Early X. キックス-35
がんばれ、しょねん
「え? え、えぇ……??」
瞬き一つしたら、別の場所にいた。
キックスにしてみればそれは瞬間移動をしたような心地である。
そんなキックスを傍目に、彼ら二人はいつも通りだった。
「ほら旦那様、キックス様がうろたえておられます。お可哀そうに」
「いや、それは俺の所為じゃなくてお前の所為だし」
「いいえ、旦那様が事態をご説明なされないからに相違ありません」
「だから違うっつーの」
「違いません。――ですよね、キックス様?」
「あ、う、はい、……?」
急に話を振られて。
良く分からなかったが取り敢えず、彼女の瞳に頷かされていた。日頃の条件反射と言う奴である。
「ほらご覧ください。キックス様もこのように仰っておられます」
「いや、今のはお前が無理やり頷かせただけだろう。なぁ、キックス? 正直に言おうぜ、お前が今戸惑ってるのってこいつの所為だよな?」
「えっと、いや、そういう訳では、ないですよ……?」
やはり良く分かっていないが、取り敢えず否定して置いた。何せご主人様だし。
それにどちらかと言えば戸惑いの原因は二人ともにある。二人の態度が余りにもいつも通り過ぎた。確かにこの二人が慌てふためく所など逆に想像も出来ないのだが、そうでなくとも。目の先にはこちらを睨みつけてきているノノーツェリアがいて、それでも余りにもいつも通り過ぎた。
ただでさえ状況が良く分かっていないのに、ノノーツェリアの事を放っておいても大丈夫なのかという心配もある。
「私の勝ちですね、旦那様」
「くそっ、負けた……って、なんの勝ち負けだよ、一体」
「さて?」
無表情のまま首を傾げるメイドと、彼女を緊張感の欠片もない半眼で睨みつけるご主人様。
つい、ノノーツェリアから発せられている殺気を忘れてしまいたくなる。けれどそんなわけにはいかず。
「あの、ルイルエお姉様。それにご主人様も……」
やっと、ノノーツェリアの動向を気にしながらもツェルカが待ったの声をかけた。
「んっ、ああ、そうだな。こんなことで雑談してる場合じゃないよな」
「本当にその通りかと」
「お前が言うな」
「では私が言わずして誰が言うと?」
「あぁもうっ、ああ言えばこういう奴だ」
「全くです」
頭を掻き毟るような仕草をするご主人様に対して、それを全肯定する元凶。
相変わらずノノーツェリアはこちらをきつく睨みつけてきているわけで、場違いにも程があった。未だにノノーツェリアが襲いかかってこないのが、有りっ丈の警戒を浮かべたまま微動だにしていないのが不思議なくらいである。
「「「……」」」
キックスとツェルカ、二人の咎めるような視線に居心地悪そうに、ご主人様がようやくノノーツェリアへと視線を戻した。やっと話を元になったようである。
ついでに言うとメイドさんも何故か咎めるような視線を向けてきていたが、それは完全無視、スルーである。
「……今はそんな事よりも、だ」
「嫌です」
「まだ何も言ってねぇよ」
「前以て言っておきました」
控えめながら胸を張るメイド。少しだけ、胸が揺れた。
「いや、さっきのは冗談だよ。誰もお前に行けなんて言うつもりないから」
「そうですか」
「ああ」
「――では旦那様、ごー」
メイドさんが指したのはノノーツェリアの方であり、
「おっしゃ任せろっ! ――って、行かねえよ!?」
ノリツッコミ、最悪である。と言うより時と場合を考えろご主人様――といった具合にキックスとツェルカの咎める視線が激しさを増す。ついでにメイドさんの視線も。
「何で俺が行くんだよっ」
「旦那様が行かずして誰が行くと言うのですか」
「んなの決まってるじゃねえか。さあキックス、出番だっ。潔く散ってこいっ!!」
勢い良く指差したのは、やはりノノーツェリアの方で。
「はぇ?」
散って来いって何さとか前提が間違ってるよとか、そう言った事を思うより先。急に振られた話に理解が追いつかなかった。
「はぇ、じゃない。ちくしょぅ、ただでさえ女顔が少し女の子っぽいじゃねえかよ」
「――やはり旦那様……」
「ひぃ!?」
「キーくんは渡さないっ、例え御主人様相手だって!!」
寒気がして身体を抱きしめるキックスと、それを守るようにして前に立ちはだかるツェルカ。と、ついでに沈痛な面持ちのメイドさん。
もうドン引きである。
「いや、ちょっと言ってみただけなのにお前ら反応し過ぎだろ。……つーか、悪いな、こんなことで待たせておいて」
「――いえ」
今更ながら何だ、と思わなくもないが。それに律義に答えるノノーツェリア。
やはり肌に突き刺さってくるほどの殺気を振り撒きながら、未だ襲いかかってこないのが逆に不思議なくらいだった。もしかしたら意外と正々堂々? などと言う疑問も湧いてくるくらいである。
――実際は、“二人”に襲い掛かる隙もなかった……と言う事だったりするのだが。
