第四章 ~長丁場になった・Ⅰ~
新章の開始です。猛達は高校の同窓会に出席するのですが…リアルの人間ドラマも色々動きがありそうです。
第四章
その日も、いつもより早く浅草橋駅の近くに来ていた。とはいえバイトが無いからたまたま、という訳ではなかった。
その日のバイトシフトを替えてもらい、猛は数ヶ月前まで着慣れていたグレイのスーツにピンストライプのネクタイを締め、待ち合わせの小さな改札口に向かった。日は都市風景の向こうへ完全にその姿を没し、オフィスビルから姿を現わしたサラリーマン達が、あるいは駅へ、あるいは居酒屋へ、と陽気に喋りながら行き交う。自分もその様な労働者の一人に見えるかな、などとネクタイを締め直しながら猛は考えた。実際数ヶ月前までそうであったのが、今では何年も前の事の様に思えてきていた。
「やぁ、少し早かったかな?」
通行人の邪魔にならぬよう、改札入口の横に立ち待っていた秀人が手を挙げる。黒のダブルのスーツにライトグレイのネクタイは、結婚式にでも行くかの様であった。
「うん。でもその俺より早いんだから」
つい一週間余り前に電話を掛けた時には、さして乗り気でない様な口ぶりであったのに、と猛は胸中で少しだけ呆れた。高校二年のクラスの同窓会があると家に電話があり、迷った挙げ句に出席するか、秀人に探りを入れたのであった。きょうび家に電話、という事態が、いかに同級生達と没交渉であったかを物語っており、それは即ち、秀人以外にいかに親交を温めた人物がいなかったか、という事である。彼にとっては決して悪い高校生活ではなかったが、一人で出席し浮きまくるのは目に見えていたのであった。
「仕事が早めに終わったからさ」
「その格好で出勤したの?」
「そうだけど?」
「いや、みんな驚いてなかった?」
開発メンバの面々は、いつものラフな格好しか知らないのでは、と咄嗟に思ったのであったが。
「いやいや、僕だって社会人だし、れっきとした社員だし。みんなの前でスーツを着た事だってあるよ。失礼だなぁ、君は」
心外だなぁ、とでも言いたげに、眉根に皺を寄せてみせる。
「はは、ご免。じゃ、行こっか?」
秀人の左腕を軽く叩くと、猛は改札口へと誘う様に向かう。二人の姿は改札の向こうへと消えていった。
会場である渋谷の中華料理屋に入ると、聞き覚えのある声が幾つも混じり耳に届いた。見れば、奥の方の中華テーブル傍らに数人の着飾った若い男女が立ち、談笑している。その中心には長身の、タイトなスーツに身を包んだイケメンがいた。
「あ、山田君だ」
「うん」
猛の一言に反応した、秀人の表情は険しい。そちらの方へ歩き出した猛の後ろをついて行く。
「山田君、みんな」
軽く手を挙げつつ声を掛けると、喧噪は一時、止んだ。一斉に二人を見る。
「ああ…ええと」
「鹿島、猛だよ」
男女の中心に立ったイケメンが思い出すのに苦労しているのに、苦笑しつつ名乗る。
「久し振り」
秀人は手前に居たワンピース姿の女性に、躊躇いがちに声を掛けた。一同の中でも、パッと目に付く華やかな美人である。その両手を一瞥し、指輪の類をしていないのを見て取ると、安心した様な顔をした。
「ああ、神島君…お久し振り」
なぜか戸惑った様子の女性に、猛は視線を向けた。
「あの、平井さん、だよね?」
「うん、鹿島君も元気してた?」
イケメンこと山田同様、先程まで猛の名前を思い出せてはいなかったであろうが、その様な事はおくびにも出さず魅惑的な笑みで返す。
「うん、そっちも元気?」
「有難う、大丈夫。仕事も楽しくなってきたし」
「化粧品会社、だっけ?よく似合ってるよ」
不意に秀人が声を張り上げ、会話に加わってきた。
「有難う。まだまだこれから、だけどね」
「みんな、そうじゃない?」
秀人が笑顔を作ると、平井も微笑を返してくるが。
「何だ神島、来てたのか!?」
山田が、殊更に大声で話し掛けてきた。
「あ、ああ、山田、君」
伏し目がちに返答する秀人。
「こっち来いよ、話そうぜ!」
表情は、決して好意的とは言えない意地悪さを滲ませている。威圧する為の大声である。
「そう、だね」
おずおず、と秀人は前に進み出た。
「イヤー、俺はてっきりお前は来ないもんだと思ってたんだ、来たのか」
