Wildfire-23
旦那様のターン!
赤の世界が一斉に牙を剥く。三十二方から絶対の“破壊”が迫る中でも“彼”は表情一つ動かす事はなかった。
ただ、一言。
「――喰らえ」
ぱんっ、と音がしそうな衝撃が空間に走る。
一瞬の出来事。“彼”の周りの空間だがけが赤い世界を拒絶するように、まるで舞台上のスポットライトのように元の白い世界のまま“彼”の姿を浮き彫りにさせていた。
よくよく見れば赤と白の世界が互いに境界で競り合っているのが視えただろうが、今この場にそこまで確認するような輩はいない。
赤い世界が“彼”の周りだけ侵食を拒んでいるような光景にステイルサイトが驚きに固まる中、“彼”の背後から緑色の――どこか森を連想させる少女が様子を窺うようにひょっこりと顔を出した。その少女の姿を認めたステイルサイトの瞳がさらに大きく驚きに開かれる。
「――なっ!? ≪ユグドラシル≫? いやでも、まさか……」
「何を驚いてるんだ? 他力本願はそもそもテメェの十八番だろう?」
「……驚きだ。本当に驚きだよ。≪ユグドラシル≫に喰われたはずのお前が暴走していたはずの≪ユグドラシル≫をどうして使っているのか、全く以て驚かされる」
「テメェの想定が浅いだけだろう? この程度の事で一々驚いてる時点で底が知れるな」
「――あぁそうか、そうなんだね。……やっぱり、お前は視界に入るだけで僕を不快にさせてくれるみたいだね」
「そりゃお互い様だ」
「ああもういい加減、僕の視界から永久に消えてくれ、元・ご主人さま」
赤い世界の浸食が勢いを増す。ジワリジワリと、“彼”の周りを囲っていた元の世界を侵食していった。
“彼”はそれを詰まらないモノを眺めるような眼で見て、それから背中に隠れる緑の少女へと視線を遣った。
「おい、お前の力はこの程度か?」
『だって、不純物が有って美味しくない』
「我慢しろ」
『美味しくないモノを無理やり口に入れるのは苛めだと思う。イジメ、格好悪い』
「文句を言うなら止めても構わないぞ、俺は」
『……文句はある。でも貴方の言うことならば私は従う』
「そうか。なら文句は心の中だけで言ってろ。邪魔だ」
『分かった、そうする』
「それに――ああ、どうやらこれ以上不味いモンを食う必要はないみたいだしな」
『? どういう』
正にその瞬間だった。
赤い世界の赤い空に一筋の亀裂が入った。
「「!?」」
ステイルサイトと緑の少女、二人が驚愕に空を見上げる中、空に走った漆黒の亀裂は次第に大きさを広げていく。赤い世界を断ち切り、壊していく。
コレと同じ現象を、“燎原”の赤い世界すらも立ち切り壊す漆黒の闇をステイルサイトはつい先ほど見た事があった。だから歓喜と共に叫ぶ。
「貴女か――貴女なのかっ!!」
ステイルサイトが叫んだと同時、赤の世界は完全に崩壊した。赤の世界が剥がれ堕ちる様にぱらぱらと降り注ぎ、その下からは元の白いだけの風景が覗く。
赤い煌きとなって世界に降り注ぐその光景はいっそ幻想的と言ってもいい。たとえ、その煌きに触れたモノは一瞬で焼き消されるのだとしても。
漆黒の亀裂は赤い世界の崩壊と共にかすれて消えていき、直ぐにその形跡は見えなくなった。
「早かったな」
何時からいたのか、半歩後ろに佇んでいた“彼女”へと“彼”は一瞥の後、当然のように声を掛ける。ちらりと視界の端に映った赤の少女は気にしない事にした。……何やら期待に満ちた目で見られてはいたのだが。
「ああ、やっぱり貴女だったんだね。追ってきてくれたのかい!? そうでなくともこの男を消して直ぐに貴女の元へと帰ったのにっ!!」
喜び一色のステイルサイトに対して、“彼女”の反応は実に温度差のあるものだった。歓喜を上げるステイルサイトに一瞥すら視線をよこす事はなく、半歩先に立つ己の主へと不平を懇願する。
もっとも一瞥すらされずともステイルサイトの興奮は冷めやらぬ様子ではあったのだが。
「旦那様、突然獲物を横取りなど酷いでは御座いませんか」
「出し惜しみか何かして手こずったお前が悪い。俺の所為にするな」
「いえ、旦那様の所為にする積もりなどは……失礼致しました」
「別にいい。お前がこうして追いかけてくる事は分かってたからな。だからこそ“こう”した」
「……――ワザと横槍を差すなど、旦那様もおヒトが悪い」
「だからどうした?」
「いえ、やはり旦那様は旦那様であると実感していただけに御座います」
「そうか。――ああ、それと今の働きの褒美だ。受け取れ」
「旦、」
それが当然の事であるように“彼”は振り向き“彼女”の顎に持ちあげて、そのまま“彼女”の唇を自分の唇で塞いだ。残った片手では“彼女”を自分の近くへと抱きよせる事も忘れてはいない。
その動作には一切の躊躇いやぎこちなさがなく、この一動作だけで今のコレが“いつもの事”であるようにさえ思わせた。ただしそれは“彼”の行為だけを見た場合であるのだが。
褒美とやらを受け取った“彼女”はと言うと、避ける事さえ忘れて黙ってソレを受け取っていた。とは言ってもその表情は驚きに満ちていて、“彼”の行為そのものを受け止めているという感じではなかったが。ただ、“彼”の行為は当人である“彼女にさえ避ける事を忘れさせるほどに自然なモノだったのだ、ということである。
「「な、」」
数秒、そのままの体勢でいただろうか。あるいは一瞬か。“彼女”の瞳が憂いを帯びて蕩け、初雪のように白かった頬には朱が差していた。
身体の力を抜くように“彼”へとしなだれかかり――、という所で“彼”が身体を離した。
「どうだ、満足したか?」
「――」
「何だ、それとももう一度欲しいのか?」
「……もう、旦那様もお戯れを」
俯きがちに頬を染めて潤んだ上目を向ける“彼女”の姿はこれまで見せたどの表情とも違っていて――。
だからこそ、その直後に“彼”がよりによって『服の袖で自分の唇を拭う動作をした』瞬間、“彼女”は完全に顔を伏せて、そのまま肩を震わせた。“彼女”のその表情を見る事が出来たのはほんの一瞬の事だった。
「「なぁぁぁぁ!!!!」」
もっともそんな些細な事、当人以外には関係ないようだったのだが。
と、言う訳で旦那様のターンがようやく始まります?
ちなみにレム君の行動の一々は結構技としている部分があります。無自覚じゃないですよー?
キスケとコトハの一問一答
「嫌がらせはここぞって時、それも的確に相手が嫌がる事をやれ。いいな?」
「……師匠、そんな事を教えてもらっても全然嬉しくないですよぅ」




