Act XX とある集落の事情2
本日は、お休みで。
「……ん?」
『――!!』
男が目を開ける瞬間、すぐ傍で何かの気配がしたのだが、周りを見てもその“影”はどこにも見当たらなかった。
ただし、“影”以外ならば見つける事は出来たが。
「おーい、そこにいるのか?」
『……』
「何となく感じは伝わってくるんだが……そこにいるんだろ?」
『……』
男が呼びかけるのは何もない、少なくとも何も見えない海中のとある一点。ただし目には何も見えずとも、魔力の在り様が其処に何かがいるだろう事を伝えていた。
「ウィンディーネ――海の妖精ってとこか。何かさっきから海の中だって言うのに呼吸も苦しくないし、こんなこと出来るのは確かそれくらいだろ?」
『……あなた、だれ?』
「お、やっと出てきてくれた」
そこには、男の目の前にはいつの間にか少女がいた。海と同化しそうな程に青い長髪を海中に靡かせて、その髪よりもやや赤みがかった紫色の瞳で男の事をじっと見つめていた。
水の中だと言うのにその表情に苦しげなところは少しもない。ただ好奇と――若干の恐怖の様なものが浮かんでいる、ただそれだけ。
『……あなた、だれ? 何か怖い、それでいてどこか懐かしい様な香りがする』
「俺はしがない旅人だ。怖いとか懐かしい香りって言うんならそりゃ多分俺じゃなくてあいつの方だろうなぁ。魔力の残滓でも残ってたか?」
『あいつ?』
「ん~、なんて説明すればいいのか難しいんだが、そうだな……取り敢えずは龍種のお姫様“っぽい”奴って事で」
『りゅ、龍種の姫君様!?』
「あ、いや。だからあくまで“ぽい”ヤツって事でそう言う訳じゃないんだけどさ」
『……』
「いや、そんな恐縮した目で見られても」
『……もしかして、あなたは龍種の王子様?』
「や、全然違うし。俺が王子ってタマか?」
『ううん、ぜんぜん』
「だろう? って自分で言ってて少し悲しくもなるが……と言うより髪の色だって全然違うだろ。龍種の皇族は基本、髪は銀色、瞳も銀に近い色だし」
『そういえば、そう。ならあなたは、だれ?』
「俺? だから俺はしがない一介の旅人さ」
「何をしてて、溺れたの? 投身自殺? わたし余計なことした?」
「いや、普通に助かったよ。それと投身自殺とかじゃない。ちょいと海の上を散歩中に波に攫われてな」
『……一介の旅人は、海の上を散歩しないと思う』
「じゃあ一流の旅人って事で」
『……一流?』
「全然そう見えないだろ?」
『うん』
「そこが俺の一流たるゆえんだな。ふっ、常人には俺の凄さなんて見抜く事は出来ないのだよ、キミ……って、そう言えばまだ名前を聞いてなかったな」
『わたしは、……ウィンディー』
「うん、それは知ってる。人前に出てくるって言うのは珍しいけど、でもそれは種族名であって個体名じゃないだろ? 俺が聞いてるのは君の名前」
『……わたしの血肉を食べても不老不死にはなれない』
「それも分かってるし。と言うかそれは小人族が噂してる根も葉もない話」
『……あなたも、小人』
「――まぁ、そりゃそうなんだが。兎に角俺は別にお前の事をどうこうしようっては思ってないよ。仮にも溺れかけてた俺を助けてくれた命の恩人だし」
『惚れた?』
「いや、別に。……と言うか何で急にそんな話に?」
『昔、小人を好きになった同族が一緒に陸に上がって干からびたっていう話を聞いた事がある』
「ああ、それなら俺も聞き覚えがあるな。でも確か干からびたとかじゃなくて、普通に暮らしたはずだけど……?」
『そうなの?』
「少なくとも俺が知ってる限りではな。なんだ、キミの聞いた話じゃ違うのか?」
『陸に上がって干からびて消えた、って聞いてる』
「いや、陸に上がったくらいで消えないだろ。そりゃウィンディーネは海に住まう妖精族だが、だからって海の中じゃないと駄目ってわけじゃないはずだぞ」
『……そうなの?』