「まぁ、ね…久しぶりに逢いたい人が居たから」
山田でなく平井に視線を送りつつ秀人。逢いたい人、が誰か、如実に判る様に。
「ふん。じゃあ、もう、充分なんじゃないか?」
「どうだろ?」
二人の間に、急速に不穏な空気が流れ出す。
「あー、ええと、竹中先生は?」
空気を断ち切る為に猛が問いを発する。
「まだ。まぁ、少し早めだったし」
平井もその意図に同調する。と、入口が開かれた電子音が鳴り。
「あぁ、山田くーん」
少し間延びした声が緊張感を萎ませた。
「あ、イチローか!?」
「鈴木君!」
山田と平井は、近づいてくる痩身の元クラスメイトに手を振り応じた。
「イチローって、鈴木市郎?」
秀人が平井に問うと。
「そうよ。『打たないイチロー』」
「ああ、山田君、久し振りぃ。平井さんもぉ」
鈴木は鹿島達には一瞥もくれず、輪の中へ入っていった。
「ほんとぉ、久し振りだねぇー」
山田の手を取りはしゃぐ鈴木と。
「お前も相変わらずだな」
手を解くと鈴木の頬を軽く叩く山田。「やめてよー」などと言いながら笑顔の鈴木。ノリは高校の頃と変わらない。そんな所へ、また電子音が。
「あ、竹中先生!」
女性の声で振り返れば、数年前と変わり映えのしないクラス担任の、国語教師の優しげな顔が目に入った。
「やぁ、君達元気そうだねぇ」
教え子の男子数人と共に、ゆっくり近付いて来る。たちまちクラスメイト達の旧交温め騒ぎとなった、猛達二人を置き去りにして。
「先生、お久し振りです。お元気そうで」
小さく猛が会釈すると。
「鹿島君もね。どうだい、仕事は頑張ってるかい?」
「はは、実は会社が倒産しまして。今はバイトを」
苦笑を浮かべる。不思議ともう、思い出す度に繰り返された胸の疼きはない。
「そうだったのかい?それは大変だったねぇ」
心配そうに竹中は猛の手を取った。
「心配ご無用ですよ。今はウチの仕事も手伝って貰ってます」
秀人が横から割って入る。
「ああ。神島君は、専門学校を卒業して今どうしているんだい?お兄さんが起業したと聞いたが?」
「はい、そこで働いてます。猛は、まぁ、臨時雇いですよ」
「他にバイトもしてます」
デバッガの仕事だけが収入源だと誤解されないよう言い添える。
「そうかそうか。二人は昔から仲が良かったからね」
竹中の面に笑顔の皺が刻まれた。変わりがない様で、やはり時は経っているのだと思い知る。
「どうやら全員集合したみたいだし、そろそろ着席しようか!?」
人数を確認した幹事がそう呼ばわると、一同はぞろぞろテーブルへと移動していった。
『G.I.ソフトウェア』のいつもの部屋では、能勢達三人が作業を行っていた。
「猛さん達、今日は楽しんでると良いですね」
グラフィックソフトを操作しながら、名波は梨名に話し掛けた。時計の針は、二次会が始まっているであろう頃合いを示していた。
「猛さん達、ねぇ。名波、貴女、彼が気になるの?」
ニヤニヤしながらキーボードを打つ手を止めず、横の妹を盗み見る。
「気になる、って言うか、良い人ですよね。ちょっと好みかも」
「ちょっと?」
梨名には、妹の言葉にちょっとした嘘が含まれているのが判った。二十年余り共に暮らしてきたのである、その程度の鼻は利いた。
「ええ、うーん、ああ、姉さーんっ!」
見透かされているのに、どう応じようかと思い悩んだ挙げ句、名波は白旗を掲げた。その様子を、楽しげに眺めていた能勢も。
「このゲームもこれからが長丁場だし、親密になる為の時間はまだまだたっぷりあるよ?」
「能勢さんまで!」
頬を紅潮させながら口を尖らせる名波。と、扉が勢いよく開かれた。
「秀人達が警察に捕まった!」
入ってくるなり、そう呼ばわったのは才人であった。
「え?」
「はい?」
「…何があったんだい?」
言葉の意味が胸に落ちていない風の加上姉妹に対し、少し険しい表情を作り問いを発する能勢に。
「よく判りませんが、どうやら同窓会の元クラスメイトと喧嘩をした様です。これから迎えに行って来ます」
「ええー!?警察って、何をしたんですかぁー?」
たった今説明された事を、名波がワンテンポ遅れて問うてくる。苦笑しながら「行って来ます」と言い残し、才人は扉の向こうへ消えた。
