横で、カリリエがゆっくりと自力で立ち上がった。
「ありがとう、ザヤグ。誰も助けてはくれなかった……誰かに助けを求めることもできなかった……父と母に虐待されていた幼い私を……あなたが生かしてくれた……」
前方に立つベッケルを、鋭く睨みつけるカリリエ。
「あなたの慰めなんて、必要ない。心の深い傷に入り込むやり方――あなた自身が弱い証拠だわ」
「ふん……」
ベッケルが一歩下がった。
彼の精神支配が通じていないことは明らかだ。
カリリエの背後で、ミサヨも立ち上がっていた。
「どうするの……? レベル40に制限された者どうし……四対一では勝ち目がないと思うけど」
そう言いながら、魔法の詠唱を始めるミサヨ。
ベッケルがいきなりマントを翻し、洞窟の奥に向かって走った。
魔法が届く距離から外れる前に、ミサヨの短い詠唱が完成する。
黒魔法〈捕縛〉の光が、ベッケルの身体を包んだ――が。
「……レジられた」
つぶやくミサヨの視線の先で、〈捕縛〉に抵抗したベッケルが走って行く。
サシェたち四人が迷わず追うと、すぐに洞窟を抜けて広い空間に出た。
そこで思わずサシェの足が止まり、残りの三人も立ち止まった。
赤く照らされた部屋の中空で、霊獣ディアボロスが大きく翼を広げる姿が目に入ったからだ。
その禍々《まがまが》しさは、見る者の恐怖を呼び覚ます。
ベッケルがディアボロスと話していた。
「……それデ?」
ディアボロスの短い返事に、ベッケルはイライラしているようだった。
「いいから、ここのレベル制限を解除しろ。カーバンクルの聖剣で、やつらを消滅させてやるのだ」
「……制限解除の生け贄ハ またそなたノ 部下でよいノカ? 今日で二人目ダゾ」
震えていたベッケルの部下が、悲鳴を上げた。
「ベ、ベベ、ベッケル様。わ、私めは、何度もあなた様に貢献して参りました。さ、最後の部下である私まで、まさか……」
ベッケルの冷めた目が、部下の男をちらりと見た。
「貴様は最後まで役に立ったな。褒めてやる」
「ひ……ひっ……」
ベッケルの部下が赤い光に包まれ、宙に浮く。
手足をばたつかせる彼は赤い輝きを放ち――消失した。
ズン……――と、精神を揺さぶられたような感覚の後、レベル制限が解除されたことを感じるサシェたち四人。
「霊獣ディアボロスは、手を出さないと思いますわ」
ベッケルとディアボロスのやり取りを見ていたアンティーナの言葉に、サシェも頷いた。
「そうだね。とりあえずは出さないと、俺も思う」
彼女にとって、人間どうしの闘いなど、暇つぶしの余興に過ぎないのだろう。
ベッケルに対し、積極的に力を貸しているようには見えない。
(もっとも安心はできない。霊獣ディアボロスの力は、人間が抗えるレベルをはるかに超えている。少なくとも、こちらに味方する様子は皆無……彼女の気が向けば、一瞬で消されかねない)
うかつに動けない理由がそこにあった。
「……私が〈無敵防御〉で突っ込むわ」
カリリエは既に剣を抜いていた。
ナイトの究極アビリティ〈無敵防御〉は、三十秒間の物理攻撃無効を保障する。
ミサヨは、全員に防御効果のある〈範囲物理障壁II〉と〈範囲魔法障壁II〉を詠唱している。
サシェは考えていた。
レベル制限を完全に解除させたということは、カーバンクルの聖剣の装備レベルは70以上――それを使うベッケルもまた、冒険者レベルが70以上ということだ。
ベッケルの高レベルは予想外だが、そこまではいい。
問題は、聖剣の威力。
ベッケルは“一瞬で消滅させてやる”と言った。
世間に出回っている片手剣と桁違いの性能であることは、サシェにもわかる。
ディアボロスが霊獣なら、カーバンクルも霊獣だ。
その力を秘めた聖剣となれば、〈無敵防御〉も、〈範囲物理障壁〉も〈範囲魔法障壁〉も、気休めにしかならないだろう。
「終わりだ、サシェ」
いきなり、ベッケルが聖剣を一振りした。
カリリエが突っ込む暇もなかった。
サシェは思い出した。
ベッケルがマリィの胸に片手剣を突き刺そうとしたときの華麗な動きを。
鍛えられた騎士の動き――ベッケルは片手剣の使い手として一流だった。
ド……ン――
ベッケルが上げた右腕は、彼の右手の壁に向いていた。
その腕の先に握られた聖剣から迸った青い光は、収束されたエネルギーの奔流となり、十メートルほど離れた壁に深い穴を穿った……一瞬で。
直径六十センチ程度の穴はきれいな円形で、その深さは――。
「くく……五十メートルくらいの横穴を掘ってしまったかな……」
衝撃はあったが、壁がくずれたわけではない。
部屋の中に瓦礫が噴き出したわけでもない。
深さ五十メートルもの穴が掘られたのだとすれば、それだけの容積の物質が消滅したと考えるほうが自然だろう。
人知を超えた凄まじい破壊力。
ベッケルの最初の行動は威嚇だった。
