Act XX. エイリッシュ-3
ちょっとだけ、シリアスっぽい様な、話の雰囲気が違う今回です。
それは彼女――エイリッシュが旅の仲間(?)に加わってから三日目の出来事だった。
じっと見つめ合うのは件のハイエルフの少女、エイリッシュとレム。三日間、二人の間を取り持っていたメイド服を着た女は今この場所にはいない。『メイドの嗜みが切れました。ちょっと買ってきます』と意味不明な言葉を残して消えてしまったからである。
お陰でこの時、彼と彼女は初めて二人きりになった。
……ちなみに見つめ合うってのは勘違いで、エイリッシュはレムと視線が合うなり露骨なまでに嫌悪感を示して視線を逸らしていた。
「ふっ――安心しろ。俺はネンネにゃ興味ねぇ」
「何ですか、この塵芥以下」
「……」
「こっち見ないでくれます? あと、視線で犯さないで下さいな、ゲス」
「ちょ、ちょっとした冗談じゃないか。俺はだな、なんだか思い空気のこの場を和ませようと、」
「死ねばいいのに」
「……うん、ごめんね。ってか、俺本気で何か嫌われることでもしましたか!?」
「――ぅ、吐きそう」
「何それ!? 俺がちょっと近づいただけで吐くって、生理的嫌悪? そこまで俺の事が嫌いですか!?」
「学習しない塵芥以下ですね。息をするなと言ったはずですが?」
「聞いてないっ、それは初耳だ! あと、息止めてたらいくらなんでも死んじゃうからっ、俺を殺す気ですか!?」
「……むしろ勝手に死ねばいいのに」
「……、うがー!!!!」
「っ!!!!」
不自然なまでに身を震わせるエイリッシュ。両眼には僅かに涙が溜まっていて、あと一押しすればもう泣きだしそうなほどである。
そして二人を見つめるその他大勢の通りすがりの人々。ちらちらと『――泣かせた』『暴力を……』『――が可哀想だ』『あの男が……?』『誘拐犯?』『旦那様、鬼畜ですね?』などと言う声が聞こえてくる。
そのどれもが今にも泣き出しそうな(美)少女を擁護するもので、全ての非難は少女に酷い事をした(断定)外道の男へと向けられていた。
つまり何が言いたいかと言うと、……非常に周りの目が痛かった。
「良し分かった! 俺が悪かった。だから頼むから泣くのは止めてくれ。これでも女の涙は苦手なん――って、そこっ!! 衛兵さんとか呼ばなくていいからなっ!? これはきっと、ちょっとした擦れ違いがあってだな――」
「言い訳なんて、男らしくない」
「おま、俺にどうしろと? と言うより言い訳じゃなくって単なる事実ですよぅ!?」
「うわーん、このおじちゃんがいじめるのー」
滅茶苦茶棒読みだった。
――ただし、効果はてきめんだったが。
「――あそこですっ、あそこに残虐非道な指名手配の性犯罪者、幼女にすら暴行を加えようと企んでいた……かもしれない……旦那様がいますっ!!」
そこそこ大きい街の衛兵が、実にぞろぞろと走ってきた。それも何故か既に全員ば抜刀しているという始末。
「やっぱりおまえかー!!!!」
と、言うことで逃げだした。その場に置いて行くのも忍びなかったので、傍に居たエイリッシュの手を取って。
結果、むしろ追跡してきた衛兵さんたちの形相が凄い事になった。
◆◆◆
「……撒いたか?」
「そのようです」
基本的に――ハイエルフと言う妖精族は多種族との慣れ合いを好まない。それも、“裏切り者たる”小人族となれば、嫌悪もあろうと言うモノ。
だから、握っていたエイリッシュの手が少しだけ震えていたのはきっとご愛嬌なのだろう。
……決して、手を握られたのが震えるほど嫌だったと言う訳ではない、はずである。
エイリッシュは少しだけ繋がれた手に視線を下ろして、それから侮蔑しか籠っていない視線でレムを見上げた。
「しかしあなた、あんな大量の小人族に追いかけられるとは……やはり悪人でしたか」
「全部が全部お前の所為だよっ!?」
「……私には、小人族の知り合いなど目の前の塵芥以下以外いませんが?」
「って、妖精族の中でもとりわけ籠の中な奴らに言っても通じないか」
「侮辱された気がしますが、私は気にしません。所詮塵芥以下の戯言ですから」
「あー、もういいよ、それで。さっきの事に関してお前に文句言うのも筋違いだろうしな。……煽ってやがった何処かのバカは後でお仕置きだけどな」
