36.5 どれいではない、ある姉妹の話
白黒姉妹の事ではない。
一休み、一休み、
慌てよう、急がば回れ、周り道。
木の網と薄い紙――俗に言う障子のみで覆われた部屋の中、久しぶりに帰郷した彼女はゆっくりと肩の荷を下した。
いつも頭から被っている漆黒の衣も久しぶりに脱ぎ棄てる。何と言っても彼女の髪はやや目立つので、いつもは外套でほぼ全身を隠しているのだ。お陰で何処かの野暮な輩には根暗だの陰険だとの言われてしまっているのだが。
「む」
……自慢と言うほどではないが、自分の本当の姿を見た時のその野暮な奴の驚き様その他色々を想像して、ちょっとだけ胸がすっとした。
ただ彼女の場合、帰郷とは言ってもそれほど良いモノではない。何しろ絶縁同然で飛び出た我が家なので、もし家の誰かに見つかりでもすれば今後の人生、良くも悪くも軟禁な生活が待っていること間違いないだろう。
それでも彼女が態々この場所に返ってくるのはそれなりの理由がある。
「――ふぅ、やはり我が家は落ち着きます。この香の匂いだけは、好きなのですが……」
ほぅ、と溜息をつく彼女は、障子に差した影に一瞬身体を強張らせて、けれど直ぐに力を抜いた。
写った小さな影が見知ったもの――彼女がここに帰ってくる唯一の理由だと分かったからだ。
「……誰か、いるのですか?」
「私ですよ」
「私? ……――姉さん!?」
ばっ――と障子が開き、一人の少女が部屋の中に飛び込んでくる。
透けるような空色の長髪に、エメラルド色の瞳――この国の中でもある一族の、それも一定の力を持った者にしか現れないその容姿は、“巫女”と呼ばれ、良い意味では敬われている者の姿だった。
飛び込んできた少女と同様の空色の長髪を揺らし、エメラルド色の瞳を微笑みに細めて、彼女は飛び込んできた少女を、自分の妹を優しく抱き止めた。
「ただいま帰りました」
「姉さん、今回は一体いつ帰って来たのですか!?」
「つい先ほどですよ。それよりも、人目に付くといけないので障子を閉めてくれると嬉しいのですが……」
「ぁ、と。ごめんね。姉さん。姉さんに会えたのが、つい嬉しくて」
「それは私も同じです。どうです、私がいない間、変わった事はありませんでしたか?」
「ううん。姉さんなら知っていると思うけど、特に変わった事は――」
「……何か、あったのですか?」
「あ、ううん。何かあった、と言う訳じゃないんだけど、でも……」
「何かあったわけじゃない……と、言う事はこれから何かある、と言う事?」
「うん、少し前に、“お告げ”がね」
少しだけ言いにくそうにする少女の言葉に、彼女は僅かに眉を上げた。
“お告げ”と言うのは、“巫女”にのみ発現する、一種の予知能力の様なものである。その能力があるからこそ、“巫女”はこの国の民に敬われ――そして同時に恐れ疎まれているのであるが。
「どんな“お告げ”です? その様子からすると、あまり良いモノとも思えませんが」
「うん、そのね、――『禍が海より来たる』って」
「海? 禍……と、言う事はもしや、」
「うん。多分……邪神フェイドだと思う。あの悪蛇がこの辺り海を塒にしてるのは周知だし、海から……って言うとそれしかないと思うんだ」
「そうですね、私も同意見――」
「……姉さん?」
「いえ、私も同意見です」
「でも、今何か、」
「詰まらない事です。とても――とても詰まらないことを、ふと思っただけです。そんな事、あるわけがないのに」
「???」
「それよりも邪神フェイドですか。……厄介ですね」
「うん。一応、数日以内に事が起こるかなっていう予感があるからエルシィ隊長さんたちに様子を見に行ってもらっているの」
「成程、近衛隊の不在ですか。道理で警備が手薄なわけです」
「そんな、“巫女”のいる最奥部までホイホイと侵入者を許しちゃうほど緩い警備じゃないはずだけどなぁ」
「私がここに居ると言うことが警備体制が緩い証拠です」
「姉さんは規格外だよ」
「そんなことはありません。私などを規格外などと言ったら……世の中には化け物などごろごろと存在していますよ?」
「もー、姉さんったら私を怖がらせようとしてっ」
「いえ、そういわけでは、ないのですが」
「でも……うん、この国とは少し遠いけど何か大きな国同士が戦争を起こすかもしれないって言う噂も流れてるみたいだし大丈夫、何も起きない、よね?」
「噂はあくまで噂ですよ」
「うん、そうだね。それに姉さんが帰ってきてくれたんなら百人力だよ! 姉さんがいれば、邪神フェイドだって――」
「あのですね? 期待されるのは嬉しいですが、あまり私に期待してもダメですよ」