「そうか。んじゃもう少しだけ待ってくれ。おい、キックス。ダダこねてないで、さっさと行って来い」
「な、なんのことでしょうか……?」
情けないとは思いつつもツェルカの背中に隠れながら。
何となく分かりはしたものの、認めたくない一心で。だって、嫌だし。と言うよりもツェルカが敵わなかった相手に、彼女よりも全てにおいて劣る自分が敵うはずがないのは分かり切った事である。
けれどその事実は、そんな事など誰よりも分かっているはずの目の前のご主人様は分かってくれなかった。
「相手はあそこだ。ホラいけ」
「いや痛っ」
背中を蹴られて、無理やり目の前に――温かみのかけらもない無表情のノノーツェリアの目の前に放り出される。
顔を上げると目が合った。
「いや、はは……」
「――」
取り敢えず笑ってみたが返ってきたのは絶対零度の視線だけだった。
ついでに言うともう蛇に睨まれた蛙状態。冷や汗びっちりの、身動ぎもしたくない硬直状態だった。
「しかし旦那様、キックス様は大丈夫なので?」
「ん? 大丈夫って何が?」
「いえ、ツェルカ様がまだ敵わぬとの判断には私も同意で御座いますが、ならばツェルカ様より数十段劣キックス様にはアレの相手は少々厳しいのでは?」
「と言うより無理だな、無理」
「キーくんはやればできる子なんですっ!!」
「うん、俺もそう信じてるぞっ。と言う訳だから頑張れ、キックス!」
「……骨は残るようにお願いします、キックス様」
「キーくんっ、お姉ちゃんがついてるからねっ!!」
何かもう、不安感しか残らないような会話と声援が後ろから聞こえたりしていたが、振り向けない程の緊張感というか絶望感に感謝すればいいのか悲嘆すればいいのか。
「――では、もう宜しいですか? 最初に消すのはこの小人の雄と言うことで」
今まで黙っていたノノーツェリアが初めて声を上げ――その瞬間ヒトの身ではありえないほどの魔力がノノーツェリアの身体から湧き上がった。
ヒトの身ではありえないと言うのは保有量などといった理由などでなく、ただ単純に湧き上がる魔力の波にその身が耐え切れない。事実ノノーツェリアの身体に幾つもの亀裂が走り――そして湧き出る魔力によって即座に、無理やりされる。
それを見た瞬間――。
目の前のノノーツェリアは悪い何かに乗っ取られているとか変とか。今起きている事情が一体何なのかとか。
一切を忘れて、キックスは声をあげていた。
「ちょ、ノノッ!?」
手を伸ばすが――その距離は絶対的に遠く。
「――では、一人目」
すぐ耳元でその声が聞こえて。傍にある魔力の波にキックスの身体までもが悲鳴を上げて硬直して。
「まあ、そう慌てるなって、【冥了】」
背後からの衝撃に、驚くほどの間もなく。
吹き飛ばされて壁にぶつかり――そうになった瞬間、壁が消失して更に外へと放り出された。
宙に放り出されて、もうバカにならない高さだった。このまま地面に激突すれば死ぬのは間違いなく――
「――っ」
何故か、地面に激突した衝撃は全くなかった。落下していた、と言うのも嘘かと思えるほどの衝撃のなさで。
キックスが改めて周りを見渡すと、そこはまるであつらえたかのような広い場所、城の中庭。
◇◆◇
一方部屋の中。
残された四人――と言うよりもメイドとツェルカの姿が何故かそこにはなく。ノノーツェリアとご主人様の二人だけが対峙する形になっていた。
ノノーツェリアは相変わらず険しい表情で睨みつけたまま、一方で男の方も、普段の気の抜けた様子を全く崩してはいなかった。
忌々しく、本当に忌々しげに、ノノーツェリアは男を睨みつける。
「――また邪魔を。やはり最大の憂いから先に断って置きましょうか」
「そう言うなって。俺がするあいつへの手助けは今のが最初で最後だ。後は死のうが殺そうが、俺は関与しない」
「……」
「それにメインディッシュは後の楽しみにとっておけよ。まあ、後があればの話だけどな」
「……あなたと、龍の姫の手助けがなければ小人ごときに遅れを取る私ではありません」
「どうだか、な。それにこんな狭い部屋の中ってのもなんだ。今度こそ、外でちゃんとさっきの奴がお前相手にしてやるよ」
「――待っていなさい、すぐに消してきます」
男に背を向けて、背後に出来た穴から飛び降り出ていくノノーツェリア。
その後ろ姿を見送って。
「精々舐めて掛かれ。んで、意表をかかれて滅んじまえ」
【アルとレムの二言講座(ツッコミ役:レアリア)】
「お、でっかい湖だ」
「……」
「アル、水浴びでもするか? ほら、身体キレイキレイしましょうねー?」
「……」
「――って何自然とアルの服脱がせようとしてんのよ、このド変態がっ!!!」
「はっはっはっ、……冗談に決まってるじゃねえか」
「……?」
【お終い】
しかし、やっぱりメイドさんとご主人様の掛け合いはやりやすいなぁ
……でもさっさと退場させないと。キックスの活躍の場がなくなる。