どー71. 雲に乗って、どこまでも
現実逃避
「何をなさっておられるのです、旦那様?」
「ああ、曇っていいな、と思ってな」
「雲、でございますか」
「そう、雲。こう、ボーと眺めているだけで心が落ち着いてくるんだよ」
「そうでございますか。流石は旦那様でございますね?」
「…?何が流石、なんだよ?」
「いえ、つまりは旦那様は眼下に浮かぶ雲を見下して悦に入っておられたと、そう仰られるわけでございますね?」
「何か酷い誤解を生じるような物言いだが…一応間違ってはいないな、うん」
「眼下の塵芥を見下して悦に浸られる旦那様……下々のものなど全てが旦那様の前にひれ伏すべきだと、そのような解釈でよろしいのですね、旦那様?」
「よくない。つかどうしたらそんな解釈になる。俺としてはお前がそう言う危ない発想をする事に軽い恐怖を覚えるのですが」
「そんな、旦那様に喜んでいただけるのでしたら私は幸いでございます」
「何、その唐突な流れ!?俺っていつ喜びましたっけ??」
「旦那様は常に混乱をきたしておりますので、自覚があらせられないのはある程度まで仕方のない事かと。ですが心配には及びませんとも。旦那様の御心はすべてこの私が完璧に理解しておりますので」
「…どこが、と俺は問いたい」
「全てでございます」
「即答ですか」
「はい。躊躇う必要すらない事でございますので。それと旦那様にもよりご理解いただける方法を私の方で検討したのですが、よろしいでしょうか?」
「…何故か非常に気が進まないのだが、まあいい取敢えずやってみろ」
「はい。では――…にやり」
「怖っ!!無表情か、無表情なのか!?」
「そ、そんなに私は怖い、ですか…?」
「正直お前のその身の代わりが心底怖いです。だから、今にも泣き出しそうな顔するなってば、何か俺が悪いことしてるみたいな気分になってくるじゃないか」
「旦那様が悪いのは常時ですのでお気になさらぬよう。そして正直者の旦那様を持てて私は幸せでございますね?」
「何故そこで俺に振る?俺にどう答えろと?」
「私は今現在旦那様の御言葉により大変深く傷つけられております。なればこそ、旦那様がなされるのはひとつを置いて他にないかと」
「慰めろ、と?」
「いえ、私の口からは申し上げる事はできませんが旦那様がそう仰られるのであればそうなのでありましょう」
「なら日頃から深く傷づいている俺の心はどうすればいいんだよ?」
「……申し訳ございません、旦那様」
「そうそう、そうした殊勝な態度が――」
「只今旦那様が仰られた事を、私とした事が少々聞き逃してしまったようですので、もう一度繰り返してはいただけないでしょうか?」
「ですよね?……やっぱりそんなオチか。いいか、もう一度言うぞ、今度は聞き逃すなよ?」
「はい、それは勿論でございます。旦那様が日頃より深く傷ついておられるなど、そのように雑言を聞き間違えてしまうなど私とした事が大変な深くでございます。では旦那様、改めましてもう一度よろしくお願いいたします」
「もう嫌だ」
「えぇ!?」
「何だよ、その反応は?つかその驚いた、みたいな反応は俺がしたいよ、主にお前の忠誠心に対して」
「…旦那様、雲とはいいものでございますね。あちらなど、クゥガの実のような形をしているのではないでしょうか?」
「ふっ、そうか、お前にもようやく雲の良さが分かったか。………それを現実逃避と言うんだぞ?」
「旦那様はご自分でおっしゃられていて悲しくは御座いませんか?」
「めちゃ、虚しいよ。だが!死なば諸共だっ!!」
「さて、旦那様の妄言にも十分に付き合いましたので、仕事に戻るといたしましょうか」
「えっ、なに!?その見事なスルーっぷりは一体どういった意味なの!?」
「旦那様、念のために申し上げておきたいと思いますが、雲が食べ物に見えたからと言って身を投げ出すなどと愚かな真似はしてはいけませんよ?」
「しないよ!?俺ってどこまでお子様だよ、それっ。あと何ですか、その妙に生温かそうな微笑みはっ!?………って、もういねぇ!!!」
「旦那様が雲に乗ってどこかへ消えてしまうなど………一瞬とは言え我ながら愚かな考えですね。本当に、どうしようもありません。これもそれも全てあのようなお顔で雲を眺めていた旦那様が悪いのです、きっと」
本日一口メモ〜
ちなみに、忘れているかもしれませんがクゥガの実とはメイドさんの好物です。
さて、果たして旦那様はどのような表情で空を眺めていたのか…?
旦那様の今日の格言
「俺は、自由だっ!」
メイドさんの今日の戯言
「旦那様は常にご自分で雁字搦めにされております」