Step 01 -裏の裏、表の話-
今日もメイドさんと旦那様はのんびりです。
『ツェルカ』・・・奴隷の女の子。レムの奴隷で処理部に属している。能力はそれなりに高い。自称、キックスのお姉さん。
街から少し離れた、ちょうど街を見下ろせるような小高い草原で。
男は草の上に寝そべって空を眺め――女は彼に膝枕をしながら手で髪を梳いていた。
周囲に二人以外の人影はない。
それもそのはず。この近辺はワーウルフの群れが生息しており、そのオオカミに似た彼らは魔物で言えばCランクの中位に位置する凶暴な生き物なのだから。
それなりの冒険者であっても、ワーウルフの群れに出会えば戦略的にも経済的にも見て見ぬ振りをするのが一般的である。
だからこれだけのどかな場所だと言うのに人影は愚か生き物の姿も――ワーウルフたち以外には見当たらない。ある種のワーウルフたちの聖域、と呼んでも良いのかもしれない。
事実、二人の周囲にはワーウルフの群れが男と同様に寝そべっているのだが二人がそれを、そしてワーウルフたちが二人を気にする様子はなかった。
それはどちらもが、どちらの領分を侵さない事をちゃんと心得ている、と言う事でもあった。もしくは、互いが互いの力関係を理解していると言うことか。
「旦那様」
「ん……あぁ、戻ったか」
「はい、そのようで」
不意の――女の呼びかけに男が身体を起こす。ワーウルフたちも一瞬、何かに反応したような仕草をしたものの、害はないと判断したのか元通り草原に寝そべって昼寝の続きをするようだった。
「ご、ご主人様~」
ワーウルフの群れの向こう側で、メイド服姿の少女が手を振っているのが見えるがそれ以上近づいてくる様子はない。
やはり普通の精神ではワーウルフの群れの中に入って行こうなどと考えはしないと言うことか。
「ツェルカ! 怖がらなくて良いからこっちに来い」
「は、はーい」
男に呼ばれて少女――ツェルカは恐々とワーウルフたちの群れの中を歩いてくる。
ワーウルフたちが時折じゃれつくように吠えたりして、それにツェルカは一々身体を震わる。ワーウルフたちもツェルカの反応が面白いのか、調子に乗ってワンワンキャンキャンと鳴くものだから、二人の所まで辿り着いた時にはもう涙目だった。
「そんなに怖がらなくて良いのに。こいつら頭いいし、良く見れば愛嬌だってあるかも知れないし。なぁ?」
「そうで御座いますね。そのような酔狂な事を仰るのは旦那様だけかと」
「そうか?」
「はい。それにツェルカ様にこのような無理をさせずとも、私どもがツェルカ様の所まで足を運べばよろしかったではありませんか」
「いや、それだとご主人様としての威厳がない気がしてだな、」
「しかし旦那様、どちらにせよ、この後もう一度街の方へお戻りになられるのでしょう?」
「ま、それもそうな訳だが……つか、ツェルカ、大丈夫か?」
「は、はい。何とか……大丈夫です」
そうは言っても未だ涙目だ。よほど怖かったのだろう。
と言うか、ワーウルフの群れを単身で突っ切るなど、かなりの実力者か、それとも天下に轟く阿呆しかしない。
「んじゃツェルカ、報告を聞こうか」
「はい、ご主人様」
「少々お待ちを、旦那様」
待ったが入った。
「……何だよ?」
「ツェルカ様、少々休まれた方がよろしいのではありませんか?」
「ルエルイ、お姉様……お気遣いありがとうございます。でもっ、私は大丈夫ですからっ」
両手で拳を作り、力いっぱいそう言うツェルカからは不思議と先程までの恐怖やそれに伴う震えは止まっていた。
そんな様子を見て、女は無表情のまま一つ頷く。
「そうですか。ツェルカ様が仰るのでしたら無理にとは申しませんが、旦那様と違いお身体にはくれぐれもお気を付け下さいませい」
「はい……ルエルイお姉様」
ある種の感動に打ち震えるように、頬に高揚を浮かべるツェルカ。先程までとは違った意味で瞳も潤んでいた。