最初に力を示し、相手を屈服させるのが彼のやり方だ。
リタ家では王室親衛隊の身分証を見せつけ、ドラゴーニュ城では国務代行代理の権限をちらつかせ、カーバンクルの間ではアンティーナが手駒であることを最初に明かした。
サシェがぽつりと言った。
「……動ける?」
「あれくらいで、足がすくむとでも思った?」
カリリエがニヤリと笑っている。
「こういうとき……冒険者って、へんに肝が据わっちゃうよね」
ミサヨが微笑んだ。
「こうしてみると……ベッケルが、思ったより賢くないことがわかりましたわ」
アンティーナが冷静に言った。
「そうだね……わざわざ聖剣の力を披露してくれるとは思わなかった」
おかげで、なんとかなりそうだ――サシェが、はっきりとそう言った。
「何をぶつぶつ言っている? 命乞いなら、もっと大きな声で言え」
ベッケルが余裕の声を上げたとき、一歩前に踏み出したサシェが、呪文の詠唱を始めた。
「ふん、早死にを選んだか」
あきれた口調とともに、ベッケルの手首が返り――。
「詠唱中に、死ね」
――俊敏な動きで腕が上がった。
***
「くっ……」
カリリエが放った神聖魔法〈閃光〉が、ベッケルの視界を一瞬白く染めた。
同時にミサヨによる黒魔法〈麻痺〉が、ベッケルの動きを止めた。
いずれも、詠唱時間は〇・五秒――世界で最速の魔法である。
サシェの足元に美しい楕円形の穴が斜めにあいていた。
ベッケルの聖剣による攻撃が外れたのだ。
「小賢しいわ」
叫ぶベッケルがもう一度サシェを見据え、剣を構えようとしたそのとき、ベッケルの意識が暗転した。
(アンティーナの黒魔法〈睡眠II〉――か、だが……)
立ったまま意識を失ったベッケルの首で揺れたのは“砂の護符”。
氷、土、闇の三つの系統に属する魔法に耐性を発揮する希少アイテムである。
それが霊獣ディアボロスの力で強化されていることを、サシェたちは知らない。
ただ、ベッケルがミサヨの〈捕縛〉――氷系の黒魔法――をレジストしたのを見たとき、彼が少なくとも氷系の魔法耐性を上げるアイテムを持っていることを疑った。
カリリエ、ミサヨ、アンティーナの三人が、それぞれ異なる系統の魔法を立て続けに放ったのはそのためだ。
最初にかけた光系の〈閃光〉と雷系の〈麻痺〉は、どちらも効果を発揮した。
そのおかげで聖剣の一撃目を回避できた。
そして絶対にレジストされてはならなかったのが闇系の〈睡眠II〉――これが効かなければ、聖剣の二撃目で誰かが死んでいただろう。
だから冒険者レベル90相当のアンティーナが〈睡眠II〉を担当した。
敵の魔法抵抗率を大幅に下げるアビリティ〈精霊印〉まで併用して。
そのおかげで、砂の護符により闇系の耐性を上げていたベッケルに、〈睡眠II〉が効いたのだ。
ベッケルが立ったまま睡眠状態に落ちたのを見て、サシェたち四人は安堵の息を漏らした。
必ず効くはずの〈睡眠II〉だったが、それでも不安だったのだ。
互いの目を見て、心の準備をする。
一発でも攻撃を当てれば目を覚ますため、一撃で倒す必要があるのだ。
「決めよう」
サシェの合図とともに、サシェ、ミサヨ、アンティーナがそれぞれ強力な攻撃魔法の詠唱を始めた。
〈睡眠II〉の効果時間は九十秒――仮にハーフレジストをされたとしても、四十五秒である。
いくら強力な魔法の詠唱には時間がかかるといっても、二十秒もあれば足りる。
間もなく詠唱が終わるというそのとき――。
……ベッケルの瞳が、動いた。
***
冒険者レベル90相当のアンティーナが、〈精霊印〉まで使って放った〈睡眠II〉だった。
それにもかかわらず、ベッケルはクォーターレジストを発揮した。
きっかり九十秒間眠りに落ちているはずだった彼が、わずか二十二・五秒で目覚めたのだ。
カリリエが再び〈閃光〉を放つより早く、ベッケルによる精神支配攻撃が、わずか〇・三秒で四人を襲った。
(ぐ……)
サシェの目に浮かんだのは、夫の目を直視できないでいる妻の姿。
彼女を問い詰めて知ったのは……まもなく一歳になる娘メイルルが、自分の子ではないという事実……。
彼女はその不貞について、「後悔していない」と言った。
一瞬の幻影を振り払う。
詠唱は中断していない……完了まで、あと一秒。
ベッケルが聖剣を振るのが見えた。
(おまえは何もわかっちゃいない、ベッケル)
聖剣の先端が青く光る。
(それでも俺は、ふたりを愛していた……)
ギカッ――という鼓膜をつんざく放電音と、網膜を焼く眩しい雷光が同時だった。
サシェの黒魔法〈範囲迅雷III〉が、長い詠唱を終えてついに発動したのだ。
同時にサシェの身体が、聖剣から噴き出す青いエネルギーの奔流に飲み込まれた。
(おまえと、俺の……運だめしだ………ベッケル)
世界が、光に包まれた。




