とある大会での一幕-23(幕引き・いち)
御隣の、クリスさん。
◇◆◇
とある街の、とある物陰。そこに男は潜んでいた。
もうその行為が慣れ過ぎていて余りに自然体だとか、その道のプロ――暗殺者なども顔負けの隠行であるとか、その手の事は道端にでも捨て置くとして、だ。
「……、……――行ったか?」
「――まだ何処かに隠れている気がしますわね。レムー!! 観念して出てきなさいっ、そして私と戦いなさいっ!!」
僅かに、鏡を使って周囲を窺うが聞き覚えのある声に咄嗟に気配を殺す。
この場合、『自分は石だ、その辺りに転がっているどうでもいい石コロの一つだ』……などと、それはもう自分をも完全に騙してしまう程の思い込みがもっとも重要な事の一つだ。
「っ、あぶねぇ。……まだいやがったか」
「……、おかしいですわね。確かにこの辺りにいるような気がするのですが――ソコかっ!?」
「ふぎゃっ!?」
「――」
「あら、違いましたか。……おかしいですわね?」
ほんの少しだけ、手を伸ばせば届く程の隣――飲んだくれて道端で寝ていた何処かのオジサンのなれの果てに合掌をして、その冥福を祈る。……いや、別に死んだわけではないが。
「私の勘違い? でも確かに、レムがこの辺りに潜んでいる気がしますのに……」
――それは気の所為だ!
と、大声でツッコミを入れたい所ではあったが、そんな事をしてしまっては元の木阿弥なので、喉元までせり上がった寸前の所で何とか飲み込む。
「――む? 今何処からかレムの気配を感じましたわっ。……やはり、いますわね。この近くに――」
気配って何だ、気配って! とツッコミ――以下同じである。
そもそも、自分はただの石ころなのだから余計な思考などありはしないのである。
ただの石、ただの石、ただの石、ただの石……
「――……おかしい、ですわね。ですが流石はレム、と言ったところでしょうか。……それとも此処にレムがいると思ったのは私のただの勘違い? 実はレムがその辺りの物陰に隠れて私の言葉を聞いているなんて――も、もしそうでないのであれば、私はただ怪しい独り言を呟いているだけじゃありませんかっ」
息を、生命を、そして存在全てを限界まで殺す。
それは既に道端の小石程の価値もない――宙に漂う塵芥の如き存在感になっていた。
何も思う事はない、感じる事はない。ましてや言葉を発する事もなく――
「――っ」
「? 今何か踏みつけたような……?」
だから、屋根の上から飛び降りてきた、見覚えのない少女に踏み潰されようと痛くも痒くもなければ、全く何も感じる事はない――
「――って、ふざ、」
「――お嬢様」
「……あら、リンじゃない。どうかしたのかしら?」
出かけた言葉を無理矢理呑み込んだ。
理不尽で行き場のない怒りとか、その辺りも咄嗟に、完璧に捨て去った。
――完璧な隠行にとってその程度の感情の揺らぎは切り捨てるべき、些細なモノであり。一つのミスが致命的に、命にも関わった事があるので、その辺りの技術はもう習得済みである。
「少々、大変な事がおきまして」
「大変な事?」
「はい。ですのでお嬢様、一度実家の方へとお戻りいただきたいのですが……」
「戻る? そこまで大変な事なの?」
「はい。実は――」
顔を近づけ、何やらごにょごにょと――
『聖剣を始めとした宝物庫に封印して置いた伝説級(オーバーS)の武器防具が突如と暴走しだして、手がつけられない状況になっているのです――』
なんて感じの会話だった。
――この程度など声が聞こえずとも唇の動き、喉の動きだけで読解は十分である。
「……あのバカ剣が目を覚ましたのですか?」
「はい、お嬢様」
「そう。……あのバカ剣、数年前に粉々になるまですり潰して差し上げたのに、存外まだ懲りてなかったようですわね」
仮にも国宝の聖剣相手に何やってんだよ!?
……などと言う事を想うはずもない。何故なら石である、道端の小石である。何も思わず考えず。
「――分かりました。そういう事情でしたら、一旦城へ戻りますわ。幸い近い事ですし……他の武器は兎も角、聖剣相手では流石に父王や母でも分が悪いでしょう」
「はい、お嬢様が偶然近くまで来られていたのは幸いでした」
「……そう、ですわね。“偶然”――偶然、ね」
「――お嬢様?」
「いえ。何でも有りませんわ。口惜しいですがそう言う事情ならば致し方ありません。――いきますわよ、リン。即刻、その暴走しだした武具達に仕置きをして、それから……」
「? そう言えばお嬢様、お嬢様はこの辺りで何をしておられたのです? 何やらお探しのご様子でしたが……」
「っ、な、何でもありませんわ! は、早く行きますわよ、リン。城の方が大変なのでしょう!!」
「は、はい。お嬢様――」
――と、屋根の上から降ってきてつい先ほどは自分を踏みつけにした少女と、リリアンの二人の気配が次第に遠ざかっていき……。
そっと物陰から顔を出すとそこには誰もいなかった。
「……」
「――」
「……」
「――」
「……ふぅ、今度こそ行ったか?」
「うん、そうみたいだねっ」
「――」
「……」
振り向くと、にこにこと笑顔を浮かべる少女が一人。
「――」
「……」
左右確認、逃げ道、なし。
どうしようもないので気を取り直してみた。
「よっ、クリス。久しぶりだなっ!」
「うん。ひ、さ、し、ぶ、りっ!! ――だねぇ!!!!」
「――と、言う訳で俺は行く。積もり積もった話はまた今度なっ。それじゃ!」
「――で、私が逃がすと思ってる?」
「くっ、駄目かっ」
「私は、リリアンの姐さん程規格外ってわけじゃないけど、あそこまで鈍いわけでもないからねぇ……」
「ち、ちなみにいつから?」
「うん? あんたが隠れてて、リリアンの姐さんが必死で探してる姿を悪趣味にのぞいてた一部始終、全部見てたよ?」
「……そうか」
「ああ――っと、逃がさないよ?」
「っ、はぁぁぁ、一難去ってまた一難、かよ。つか何でお前もこんなところにいるかねぇ……クリステル」
「そりゃ勿論、あんたを追ってきたからだよ、レム」
「……わー、いい笑顔」
思ってもない事を口にしてみた。
久しぶりに対人で真面目に剣をふるって、それなりに満足して、それなりに疲れているこんな時にどうして。なんて、口に出しても仕方ない事なので愚痴は言わないが。
それでもやはり、――溜息が一つだけこぼれた。
◇◆◇
ご機嫌だなぁ。大洋酸太陽さん、もう少しだけ加減してくれても良いのではありませんか?
と言いたくなる。
まあ、洗濯物とか、天気がいいのは助かりますけど。
……て、これは愚痴か。
なんて今日の一日でした。