「はいそこっ、良い雰囲気にならないっ、ツェルカも嬉しそうにしないっ、そしてテメェは何気にこんなところでポイント稼いでるんじゃねえっ!!」
「何の事でしょうか旦那様?」
「何の事、じゃない。それとお前はもう少し俺の身体の事を労われ」
「既に十分労わっておりますが、旦那様がまだ足りぬと仰られるのでしたら……これより先の更なる粉骨砕身を心がけたく、」
「あ、いや、やっぱりいい。お前に頑張られるといろんな意味で困るから。やっぱり今のままで十分だ」
「そうですか。ではそのように」
「ああ、そうしてくれ。……んで、ツェルカ」
「はい、ご主人様っ」
何か、さっきよりも随分と元気になっていた。なんとなく負けた気がする。
「……まあ、ツェルカが気を取り直したって言うんなら別に言う事はないんだけどな」
「あの、ご主人様? 報告の前に一つ、よろしいですか?」
「あん? なんだよ」
「私、さっきから気になってたんですけど……キーくんは? まだ戻ってきてないんですか?」
「キーくん?」
「旦那様、キックス様の事です」
「……あぁ、キックスね。あいつならちょっと、くれてやった」
「くれて……?」
ぽかん、と何を言われたのか良く分からない表情を浮かべるツェルカ。
言葉が足りなかったか、と先を進める。
「そ。なんかキックスが欲しい、とか抜かす奴がいたんで、面白そうだからくれてやった」
「……、えぇ!? ちょ、ご主人様!? それは一体どういう事ですかっ!!?? と言うより女ですか、女ですね、キーくんを誑かそうとする悪い女なんですねっ!!!!」
掴みかからん勢いで、顔を詰めてきた。
「お、お、おぉ? ツェルカ、ちょっと落ち着け、な?」
「これが落ち着いていられますかっ、キーくんがっ、私が手塩にかけて育てたキーくんの貞操がっ!! 何処かの性悪女に取られようとしてるんですよ!!??」
「いや、性悪と決まったわけじゃ……」
「決まってます! キーくんに目を付けたところまでは評価しますけど……この私がいる限りキーくんの貞操は何人たりとも渡しませんっ!! 例え御主人様と言えども、です!」
「いや、俺に野郎趣味とか、そういうのはないから」
「え?」
「いやいや、テメェは何不思議そうな表情を浮かべてやがる」
不思議そうな表情を“作って”いる女と、そんな彼女に何処か引き攣ったような表情を向ける男――そんな二人を差し置いて、ツェルカは更に白熱する。
「――もうこんなことしてる場合じゃないですっ、一刻も早くキーくんの所に……キーくん、待ってて、今あなたの愛しのお姉ちゃんが迎えに行くからねっ!!!!」
何か、イッた目をして一気に駆けだそうとしていた。
「て、おいちょっと待て、ツェルカ」
「なんですか、ご主人様ッ!」
「行くのは一向に構わんが、報告だけ済ませてからにしろ」
「報告!? そんな悠長な暇は、」
周りのワーウルフたちも若干引き気味なほどに、息も荒く、一瞬でも目を離すとすぐさま街へと走っていきそうな勢いだった。
そんな彼女を。
「――ツェルカ様?」
ただの一声が黙らせた。
ともすれば囁き声のような、大きくもない声。だと言うのにその一声は間違いなくその場全てを――否、彼女が旦那様と仰ぐただの一人を除いて――全てを支配していた。
「……えっと、その、報告……でしたよね、ご主人様?」
「ああ。それで、首尾の方はどうだったんだ?」
「……概ね、ご主人様、ルエルイお姉様の仰られた通りの結果でした。それにしてもこの国は想像以上に腐ってましたね」
「んー、そうか。まあでもそう言うものでもないぞ? 意気の良いお嬢さんも居たし」
「……ご主人様、また何かしでかしたんですか?」
「いや、今回は俺じゃない」
「ご主人様じゃ、ない……?」
「ああ。それで、報告の続きは?」
「……はい。まだそれほど深刻な様子ではありませんでしたが――かなりのモノが“感染”しているかと。具体的な人数は――」