同窓会がお開きとなり、店を出た元クラスメイト達は二次会をどうするか、そこここで相談し始めていた。
「それじゃ、みんなこれで。またいつか!」
猛と秀人は手を挙げ、一同に声を掛けた。疎らな「お疲れ」、「また今度」等の声が返ってくる。
始めからさっさとお暇するつもりであった猛達は、別れの挨拶を済ませ駅へ向かおうとしていたのであるが。
「よおぅ、もう帰るのかよー?」
背後から、二人の方に負ぶさってくる者があった。山田であった。もう随分と出来上がっている。
「山田くーん、みんな呼んでるよぉ、行こうよぉ」
山田の様子に何か不吉なものでも感じたか、鈴木が山田の腕を引くのを振り解き。
「金曜だぞ?もっと旧交を温め合おうぜぇ!」
「悪いけど、明日も出勤でね。今日はこれで失礼するよ」
僅かに振り向き、秀人は山田を横目で見ながら言った。猛にもそれが本当なのかは判らなかったが、単なる言い訳でもあるまいと思えた。
「はぁー?IT業界は忙しいってか?『G.I.ソフトウェア』って、何か古くせぇRPG作ってるって?」
「うん?」
現況報告で会社名は口にしたが、具体的な業務内容は話していなかった筈であったが。
「ウチの会社でもさ、あのパッケージ買った人が居てぇ。毎回新ダンジョンダウンロードしてるって」
そう説明する鈴木は、HP製作会社に勤めていると言っていた。
「それは嬉しいね。次のダンジョンの為の作業だから、出勤しないと遅れちゃうんだ」
「それってあれだろ?雑誌なんかに付いてくる、使えねぇクリアファイルみたいなモンだろ?そんなつまらねぇの遅れたって、どうせ誰も困りゃしねぇよ!」
「おいおい山田君、やった事があるの?無いならやってから」
「黙ってろって!」
端から馬鹿にした態度の山田に文句を言おうとした猛の口を、山田が塞いだ。
「これでも累計ダウンロード数は結構いってるよ?山田君こそどうなの?今頃Jリーグで活躍してるんじゃなかったっけ?」
高校時代から山田はそう宣言していたし、それを嘱望されていたのであったが。
「うっせぇ、人の事は放っとけ!」
秀人の頭を叩いた。しかし秀人は怯まない。
「世の中、幾らでも上には上がいるって判ったろ?こっちだって、別にドラ●エと張り合おうとか」
「ナマ言ってんじゃねぇ!」
猛を解放し、山田は両手で秀人を突き飛ばした。数歩よろめき、秀人は振り向いた。険しい表情で山田を睨み返す。
「みんな知ってるか!?こいつ、身の程知らずにも、例の場所で平井にコクッたんだぞ!」
山田は聞こえよがしに、大声で秀人の古傷を抉る様な過去を公にする。例の場所、とは教室棟裏の自転車置き場横に植えられている木の陰の事であった。そこで誰にも見られず告白をすれば恋は成就し、幸せなカップルになれる、と言い伝えられていたが、誰の目もない時間帯というのは、告白する者もまたそこには居られない、という事であった。
「ま、当然フられたけどな!俺が見てなくたって、こんなキモオタの告白、誰が受けるかってんだよなぁ!?」
秀人の面は怒りと羞恥で真っ赤になった。右手で山田のネクタイを掴んだ。
「フられたのは君だって同じだろう!?まして付き合ってる人が居たのに告白なんて、最低だ!」
「だからうっせぇ!」
山田は秀人の右手をネクタイからもぎ離すと、捻り気味に振り回した。前のめりに倒れる秀人に。
「お前みたいなキモオタがコクるなんざ、平井さんが迷惑だって言ったろうが!今日も会いに来たんだろうが、キモオタ!」
倒れた秀人に、蹴りを見舞う。元サッカー部員のトゥーキックであった。
「バカ、やめろ!」
何かしなければ。咄嗟に猛は秀人に被さり庇った。
「このキモオタ共が!」
足蹴りをやめない山田。何事が起きたかと、その場に居た者達が騒ぎ出す。鈴木はおろおろしている。
「おい、やめさせろよ!」
猛は何もしない連中に蹴りを浴びながら叫び、スマホを取り出した。警察をダイヤルする。
「山田君、もう、もう!」
鈴木が背後から山田に抱きついた。男達も何人か、やって来て山田を引き離そうとしだす。
「お前らなんかに、何が出来るってんだ!!」
よってたかって引き離されながら、尚も蹴りをやめようとしない山田。しかしそれも、やがて息が切れると落ち着いてくる。その双眸には、涙が滲んでいた。重苦しい沈黙が落ち、やがてそれはパトカーのサイレンに取って代わられていった。
