Early X. キックス-27
めいどさん?
「――私が寝てるからって油断したね……私のキーくんに手を出した事、死ぬ以上に後悔させてあげる」
キックスは恐れおののき、身震いした。
あれから三日ほどたったからかツェルカから感じられる魔力は十分に回復していて、彼女を取り巻く魔力はそれはもう口で言いたくないほど物凄い事になっていた。
軽く詠唱破棄だが……もはや開戦を待ちきれないとばかりに漏れ出た魔力が凍った蒸気となってツェルカの足元から立ち上っていく。
実際、身震いしたのも怖いからというよりは本当に寒くて――部屋の温度自体が下がっているからだったりする。
対するノノーツェリアの方も堂々としたもので――こちらも当然魔力は回復しているようだった。
彼女の周りで、パラパラと砂が積っていた。こちらも彼女から漏れ出た魔力が空気中を漂っていた粉塵を凝結させて砂に変えていた。当然、無意識に。
そして何の因果か――キックスは二人の間に立たされていたりする。
「よくも、折角のキーくんのモーニングコールを邪魔してくれたね。覚悟は良いかな、ノノーツェリア?」
「それはお断りします。それと私はノノーツェリアではなくナナーツォリアです、ツェルカさん。間違えないように」
「そんなモノはどっちだっていいよ。今必要なのは、目の前にいる性悪が私のキーくんに手を出したっていう事実だけ」
「ツェルカさんにとっては……それもそうですね。ですがツェルカさん、あなたは私の事を性悪と言えるんですか?」
「……なんの事?」
「態々眠った振りなどして……大方、先に起きたのは良いけれどキックスに優しく揺すり起こしてもらうためのタヌキ寝入り、と言うところですか」
「お姉ちゃんはキーくんの愛のこもったキッス♪ じゃないと目を覚まさないって世の中の常識で決まってるんだよ!!」
「いやツェル姉、そんな常識ないし。大体そんな事今まで一度もした事ないじゃないか!?」
「キーくんは恥ずかしがり屋さんでちょっぴり決断するのが遅いから、私は今まで待ってたの! シチュエーションだって死線をくぐり抜けた二人って折角いい感じだったのに!!」
「それなら私にも同じ権利があるはずです」
「ない! キーくんは私のだから!」
「――それは違います。キックスは私のモノです、それは間違えないように」
「ふんっ、ヒトから貰ったものを振りかざして偉そうに」
「……む」
「そんな空気よりも薄っぺらいモノで私とキーくんとのこれまで育んできた愛の絆に勝てるとでも言う気? ちゃんちゃらおかしいね!」
「ですが、絆と言うモノは単純な時間だけで決まるものではありませんよ、ツェルカさん」
「……つまり、私とキーくんの絆に張り合おうとでもいうつもりかな、ノノーツェリア」
「ノノーツェリアではなくナナーツォリアです。それとその答えはイエスですよ、ツェルカさん」
「……――いぃぃぃ度胸だねぇぇ、“ナナーツォリア”」
それは地の底から響いてくるような――と言っても良かった。
ツェルカが満面に笑みを浮かべて、ノノーツェリアを見ている。その瞳に理性は欠片もなく、少なくともキックスにとってはその辺りにいる魔物よりも怖かった。あの飛竜の慣れの果てを相手にした時よりも怖い。
第一、ツェルカがマジギレする機会などキックスをバカにされた時かキックスを傷つけられた時かキックスを本気で誑かそうとした時か……思い返せば結構あった。しかも全て自分絡みで。
「ナナ! 逃げ、」
逃げて、と反射的に叫びかけて、それ以上の言葉を言う事が出来なかった。
簡単に言うと、こっちはこっちで凄かった。冷静な分だけツェルカのような猛々しさは感じられないモノの、冷静であるがゆえに理性の中に見える冷徹な眼差しが恐ろしく冷たく感じられる。
「ツェルカさんとの決着は、まだついてませんでしたよね。良い機会です、どちらが“上”か、はっきり白黒つけておきますか」
「そうだねぇ、キーくんの周りに群がる輩の“躾”はちゃんとしておかないとねぇぇぇ」
「ちょ、二人とも! お願いだから止め――ひぃ!?」
ぎろっ、と本当に音が聞こえてきそうな視線で睨まれて、キックスは思わず身を竦ませたが――不意に左右からの圧力のどちらもが、消えた。
あれだけ猛っていたはずの魔力の塊も今はなりを潜めて二人の小さな体に収まっていた。
「――?」
恐る恐る目をあけると、ツェルカもノノーツェリアも既に臨戦体制を解いていた。
