Act XX とある集落の喜劇
ん~、何か入れようと思ったのですが、どうにも駄目っぽい。
「――旦那様の仇っ」
「いや俺死んでないし」
「……誅っ」
「ぐべしっ!?」
「……、旦那様の仇っ」
それは本当に突然の事だったと言う。
男を一人引き連れて、くすんだ銀髪のメイド服姿の女が現れた。
そして現れるなり、先の会話だった。訳が分からない。ついでに男の方は気絶しているっぽかった。ピクリとも動かない――いや、ぴくぴくとしかうごかない、か。
「と、言う冗談はこの程度にしておきましょうか」
ざわっ、と周囲がざわめく。
ヒトが――と言うよりもウィンディーネ以外の他種族がこの場所に訪れるなど、もう何百年単位でなかった事だった。
この地、とはいっても周囲は海の青しかなく、しかも人影は何処にもないのだが。だがそれでも視るモノが視れば分かるし、幾つもの魔力が漂っているのが少なくとも“彼女”にははっきりと視えていた。
海中に“溶けて”はいるものの、複数のウィンディーネがどよめきながら海中に漂っていた。その数は、軽く視ただけでも50は下らない。そしてその全てが――明らかに怯えきっていた。
とはいっても数百年ぶりに訪れた相手が銀髪の――滅んだはずの龍種の皇族の印を持っていて、それがどんな理由か何故か敵意を向けてきているのだから、怯えで済んでいるだけでまだましだろう。
「先ずはこちらに――フォルティ様と言う方が居られると思いますが……どなたでしょうか?」
『わ、わたしがフォルティ……です』
泡のように気泡が集まり、そこに一人の少女の姿が現れる。その顔は海の中でもはっきり見えるほどに青ざめ切っていた。
そんな、突如として現れた少女の姿に驚くでもなく、相変わらずの無表情で見つめ返している銀髪のくすんだメイドの表情は見慣れているものでなければ、怒って睨みつけているように見えたかもしれなかった。
「フォルティ様?」
『は、……はい』
「ではフォルティ様――」
『はいぃぃ!』
「――旦那様をお助けいただきありがとうございます」
『もも申し訳ございませんっ!!!! ……はへ?』
「不覚にも旦那様が溺れてしまった時に助けていただいて、まことにありがとうございました。旦那様共々、御礼申し上げます」
『あ、いえ、そんな……というより、旦那様?』
「はい。こちらの――」
そう言いつつ、“彼女”はいつの間にか握っていた鎖を軽く引いた。そしてその先に繋がれていた男は鎖がつながった首を支点に変な方向へと曲がっていき、
『あ、レム――』
「あ」
海の海流にでも乗ったのか、そのまま猛烈な勢いで流されて行ってしまった。
「……」
『……』
「旦那様の仇っ」
『えぇぇ!!??』
「と、言うのは冗談ですのでお気になさらず」
『そ、そうなんですか。……ぁ、でもレムが流されていったのは冗談じゃ、』
「つい手が滑ってしまいまして。やはり水の中では勝手が違いますね?」
『……』
“彼女”の表情は相変わらずの無表情のまま、本当の所何を考えているのかまでは分からなかったが。
『そ、そうですね?』
「はい。今回は冗談ではなく本当に不覚を取ってしまい私も反省しているところです」
何よりもまず重要なのは“彼女”を怒らせない事――周囲からの無言のプレッシャーも相まって、結局無難な答えになっていた。
『とっ、ところでここには一体何の用でお越しになられたのでしょうか、その……龍の姫君様』
「龍の姫君? それはどちらの事でしょう?」
『どちらの事って……』
「少なくとも一介のメイドである私の事でない事だけは確かですが、そのような方がどちらかに?」
『えっと、』
「――どちらかに?」
『な、何でもないですやっぱりなんでもないです、はいっ!!』
「そうですか。……しかし困ったものですね? 私は非常に高い確率で何方かと間違われる事が多いので」
『そ、そうなんですか……』
「はい、そうなのです。あのような愚図――おっと、絶世の美じ……いえ、その方と間違われて、大変困っております」
『は、はぁ……』
「私の事はどうか、シャルメとでもお呼びくださいますよう。……偽名ですが」
『は、はい分かりました。シャルメ様』
「様は不要で御座いますよ? どうか気軽にシャルメ、とお呼びくださいませ」
『しゃ、シャルメ……様、ってやっぱり駄目です恐れ多くて呼び捨てなんてとてもっ!!』
「恐れる事など何一つないのですが、」
『い、いえそんなっ』
「……まあ、良しとしましょう。それよりもフォルティ様――並びにウィンディーネ族の方々。先程の質問、此度こちらを訪れた件なのですが」
『――』
ようやく本題に入ったか、と言わんばかりに海中のざわめきが静まり返る。誰もが“彼女”の次の一声を息をのんで待っていて。
「先ず一つ目の理由はフォルティ様に御礼申し上げることで、旦那様を助けていただいたのに礼もせずにそのまま通り過ぎるのは失礼にあたるかと思い、――こちらは既にさせていただきました」
『は、はいっっ』
「第一の、と言うよりも今の理由がほぼ全てなのですが……次にあげる理由なのですが、しいて言えばこのように閉鎖した社会はもうお止めになった方が宜しいですよ、と僭越ながらご忠告差し上げようかと思いまして」
『――』
“彼女”の言葉に、周囲の海達が若干の“怒り”のような――突然現れた異邦者に対するような排他的な感情を向けて――だがそれはやはりすぐに畏怖の念に押しつぶされて消えてしまった。
「理解が及ぶかどうかはさて置いて、今世界には赤青緑、白、そして無色と――変動の兆しが訪れております。そのようなときに、このような場所に引き込まっておられると――滅びますよ、あなた方?」
『――』
「まあ、これは出過ぎた忠告であるとは重々承知の上ですが。……何も知らないまま、全てを失っていくよりは良いかと思い、ご忠告致しました」
『――』
「では、私はこれにて。何処かに流れていった旦那様を追わねばなりませんので――……あぁ、その件で一つ、皆様方に申し上げる事が御座いました」
『――』
「この海域の嵐、邪魔なので出来ればなくして頂けると大変ありがたいです。お願い――出来ますか?」
無表情のプレッシャー……とはいってもこの件に関しては“彼女”としては本当に単純にお願いをしてみているだけだったのだが、それに圧されてただ首を縦に振るウィンディーネの方々。とはいってもフォルティ以外は海の中に溶けていて、姿を目視する事は出来ないのだが。雰囲気で何となくそうしている事は分かる。
「ありがとうございます。では、旦那様を見失わぬうちに、私はこれで」
そう言い残して彼女は消えて、後に残ったのは結局のところ“彼女”は何をしたかったのかと途方に暮れるウィンディーネ達だけ。
少しずつ。着々と。??