Act XX. アントリエール
おくれました。
アントリエールはど-345あたりに出てきたラントリッタのお姫様の名前です。
それは城の一角。
アントリエール・ラントリッタ、分かりやすく一言で表すならばこの国のお姫様が自室で午後のティータイムを過ごしている時の事だった。
「……?」
不意に外が騒がしくなったのに、彼女は不思議に思い横に佇んでいたメイドにその事を尋ねた。
「何かあったのかしら?」
「……少々お待ち下さい、姫様。只今確認して参ります」
「ええ、お願いしますね、マリエ」
「はい」
同い年くらいのメイドの少女――マリエは恭しく頭を一度下げて、静かに部屋を退出していった。
「……ん」
止まっていた手を再開。もう一度紅茶に口をつけて、彼女は唐突にとあることを思い出した。
……とはいっても、実際には特別“唐突”と言う訳ではなく彼女にして不意に暇がある時に思い出してしまう内容ではあったのだが――話題休閑、話を元に戻す。
「そう言えばあの方は今頃何処で何をしているのでしょうね?」
あの方とは、
初めて会った時の事も思い出してしまい、頬が赤くなる。
恥かしい――と自覚しながらも彼女の頬は僅かに緩み、口元には困ったような微笑が浮かんでいた。
「姫様、失礼いたします」
「……ええ」
一礼をして、先程退出した少女が再び入室してくる。
「それでどうでした? なにかあったのかしら?」
「ええ、どうにも城に侵入者……が入りこんだ様でして」
「侵入者……?」
彼女の頬が僅かにこわばる。
彼女の立場上、侵入者と言うものにはある程度の心当たりがあった。しかも、良くない方面で。
――アントリエール・ラントリッタは常に狙われている。
それはもはや周知の事実である。
身体が病弱な割に王位の継承権の高い彼女は、有り体に言って邪魔なのだ。それもとびきり。
そんな“下らない理由”で狙われる。実父であるはずの王も半ば見て見ぬふり……いや、こちらは周りのしがらみから見て見ぬふりしか出来ないと言うのが正しい。
それでも、以前に比べて見れば――“不運にも”彼女を狙っていた彼女以下の王位継承権持ちの王族や有力貴族が不慮の事故に立て続けに遭ったのが原因で、今は比較的狙われる機会が減ったのだが。
それでも完全になくなったと言う訳ではなく、侵入者と言う言葉にある程度慣れてはいたものの、それでも彼女が完全に平静でいられたと言う訳ではなかった。
「ですがご安心ください、姫様。侵入者なぞ、すぐにでも捕えられましょう」
「……ええ、そうね。そうよね」
「はい」
マリエの言葉は正しい。この国の騎士たちはそれほど無能ではない。
ましてや今回の様に――早々に発見されている賊など、モノの数分で捕えてしまうのは間違いないだろう。
それでも、彼女の不安を完全に取り除く事は出来なかったが。
気持ちを少しでも落ち着かせるために彼女は紅茶をもう一口、口に含んで。それから横に添えてあったクッキーを一つ、さくりと食べた。
「……ん」
とても、甘かった。けれどお陰で少し落ち着きを取り戻す事が出来た。
このお菓子はお茶菓子、と言う事もあるがそれ以上に、食の細い彼女の栄養摂取を助ける意味合いも含まれている。なので飛びきり甘く、まあそれ以上に彼女が飛び切りの甘党と言う事実もあるのだが。
――不意に、外の騒がしさが止んだ。
「どうやら捕えたようですね」
「……ええ、その様ですね」
「……、姫様? 如何なさいましたか? まだ何か心配事がおありで?」
「いえ、今回の侵入者……本当に簡単に捕まったのですね、と思いまして」
「それは……どう言う事でしょう?」
「そう、ね。例えば早々に見つかった侵入者とやらは囮で、本命が別にいる、とか」