タクシーが警察署の近くに停まるなり、才人は飛び出した。運転手には待っていてくれるよう言ってあった。正面玄関の階段を駆け上がり、署内をずんずんと進んで行く。秀人達はベンチに腰掛け、無言で座っていた。
「秀人!」
声を掛けると、おずおず、という風に声の主を見る。二人のスーツはあちこち足跡の汚れが付着し、秀人のダブルのスーツは更にあちこち綻んでいる。
「兄さん…」
険しい表情の才人に、叱られた子供の様に頼りない声で答える。
「どうなってる!?」
「…」
「二人とも、簡単な事情聴取を受けました。同窓会の参加者は、もう解放されてます。その、当事者の山田君は、今も」
黙りの秀人に代わり、猛が簡単な状況報告をしようとするが。
「そういう事じゃない!」
一喝され、猛は口を閉じた。
「…じゃあ、何?」
ぼそぼそと、秀人はそれだけ言った。
「お前は酒に酔って人に暴力を振るったのか!?なんて情けないんだ!」
「いえ、ネクタイを掴んだだけで、こっちが一方的にやられて」
「黙っていてくれないか!?」
またも猛は口を閉じた。
「…ああ、兄さんには情けない弟だろうよ」
その声は、とても暗く、冷たい。
「何を言っている?」
才人の表情が一変する。何かに怯えているかの様な。
「兄さんは、頭が良すぎてバカなんだよ。不出来な弟の事なんて、何も判らないだろ?」
「…ああ、判らない。これでも理解しようと努力してきたつもりだ。今のプロジェクトにしても、お前が集中出来るかも知れないと思えばこそ、慣れないゲームの企画までしたというのに!」
「そいつはどうも!子供に玩具を買い与える父親のつもりかい!?」
珍しく、秀人が声を荒げる。
「あの、ここ警察署だから。もう少し声を」
「うるさいよ!」
今度は秀人に叱られた。
「兄さんは迷惑なんだよ!親には中学の時に諦められてたのは判ってたよ!高校に入って、なけなしの勇気振り絞って告白したら、「お兄さんだったら」って言われたよ!専門学校進むって言った時も、親父は「そうか」だけだったよ!みんな、僕の事なんてどうでもいいんだよ!!」
言いながら、秀人の頬を涙が伝い落ちて行く。彼が長年抱え込んできたものが、流れ落ちて行くかの様に猛には思えた。我知らず、という風に、その肩を叩いていた。泣き顔のまま、秀人は振り返った。
「あー、あのさ。俺、これでも、どうでもいい奴に付き合い続ける程物好きじゃないんだけど?」
秀人はポカン、としていた。
「あー、だからさ。みんな、の中に、俺は入ってないよな?」
猛本人としては会心の笑みを浮かべた筈であったが。
「何だい、気味が悪いなぁ」
ハンカチを取り出し、顔を覆う。暫くして、いつもの笑顔を取り戻した秀人が現れた、
「どうなんだ?」
「ああ、確かにそうだね」
肩に置かれた手を取り、握り締めてくる。
「そういえば、お礼がまだだったっけ?庇ってくれて有難う」
「感謝してくれよ?」
「調子に乗ってるなー」
そんな会話の間に、二人は固く手を握り合った。互いの手は熱く感じられた。ふと、才人の方へ視線をやると、微笑を浮かべているのが見えた。
「さぁ、タクシーを待たせてある。帰るぞ」
二人が立ち上がるのを待たず、踵を返し歩き出す才人。三人は一列に並んで外へ出た。
秀人を先に乗せ、才人は猛に問うた。
「君はどうする?送っていくが?」
「いえ、電車はまだありますし」
ここは兄弟水入らずにしておいた方が良いだろう、との猛なりの配慮であった。しかし足跡付きのスーツで電車に乗るのかと、才人はまじまじと猛を見返す。
「その格好で?」
「脱いでいきますから」
「そのスーツはもう着られないだろう?」
よく見れば、秀人と同様あちこち綻んでもいた。
「山田君に弁償させますから。それでは、さようなら」
手を挙げる。才人は一つ頷き、タクシーに乗り込んだ。走り出す。と、車窓から秀人が顔を出した。
「また電話するから!」
「待ってる!」
秀人は小さく手を振ると引っ込んだ。その様子を見送った猛は、上着を脱ぎ歩き出す。風はすっかり冷たくなってきたが、それを感じない程心は温かくなっていた。