「お仕置き……そうやってあなたは今までも罪のない女性を嬲って来たのですね。……恐ろしいです」
「一度、どうしてこんなにも優しさに溢れまくってる筈の俺からそんな評価が出るのか、詳しく聞いてみたいものだな」
「……ぁ、でもこの手は――私、もう手遅れなの?」
「いやいやいや、高が手を繋いだだけで何ほざいてますか!? あと泣き出すのは止めて、女の子を泣かせたりなんかしたら絶対、後で夢にうなされるから、俺」
「……そのまま溺死すればいいのに」
「……あー、まあ泣き出さないでいてくれてありがとな」
「私は、もう泣くほど子供じゃないですから」
「三日ほどまでには自分は子供だって言ってたけどな」
「……成長したんです」
「そか、それは何よりだな」
「……」
「――んで、じゃあそろそろ本題に入ろうか」
何気なく、今までの会話の延長線上の様に、レムはそう切り出した。
「……本題、とは何の事ですか?」
「惚けるのか? まあいいけどな。折角あいつがこうして二人になる機会を用意してくれたんだ。有効には利用させてもらうぜ?」
「あいつ……あのお方ですか。と、言う事は私の“目的”もあのお方から――」
「ま、そう言う事にしておけばいい」
レムがそう頷いた瞬間、エイリッシュの雰囲気が一変した。
何処か嫌悪感を含んだ表情から、やっぱり嫌悪感を含んだ表情に。正確には――殺意すらも醸し出して。
「――そう言うことならば、話は早いです」
「んで、どうする気だ? 俺に手を出そうものなら後々あいつが怖いぞ~?」
「承知しています。ですが――あのお方を解放できるのであれば、その逆鱗は甘んじて受け入れましょう」
「……それはお前の意志か? それとも――」
「コレが村の――私たちハイエルフの総意です」
逃げられない様に繋いだ片手を繋いだまま、エイリッシュはもう一方の手で、隠し持っていた短剣を取り出し――そのままレムへと突き出した。
「うん、分かった。なら――」
迫る短剣と、握りしめられて逃げられない状態に。
レムは片手を盾にして、難なくその短剣を“手の平で”止める。剣の刃が肉を割き、深々と貫通するが気にする必要もない。
「“俺”を嫌うのは良い。クゥワトロビェの影響が一番強いお前たちだ、本能的に俺を嫌う……憎むのも仕方ない事だろうよ。俺の本意じゃないが、それは赦そう、認めよう。甘んじて受け入れてやる、だが――」
「っ!!」
その瞳に見詰められた瞬間、エイリッシュは全てを忘れた。彼に感じていた嫌悪も、あのお方を解放するという大義も、何もかも。ただ何も考えられず、その瞳を吸い込まれる様に凝視する。
――それは闇だった。全てを、光明の一片すらも呑込み喰らい尽くす、何処までも深く底の見えない【闇】だった。
闇とは言うが“黒”いと言う訳ではない。そもそも“黒”とは【厄災】の象徴で、漆黒の瞳をもつ存在など真の【厄災】ほどしかいないだろう。
色的には淡いブラウンの瞳――だが、エイリッシュはそれを【闇】だと認識した。
見惚れ、意識すらのも呑み込まれるほどに、……“己の存在すべてを奪い尽くされる”。
「だがな、嫌悪と大義名分を一緒にするな。そして――お前たち全員に伝えろ」
――喰われる
ソレを確信した。
何事もなく、存在そのもの、生きている意味そのものすらを奪われる。
「反吐が出る、ああ、反吐が出るな。――エイリッシュ? エイリッシュ・フィアンセル・イリアの名前を継いだ少女? たかが小娘一人にこんな事を押し付けて、他は怖くて縮こまってるつもりか――反吐が出るな」
「っ、ぁ――」
漏れた声は引き攣っていて、最早声ではなかった。怖い、とすら認識してはいない。“彼”は何かを話しているようだが、正直ソレも耳には入って来ていない。
ただ今すぐにでも膝が折れて、“彼”に全てを滲透されていく――。
「用事があるならテメェらで掛かって来い。俺が相手をしてや――」
「――……ぇ?」
言葉は、そこで途切れていた。
不意に倒れ込んできたモノを反射的に受け止めて……受け止めきれずに二人共々地面に倒れ込む。