「そうなのって、自分たちの事だろうが」
『わたしたちは、昔から海の外には出るなって聞いてるから……』
「……あぁ、そう言う“方針”なわけね。ならもしかして今君に話した内容はまずかったり?」
『?』
「あ、いや何でもない。それに過ぎた話だし、気にしてても仕方ないか」
『……フォルティ』
「うん?」
『わたしの名前、フォルティ。あなた、知りたがってたし』
「なんだ急にって、……フォルティ、ね。うん、良い名前じゃないか」
『うん、良い名前だとわたしも思う。それで、次はあなたの番』
「俺?」
『名前』
「あぁ、名前、俺の名前ね」
『そう、あなたは……だれ?』
「まあレムって言う、しがない一流の旅人だ。気軽にレム様♪って愛情をこめて呼んでくれ」
『分かった、レム様♪』
「……」
『どうかしたの、レム様♪』
「……ごめん、やっぱりその呼び方やめてくれ。何だか何も知らない相手を騙してるみたいで胸が痛む。俺の事は普通にレムで良いから」
『……うん、分かった』
「んで、フォルティ」
『なに、レム?』
「悪いんだけどさっさと海上に戻らないと心配してる奴がいるんでな。そろそろ俺は戻らせてもらうよ。ああ、助けてくれてありとな?」
『うん、……レム、戻る前に一つ聞きたい』
「ん? なんだ、俺に応えられる事なら答えるぞ?」
『待ってるヒトって、女のヒト?』
「ああ、そうだけど。……それがどうかしたか?」
『……何でもない。それともう一つ、レムに忠告しておく』
「忠告?」
『うん、この辺りはわたしたちの棲み家だから、近寄らない方がいい。近寄るとレムみたいに、波に呑まれて溺れるから』
「――それが海が急に荒れ出した原因かっ……!」
『多分そう。だから、気をつけて、レムとその女のヒトは早くこの近海から離れた方がいい』
「んっ、了解。忠告ありがとな、フォルティ」
『ううん、わたしの方こそ、ご免。たぶん、レムが溺れたのはわたしたちの所為』
「いや、俺が溺れたのは故意に俺の邪魔をしやがったあのヤロウで、フォルティが気にする事じゃないんだが……まあ良いか」
『??』
「それじゃ、今度こそもう行くわ」
『……うん』
「んじゃ、フォルティ、」
『――?』
「またなっ」
『……ぇ?』
最後に。
僅かに驚いた表情の少女と、その表情をみることなく海の上へと戻っていった男と。
一方その頃、とあるくすんだ銀髪のメイドさんは荒果てる海上でまったりとお茶を飲んで寛いでいたらしい。
◇◆◇
「旦那様、お帰りなさいませ」
「ん、ああ只今」
「少々遅かったようですが、如何なさいました? まさか本当に溺れておられたので?」
「いや、波に飲まれりゃ普通に溺れるからな?」
「存じております。それで遅かった理由は溺れていたからでしょうか?」
「まあ、それもあるけど恋に恋する女の子に会ってた」
「恋に恋する女の子、で御座いますか?」
「ああ。それにこの辺り、ウィンディーネの海域らしいぞ?」
「ウィンディーネ……あぁ、この嵐はそう言う訳でしたか。そして旦那様が仰っていたのはウィンディーの女性と密会していた、と言う事ですね?」
「密会違うし。溺れてた俺を介抱してくれてた」
「そして互いに芽生える恋心。ロマンスですねっ?」
「いや別にそんな事は。……それよりも、さっさとこの辺りを離れるか、それともウィンディーネの奴らをどうにかした方がいいな」
「では早速ウィンディーネの里に向かいましょうか、旦那様」
「何だ? 普通に尻尾巻いて逃げる方が手っ取り早くないか?」
「いえ……旦那様にここまでの仕打ちをしておいて何もしないなど……相応の罰を受けてもらわねば」
「そこまでの仕打ちって……あと俺を溺れさせたのはテメェだからな、忘れるなよ?」
「それはそれと言う事で良い思い出にいたしましょう、旦那様」
「出来るかっ」
とかなんとか。
身体がきしんで眠いのです。