Act XX いん、ヨツェルト
前回の蛇足……蛇足?
豪華な部屋の中、一人の男が右へ左へと小刻みに歩きまわりながらいらだちをあらわにしていた。
普通にしていればそこそこ端整に見えるだろう顔も今は苛立ちと――垣間見える欲望により醜く歪んでいた。
「……ええいっ、まだかまだかまだかっ!!」
男の喚き声に応えるモノは誰もいない。
そもそもいたとすれば、手筈通り上手く行っていれば男は苛立ちなど浮かべてはいない。今までがそうであったし、これからもそうであろう。――何事もなければ。
手筈通り――気に入った町娘、あるいは“旅の者など”をパーティと言う餌で誘い出して、食い物にする。男の家族――特に妹などは良い顔をしないがそれは男にとって関係のない事だった。どちらかと言えば何を清純振っているのか、と言うのが男の妹に対する感想であり、嘲りだった。
何より。王族ともなれば多少の“遊び”はむしろ当然ではないかとすら男は考えていた。
「……遅い、遅い、遅いっ」
今回見つけた女は極上の――一目見た瞬間に心全てを奪われてしまうかのような美しさ、どことなく漂う気品をまとった女だった。僅かにくすむ、銀糸のように美しい髪に、整い過ぎていると言っても良い程の正に黄金比で成立しているような容姿。そして何よりも身にまとう、何処か神々しさすら感じる圧倒的な存在感。その全て、何もかもが一瞬で男を虜にした。
近くに一匹、必要のない下男がいたりした気もするがそちらは眼中にない。
それに好都合な事に、いつもは文句を垂れたり見下すような目で見てくる妹が文句を言うどころか今回は喜んで男の案に乗ってきてくれた事は有り難かった。何やら襲われている最中に助けられたらしいが――大方物語のナイトの様な出会い方に下らぬ幻想でも見ているのだろう。王族の癖いに、妹は何処か夢見がちなところがあった。
いや、今は妹の事などどうでもいい。
そんな事よりも、これからあの極上の女を“食う”事が出来るかと思うと男の苛立ちと焦りは更に――
「よっ、ニィさん。元気してるか?」
「――?」
声を掛けられた瞬間、男は理解できなかった。何故なら先程まで誰もいなかったはずなのに、ふとした拍子にそこに男が一人立っていたから。
何処かで見た事がある気もしたが、そんな事はどうでも良い事だったし、何より男の顔を覚える気もなかった。
「衛兵! 衛兵は何をしているか!!」
「衛兵? ああ、何かこの部屋、てかこの別宅の周りを警護してたヤツらのこと言ってるのか? それならいくら呼んでも無駄だぞ?」
「……なんだと?」
「絶賛、皆様居眠り中で御座います。まあ、集団ボイコットってやつ?」
「あ、あいつらめ……」
「まあそう責めてやるなって。別に寝たくて寝てるわけとかじゃないし? まあ、あいつらを黙らせた本人が言うようなセリフでもないかな―とは思うけどな」
「……なに?」
ここにきてようやく、男の中で危機感が湧き上がってきた。見知らぬ男と二人きり――しかも警備のモノたちは目の前の男が黙らせたのだと言う。
それを自覚した瞬間、男の顔から一気に血の気が引いた。
「ん? 何か顔色が悪いぞ? 大丈夫か?」
「……」
「ああ、もしかしてお宅を狙った暗殺者とか何かと勘違いしてる口か? あながち間違いでもないけど、別にお前のやっすい命なんて毛ほども欲しくないから安心しろよ」
「なん、だと……?」
「もしかして聞こえなかったか? それならもう一度言うけど、お前程度の命なんて微塵も欲しくない、むしろ要らん。だから安心しろって話」
「……この私を、誰と知って言っているのか、貴様は」
「ああ? まあその手のセリフは嫌ってほど聞きあきたけど、相変わらず捻りがないなぁ」
「もう一度聞く。貴様は私が誰かを知って――」
「ああ、知ってるぞ。つかそっちの方こそパーティに招待した奴の事を覚えておいた方がいいんじゃないのか?」
「招待?」
「そ。本日はお招きいただきありがとうございました――ってでも言っておいた方がいいのかね、一応」
「……ああ、思い出した。何処の誰かと思えば、余計な虫か」
「虫とは酷い。まあお前にとってはお邪魔虫って感じか」
「……それで何をしに来た? 貴様をここに招いた覚えはないぞ」
「ま、招かれたのは連れの方だよな。――つかその件で話があるわけだ」
「言い値は払ってやろ、」
「ま、さっきも言ったように命はとらねえけど――?」
それは。
それは男にとって不思議な出来事だった。今まで目の前で話していた相手の声が今は上から聞こえてきていて。
何故か視界にはいっぱいに何者かの足が映っていて。頬が冷たくまるで床か何かに圧しつけられているような感触もあって。
何より胸の鼓動が驚くほどに早い。
「?」
「あんまふざけた事ばかりしてると、少し痛い目見るぞ、お坊ちゃま?」
「――ッッ」
にっこりとほほ笑む、何処か締りのないはずの顔が男の視界いっぱいに映り。
次の瞬間に男は己が持て余していた感情の正体を知った。
――恐怖。
殺されるかもしれない。殺されるかもしれない? いや、これはそんな生易しいものではない。
むしろ死ぬ程度で許してもらえるのならば僥倖、いや僥倖? それは果たして僥倖なのかそうでないのか――
「んー、何か俺、久しぶりにプッツンしちゃってる気がするなぁ。と言うよりも少しだけ酔ってる?」
「……」
そう言われれば、と言う程度に男の頬は少しだけ赤くなっている気もした。
「酒……にしても、あいつに何か盛られたか? まあこの程度の酔いなら別にいいか。気分もそこそこ良いしな、――いや」
「っっ」
「気分が良いってのは訂正かな? なんつーか、ムカつくよお前」
「――」
「お坊ちゃんさぁ、誰のモノに手を出そうとしてんのか、理解してる? してますかー?」
「――」
「まあ理解してないだろうなぁ。むしろ理解してて手を出そうとしてるなら立派? いやいや、褒める気は微塵もねえし」
「――」
身体が動かない、と言うのはこのことか。あと頭の中が真っ白で何も考える事が出来ないでいる。
男はただ、その独白を聞いていることしかできなかった。
「まあ言いたい事は一つだけ。んでする事も一つだけ。――もうちょっと世の中知った方が良いな、坊ちゃん」
「――」
「あいつに手を出そうとするのは……まあ半歩譲って許すとして、その方法が気に食わねえ。何より『女の子を食い物にしてる』っつー街の噂が真実だったって事が何より気に食わねえ」
「――」
「女の子は大切に扱うモノですよー? そこのとこ、分かってる、お前?」
「――」
「判ってないよな? 分かってないから、そゆこと平気でしちゃってるんだよな、世の中知らないお坊ちゃま?」
「――」
「と言う訳で俺がしたいのは一つだけなんだよ。分かる? ここまで言えばもう判るよな?」
「――」
男は、声らしい声を上げる事も出来ず。
「――さて、矯正の時間だ」
その日の事が強く脳裏に焼き付けられたと言う。
ちなみに。
酔った勢いで何処かの旦那様が暴れたとか、お姫様の寝所にうっかり侵入して愉快な事になったとか言う事実は――まあ多分ない。あったとしても闇に葬られていたりする。
南無。