ツェルカは自分が寝ていたベッドに腰掛けて寛いでいるし、ノノーツェリアはびくびくしていたキックスの隣を颯爽と通り過ぎるとそのまま部屋に備えてあった椅子へと座っていた。
「ナナーツォリア」
「はい、ツェルカさん」
「この決着は今度にしようか。またキーくんに邪魔されたら嫌だしね」
「考える事は同じですか。そうですね、ではこの決着はまた今度――キックスのいない所で行いましょう」
「そうだね」
一見、穏やかに会話しているような二人を見て――ノノーツェリアと僕って一定以上離れられないんじゃ……なんて事をキックスは思ったが決して口には出さなかった。少なくとも自分の目が届かない場所で何かをしてくれる分には問題がない……はずである。
ともあれ、落ち着いたよう(に見える)ので良かったと安堵する。実際どうなのかは知れないが。
「それでツェルカさん、身体の方は大丈夫そうですね」
「うん、見ての通り完調してるかな。あの時、私死にかけてた気もするけど、これもきっとキーくんの愛の力のおかげだねっ♪」
「や、違うから、ツェル姉。怪我が治ってるのはルイルエお姉様のお陰……だと思う。僕もそれほど自信ないけど」
「ルイルエお姉様の? ……あぁ、それなら納得だね。私は別にキーくんの愛のおかげでもいいんだけどぉ?」
「遠慮しておくよ」
「ちぇー」
「……少し、良いですか?」
「うん、何、ナナーツォリア」
「ルイルエ、と言うのはあのメイド服姿の綺麗な女性の事ですよね?」
うん、と同時に頷くキックスとツェルカ。
「二人とも、そのルイルエと言う方を深く信用している様ですが、その方は腕の立つ治療術士か何かですか?」
「「……治療術士?」」
二人の声が見事に重なった。
「違うのですか? 彼女は余程の重傷を治せる、と言うように聞こえたのですが……?」
ノノーツェリアの言葉に二人は互いに顔を合わせて、何ともいえぬ微妙な表情を浮かべていた。今思い描いているのは共通の、くすんだ銀髪のあのメイドの事だろう。
「まあ、確かに重症でも治せると思うけど……」
「治療術士とかとは違うよね?」
「うん」
「どちらかと言えば、メイド様?」
「だよね。ご主人様のメイドで……」
常にご主人様の傍に控えているメイド服姿の女性、という印象が強い。そもそもとして基本的に二人が住んでいた館には“隷属の刻印”を刻まれた奴隷たちしかいないのだが――彼女が奴隷であるかどうか、それすら定かではない。
殆んど――誰も一切気にしないが……ご主人様と彼女との関係を誰も知らないと言う事実がそこにはあった。
「そう言えばルイルエお姉様が出来ない事って何かあったっけ、ツェル姉?」
「……ないんじゃないかな? 基本的にルイルエお姉様って出来ない事ないように思えるし。……キーくんは何か思い当たる事は?」
「僕もない、かな。今思い出してもあの方って……万能だよねぇ」
「そうだよねぇ……」
そんな、この場にいない人物の評価に頭を悩ませている二人を見て、
「良く分かりませんが、随分と凄い方なのですね」
ノノーツェリアは取り敢えずそう結論付けることにした。
うん――とまたもや同時に頷く二人。
そんな二人の様子を眺めて、しばらく何かを考えるように沈黙した後、ノノーツェリアが言った。
「……あの、では二人を信頼してお願いしたい事があるのですが」
「「お願い?」」
「はい。ルイルエ、さんにノノーツェリア……ナナーツォリアの容体を見てもらえるように頼む事は出来ないでしょうか?」
それはつまり“本物の”ナナーツォリアと言う事であり。
一切の遊びがない、真剣そのもののノノーツェリアの言葉に応えたのは二人ではなく――
「お引き受け致しましょう、ノノーツェリア様」
いつからか。
音も立てずにノノーツェリアが座っていたテーブルの上に淹れたての紅茶を三人分置いて、くすんだ銀髪の、メイド服に身を包んだその女性は優雅に――一礼をして見せた。
【アルとレムの二言講座(ツッコミ役:レアリア)】
「……少し急ごう、雨が降りそうだ」
「……」
「アル、足元には気を付けるんだぞ、ちょっとぬかるんでたりするところもあるから、転ばないようにな?」
「……」
「まぁ、もっともアルが転んだとしても俺がすかさず助けちゃうんだけどなっ!」
「……」
「――最後の一言がなければ、レムもまだ……ね」
「ふふんっ、俺に助けを求める気ならいつだって良いぞ、レアリア」
「……(ふるふる)」
【お終い】
最近更新時間が遅くなりがちなので困っています。