倒れて来たのは何なのか――それを、触れるほど間近にあった顔を見てようやくエイリッシュは思い出した。念には念を込めて短剣には毒を――それも龍種の亜種とされ、桁外れの生命力を誇るワイバーンでさえも一撃で仕留める事が出来るほどの強力なモノを染み込ませていた事を、ようやく思い出した。
つまり、自分はやったのだ、目的を果たしたのだ、と――
◆◆◆
「――」
“彼”だった死体を押しのけようとして、そこで彼女は動きを止め“られた”。
「――流石は、旦那様。最早神業の域ですね、これは。“毒物”と理解するなり解毒、ですか。こればかりは……私でさえ真似はできませんか」
メイド服を着た、くすんだ銀髪の女がいつの間にかそこに立っていた。
いつ来たのか、いつからいたのか、音や気配、魔力の振動すらも何一つ感知する事は叶わなかった。
初めからずっとその場に居た、と言われても妙に納得してしまう感すらある。
「まあ、体力が尽きて眠ってしまわれた、と言うのはこの際大目に見る事に致しましょう」
そう言った彼女の表情が、ほんの少しだけ安堵するように緩んでいたのははたして気のせいか否か――。
「さて、エイリッシュ様。先にも述べましたが、私の旦那様に手を出した以上、“覚悟”はしておられるのでしょうね?」
「――」
頷いた――つもりだった。少なくともエイリッシュ自身はそのつもりだったがその実、瞬き一つできないでいた。
「……宜しいでしょう。では貴女、いいえ貴女方は――」
固まったままのエイリッシュ、その上からレムを片手で摘み、放り投げて退かして、身動き一つ取れないでいるエイリッシュへ向けて“彼女”はとびきりの笑顔を“作る”。
「皆殺しです♪」
「っ」
「……と、言うのは私の意見の一つですが、旦那様がお望みでない以上は控えると致しましょう」
「――」
それは否、大いに否。
本気であった。間違いなく本気――少なくとも“彼女”の中では自分は今一度殺されている、そう確信できるほどの何かが確実に、エイリッシュ自身を今もなお貫いている。
「分かりますか、エイリッシュ様? 例え旦那様が納得した上での行動であったとしても――私、今非常に頭に来ています。軽率な旦那様にも、そして今貴女が無自覚に浮かべているだろう表情にも」
「――ぇ」
「頬は上気し目は潤み、それは誰に対する眼差しですか? 旦那様を殺そうとなどする以上、気をしっかり持たないと“自我”をも【喰われる】とは忠告したはずですが?」
「……」
「その様子では、忠告は無駄に終わったようですが。いえ、そもそも今の私の話を全て聞けているかどうかさえ、定かではないでしょうね?」
「……」
「では、エイリッシュ様。旦那様からハイエルフ達への言付け、しかと覚えておいでですか?」
「……」
「ならばお帰りはあちら。さあ――私の気が切れぬ内に、」
すっ――と“彼女”が片手を指し示す。その方向は、寸分狂いなく“迷いの森”があった方向と一致する。
「っ!!」
それは本能上の行動だったのか、それともそうする事でさえ、“彼女”に強要されていたという事か。どちらかは定かではないが。
あれ程動かなかった身体だと言うのに、エイリッシュは飛び起きるなり全力で“彼女”が指示した方向へと向けて走っていた。そうしなければ――“彼女”に、龍の逆鱗に触れたモノに先はない。
◆◆◆
一人、その場に残ったメイド服の女は。
自分が放り投げたレムの元まで静かに歩みより、小さくこぶしを握った手を振り上げて――
「……ばか」
こつん、と。
「余り、心配をかけないで下さいませ、旦那様」
こつん、と。もう一度握った拳が振り下ろされる。
「……旦那様なら大丈夫と理解はしていても、それでもやはり、心配はしてしまうのです。だからあまりご無理はされぬよう……と、言っても聞かないのでしょうね、この困った私の旦那様は」
こつん、と再び拳を、……優しく優しく振り下ろす。
「この、……おおばか旦那様」
……何故か変な方向に話が?
気が付くと何故かこんな感じになってました。
いやー、別に暗殺者とかそんなつもりは一切なかったのに……何故だろう? 不思議です。
と、言う訳でまぁ一応、エイリッシュと言う名の少女については一区切り?
ちょっとお休みも今回で一応……と言う事でした。
死ねばいいのに……うん、小さな女の子がこの言葉を言うのって何かぐっと来るモノが――ぇ、ないですか?
ふ~む?