「や、それは良い。聞くだけ無駄だから」
「分かりました。それで続きなのですが、特に魔力反応が強いのが王城……恐らく原因はそこにあるかと」
「そうか。そりゃ何かと都合がいい事で」
「都合がいい、ですか?」
「ああ。だってそうだろ? 何処かに潜んでられるよりは断然、駆除するのが簡単だ」
「それは、そうですが……」
「んじゃ、次の仕事だけど――」
「そんな暇はありませんっ、だって私はキーくんを……」
何かに気づいたようにツェルカはちらりと女の方を窺って、何の反応もない事に僅かに安堵しながら、先を続けた。
「キーくんを追いかけなきゃいけないって言う使命があるので――次の仕事はちょっと待ってください、ご主人様!」
「いや、別にキックス追いかけるなとは言ってないし。それに次の仕事はついでにしてくれればいいから」
「ついでに……ですか? それなら良いんですけど」
「それじゃ、こいつを適当にばら撒いてくれ」
どんっ、と一つの袋を取り出す。
何処から取り出したのかは――虚空から、としか言いようがないのだが、それだけで驚くモノはこの場にはいなかった。
「なんですか、これ?」
「まあ、特効薬?」
「特効薬、ですか?」
「ああ、一応な。だからキックス探すついでにでも街中にばら撒いてくれればいい。その程度の手間なら簡単だろ?」
「まあ、それだけなら確かに……」
「んじゃ、頼むな」
「はい。……えと、それで、ご主人様? その……」
「ああ、もう行っていいぞ――っと、あと一つ忘れてた」
袋を背負い、既に駆けだしかけていたツェルカに後ろから声をかける。
「なんですか!?」
「キックスをくれてやった奴の名前、ノノーツェリアって言う金髪蒼眼の女の子だから。歳は大体キックスと同じくらい。あいつ探す時の手がかりとしてでも使ってくれ」
「ありがとうございますっ、ご主人様!!!!」
一瞬で見えなくなった。
風の魔法と特殊な歩方でも使っていたのかは知らないが、取り敢えずは普通の目には止まらないほどの早さだった。
◇◆◇
後に残ったのは、ツェルカの興奮につられたのか、若干興奮気味になったワーウルフたちと。
「さて、それじゃ俺たちも街へ戻るとするか」
「旦那様も、意地が悪い」
「――さあ、何の事だ?」
「面白がっておられるので?」
「……俺さ、俺以外のモテる男なんて、いっその事世界から滅んでしまえ、とか思わなくもないんだ」
「ふふっ、そうですね」
「――信じてないな?」
「ええ、微塵も」
「……ま、良いけどな」
詰まらなそうにぶすっとした様子の男と……その傍らで本当に微かな頬笑みを見せた、くすんだ銀髪の女。
二人は寄り添うようにして街へと降りて行った。
【アルとレムの二言講座?】
「アールッ、何してるんだ?」
「ん~? ちょっと、お洋服作ってるんだよ」
「お? もしかしなくても俺のため?」
「残念だけど違うよー」
「……なんでぃ」
「もぅ、子供みたいにいじけないでよ。ちゃんと後でレムの分も作るつもりだからっ!」
「お、そうなのか? なら、許す」
「許すって……ふふ、何それ。なんかレムが偉いヒトみたい」
「いや、実際偉いぞ、俺って」
「でもレムにそういうのは似合わないし――それにレムはレムだよ、少なくともわたしや……あの二人にとっては」
「……そっか。ありがとな、アルーシア。そう言ってくれると嬉しいよ」
「ん~、……だから、くれぐれもわたしの邪魔、しないでね? 邪魔するとレムの事、嫌いになるから」
「それは困るっ! 分かった、俺は戦略的に撤退することにしよう」
「そうだね、それがいいかも」
「それじゃ、また後でな」
「うん。……――ふふっ、もう本当に、レムってば」
【お終い】
アルーシアじゃない、アルーシアさん。でも同じ(?)アルーシアさんでした。
幸せいっぱい? 夢いっぱい?
……んー、でもやっぱりメイドさんとご主人様の掛け合いは書きやすいなーと。