「まさか、その様な」
「そうですね。これは流石に考えすぎ……なのでしょうね」
そう言いつつも不思議な焦燥感が離れない。
これまでの彼女の経験が言っていた。まだ何かある、気を抜くな――と。
その時。
こんこん、と部屋をノックする音が響いた。
「――ッ!?」
「? 誰か来られたようですね。姫様、少々お待ち下さいませ」
「待――」
「……え?」
主の静止も及ばず、マリエがドアを開いたのと主の静止に後ろを振り向いたのは同時だった。
そしてあいたドアの向こうに立っていたのは、――この城のものではなかった。
◇◆◇
「よっ、久しぶり!」
実に馴れ馴れしい様子で“彼”が部屋に足を踏み入れ、その瞬間続けざま三つの事が起きた。
姫様の護衛も兼ねているメイドの少女が見知らぬ“彼”を敵と見なし、高速で足払いを掛けたのと。
不運にも全く同タイミングで一歩踏み出しかけていた“彼”が絶妙のタイミングで足を払われて、勢いよく前のめりに倒れ込んだのと。
――そして三つ目が一番重要なのだが、天上から降り立った『影』がその手に濡れたナイフを掲げて、目前にいたアントリエールに向けて振り下ろした。
「はぁ!!」
「――っっ!?」
「お覚悟、!?」
「ぅ、お――!!??」
「きゃっ!?」
「――姫様!?」
そうして三つの事が重なりあった結果。
床に姫様を押し倒している誰とも知らない男が一名、そんな光景が出来上がっていた。
奇襲を掛けた『影』は一番のタイミングに邪魔をされ、今は壁際まで引いている。当然その間にはマリエが何処から抜いたかナイフを片手に戦闘態勢で立っていた。
……不思議な事に、マリエのナイフは『影』の方ではなく、アントリエールを押し倒した男の方を向いていたが。いや、当然のことか。
「……いつつっ。きゅ、急になんだ? 何がどうなった……ん?」
「……」
「お、久しぶりだな、アンっ」
“彼”はアントリエールを押し倒したまま、実に気安げに彼女に声を掛け、――彼女は当然の如く眼を大きく見開いたまま固まってしまっていて。
「……ぁぅ」
姫様の、今にも気絶しそうな喘ぎ声に自体は再び動き出した。
最初に動いたのは二人。マリエがナイフを片手に男 (とアントリエール)に駆け寄り、それをチャンスと見たのか壁際にいた『影』もナイフを片手に、再びアントリエールへと襲い掛かる。
「――姫様から離れなさい、この暴漢! 下郎!」
「――っ!」
「何っ、暴漢!? 何処のどいつだ、その不届きモノは!!」
「「お前だ!」」
「え?」
何故かマリエと『影』の声は絶妙に重なっていて。
男は不思議そうに顔を上げたまま、自分の腕の下にいる姫様を見下ろして。
マリエが男に、『影』がアントリエールにナイフを振り下ろすのと同時。
「ち、違……!」
絶妙のタイミングで男は立ち上がり、そのついでに腕下にいたアントリエールを突き飛ばしていた。
「違うっ、誤解だ!!」
「何が誤解なものですかっ、姫様に手を出そうなど、死罪です、極刑です!」
「――っ、」
男は“二人”に対して咄嗟に言い訳をしていた。
二人――当然メイド少女マリエと『影』である。そのお陰かその所為か、『影』の方は標的に近付けずに踏みとどまることを余儀なくされていた。
そして何を思ったか、近くに倒れていたアントリエールを抱きしめて、“脅迫”を始め出した。
「え、きゃっ!?」
「――く、お前ら、二人ともっ、近寄るな? それ以上近づくとこの子がどうなるか分からないぞッ!」
「姫さ、……くっ、卑怯な!」
「……」
「何とでも言えっ、勝った方が正義だ。うははははっ!!」
「く、くぅぅ!!」
「……」