「でもっ――姉さんはワールドラン……」
「私は私、です」
「でも姉さんは私なんかよりも色々出来るし、それに“巫女”の力だって姉さんの方が強いし、姉さんがこの国に残っていればきっと今代の“巫女”は姉さんだって、姉さんを知っている人は皆――」
「生憎、私には“巫女”などと言う堅苦しいモノは向きませんし。ごめんなさいね、こんな堅苦しいモノを貴女に押しつけてしまって」
「ううん、それは別にいいんだけど」
「けれど?」
「姉さんがいないのは、やっぱりちょっとだけ寂しいかな」
「……ありがとうございます。そして流石は私の妹です」
「えへへっ、姉さんにそう言われるとなんだかくすぐったいよ」
少女が本当にうれしそうに微笑むのを見て彼女も同様に顔を綻ばせるが、ふと次の瞬間には険しい表情をした。
「しかし妙な予感がしたので帰って来てみれば、邪神ですか」
「姉さん?」
「……何故でしょうね? 不思議と胸騒ぎがします」
「え、ちょ、姉さんの胸騒ぎって……そんな怖いコト言わないでよ」
「いえ、怖がらせるつもりは。それに胸騒ぎとは言っても『嫌なモノ』ではないので、心配は不要です、不要のはず……です」
「……珍しいね、姉さんがそんな曖昧な言い方をするなんて」
「私も不思議に思います。このような胸騒ぎは、今まで一度も――……」
「姉さん?」
「……一度だけ、ありましたか。“アレ”と出遭う前日にも確か、このような胸騒ぎを覚えていましたね。なるほど、道理で先ほど“アレ”の事が思い浮かんだ訳です」
「えっと、よく分からないんだけど……心配はなさそうなの?」
「いいえ、非常に問題です」
「――ぇ?」
「今はアルカッタの国境付近に居るはずでこんな片田舎の、それも見当違いの海から来るなどと言うのはあり得ない――などと言う楽観的な考えはこの際捨てましょう」
「姉さーん、自分の故郷を片田舎って……そりゃ、アルカッタみたいな大きな国と比べればまだまだ発展してないとは思うけど、」
「いえ、済みません。そう言うコトを言いたいのではなくてですね、」
「……姉さん、やっぱり何か、悪い予感がするの?」
「――えぇ、非常に悪い予感です。……いいですか、もし仮に、あくまで仮にの話ですが、」
「う、うん」
「エルシィ達が人畜無害“そう”な男、それと恐らく小さな女の子を連行などして戻って来たのなら、問答無用でその男をやってしまいなさい。女の子の方は保護してあげて大丈夫です」
「それも、姉さんの“予感”なの?」
「そうです。ですから――シンカ、何があろうと絶対に、その男と遭っては駄目ですよ?」
「ぅ、うん。分かった。姉さんがそう言うなら。……でも、姉さんがそこまで言うなんてその男のヒト、どんなヒトなのかな……?」
「それも策略の内ですか!?」
「ね、姉さん?」
「はっ!? ……済みません、少し取り乱しました」
「うん、それは良いんだけど……急にどうしたの?」
「いえ、どうにも神経が過敏になっているようです」
「……そっか。姉さんがそこまで気にするほど、その男のヒトって危ないヒトなんだね」
「そうです。いつも教えていますが男性などと言うモノは隙を見せればすぐさま襲いかかってくる腹を空かせたケダモノと同じ――極めて危険な存在です。あの穏便そうに見えるエルシィでさえ例外ではありません。そしてその中でも――今回やってくる“かもしれない”男はとりわけ危険な存在です」
「うん、分かったよ。姉さんの言うとおりにする……とは言ってもエルシィ隊長さんたちがそんなヒトを連れ帰ってきたら、の話なんだけどね」
「そうですね。願わくば、何も見つからなかった――……もしくは、邪神フェイドと遭遇したと言う方がまだ気が楽なのかもしれません」
「何もないのが、一番だね」
「ええ」
「――ぁ、と」
「? どうかしましたか?」
「ううん、そう言えば言うのを忘れてたな、って思って」
「何をです?」
「――おかえりっ、マデューカス姉さんっ!!」
と、言う訳でリリシィ共和国とかいう国の、内情っぽいお話でした。
そして何となく登場のマデューカスさん(W.R.第八位『情報士』)。同姓同名のお方、とかじゃありません。
一応人物紹介などを~
シンカ
マデューカスの実妹にしてリリシィ共和国の“巫女”。民で組織されている議会(要はお偉いさんたち)とは別系統の、組織と権力を持っている国の要、その一番偉い人。
男嫌いではないのだが地味にマデューカスから『男は狼、怖いもの』と言う知識を小さな頃から刷り込まれているので、無意識に男のヒトを避けたりしてるのと同時に、年頃の娘さんっぽく内心では男のヒトに興味津々なお嬢さん。