アントリエールを後ろから抱き締める男は興が乗ったのか完全に悪役に成りきっていて。マリエは悔しげに男を睨みつけていた。
困った想定外の急展開に、『影』の方は何処か戸惑ったようにその場に佇むだけだった。
「ふっ、お前ら二人ともっ! 少しでも動いたらこの可愛い顔がどうなるか……分かってるな? クククッ」
「くっ、何が望みですか!!」
「……えと?」
「それは当然っ――」
「……えっと、何をなさっているのですか、レム様?」
緊張感の漂う中、アントリエールの何処か呆れた声が、場の動きを一瞬で止めた。
◇◆◇
「んー? いや、何となくその場の雰囲気で? ノッてみた。どうだ、迫真の演技だっただろ、アン?」
「え、ええ。まあ……」
「それはそうとアン、実は今日はちょっぴりお願い、というかぶっちゃけタカリに来たんだけどさ」
「たか、……はあ?」
「いやー、何か城の奴らの融通が利かなくって。ここまで来るのに少し苦労したぞー」
「くろ、……え? あ、もしかして侵入者ってレム様の事ですか?」
「侵入者? あー、そうかもしれない。何か途中で城の兵士に見つかってなー。うん、まあ当然、逃げたけど」
「……レム様らしいですね」
「ふふっ、そうだろそうだろ。何と言っても俺は平和主義! だからな。間違っても敵前逃亡とかそういう訳じゃないんだぞ? 分かってる?」
「はい、分かってますよ、レム様」
「そうか、なら、良いんだけどな」
◇◆◇
などと。
実に仲のよさげな(?)会話をされてはナイフを構えている方としては何をどうすればいいのか、判断に迷うところだろう。
「――はっ!? 姫様、いけません。そのようなオスと会話されては、こ、子供が出来てしまいますっ」
「――ぇ、」
「出来るかっ!!」
ぽっ、と頬を赤らめるアントリエールと。
反射的にとばかりにツッコミを入れる男。
その隙に、残り一人が動かないわけがなかった。
残った一人、正真正銘の侵入者であり、アントリエールの暗殺者であろう――『影』。
だが、『影』もまたある意味では実に不運な日の元に生まれていたらしかった。
「――っ、」
「……?」
襲いかかろうとした丁度そのタイミングに、開きっぱなしだったドアから(甘いにおいに釣られて)とことこと歩いて来た赤髪の少女。
絶妙としか言いようのないタイミングでの、衝突を止める手立てはその二人にはなかった。
「「!!??」」
絡み合いながら部屋の中を吹き飛ぶ二人。
「テメェ―――家のアルアに何してやがるッッ!!!!」
その光景を見た男が絶境を上げて、駆け出そうと。
「……」
何事もなかったかのように起き上がった赤髪の少女は、自分に向かって駆け出してきた男の横を素通りして。――ちなみに『影』の方は打ち所が悪かったのか、ぐったりしたまま動こうとしない。
てくてくと部屋の中央――紅茶の淹れていあった場所まで言って、そこに置いてあったクッキーを一つ、食べ出した。
「……(もぐもぐ)」
「……あのー、アルアさん? もしもーし?」
「……(もぐもぐ)」
「……」
「……(もぐもぐ)」
「……、なあアンー? このクッキー食べても良いよな?」
「え、ええ。まあ……」
「よし、それじゃあ今からお茶会をしよう! アンはこっちに。そこなメイド、紅茶の用意を頼むっ」
「……」
一人、無断で入ってきてクッキーを食べだした赤髪の少女。
一人、姫様を押し倒して(?)しかも親し気に姫様に話しかけただけに留まらず、何処か女の敵っぽい面構えの男。
何処か緊張したように、それでも何故か嬉しそ――……少女と男の方へと何の警戒心も抱かずに歩いていくアントリエール。
状況が全く理解できず。
マリエは取り敢えず、紅茶でも入れてこようかと現実逃避を選択した。
……こいつら、なにやってんだ?