Wildfire-17
逃げ出そう。
メイドさんvs“燎原の賢者”ステイルサイト続行中。
「――っ」
「惜しいっ。小指一つほど足りなかったね」
ステイルサイトの言葉通り、あと小指一つ分“彼女”の腕が前に出ていればその胸を貫いていた、絶妙とも言える位置で“彼女”は動きを停めていた。
「この場所……かつて龍種が繁栄を誇り世界を支配していた時代には白龍、龍種の王が住まっていたとされるこの地は、だからこそ特別な仕掛けがいくつか存在する。貴女の魔力を封じているのだってその内の一つだ」
「この、仕掛けは」
「故に最強の生命とされる龍種すらも拘束できる仕掛けがこの地――特に元・王城にはいくつか存在している。とは言ってもこの手の話は貴女の方がよく知っているだろうけどね。……それに王城は大戦時に燃えたって話だし、“跡地”にはこんなみすぼらしい“館”一つしか建っていないようだけどね」
「――ステイルサイト」
「そして仕掛けの中には白龍――龍王の直系さえも拘束できるモノが存在している」
良く良く見ると、“彼女”の真下の地面に薄く輝くような文様が浮かび上がってきていた。
文字、あるいは記号で印されたソレが厳密な意味でどのような効果を持つのかは定かではない。だがそれでも、地面に浮かび出た文様が“彼女”の動きを妨げているのだけは確かだった。
「貴女がどんな存在かはまだはっきりとは分からないけど、流石に白龍さえも完全に拘束できる仕掛けを破る事は……その様子だと無理そうだね。安心したよ」
「……この程度で、私を拘束できるなど思わない事です」
「おお怖い。でも……こんな分かり切った嘘を吐く貴女でなし、今の言い方だと白龍用の拘束すら貴女には意味を成さないようだけど……――隙を作るには十分すぎるほどの時間だとは思わないかい?」
「っ」
ステイルサイトの言は確かに的を得ている。
“彼女”自身、先ほどから拘束を解こうと“色々”ともがいてみてはいたのだが、それでも拘束は軋むだけで直ぐに解けると言う訳ではなさそうだった。その意味では十分すぎるほどの隙になり得る。
「――“燎原”の炎よ」
ステイルサイトの指先から溢れ出た紅き焔が、光の刃を纏っていた“彼女”の腕を這いずり回り、そして――焼き切った。
地面に落ちた腕はすぐに輝きを失って、光の刃は霧散した。
「っっ」
「母様!?」
「――シャトゥ!」
「っ!」
片腕を“焼き斬られた”瞬間、流石に“彼女”の表情に若干の苦痛が浮かぶ。
それでも駆け寄ってこようとした赤い少女を、たった一声でその場へと縫い付ける。赤い少女へと向かおうとしていた焔もまた“彼女”の静止に反応するように、その動きを止めていた。
「母様! 腕、母様の腕が取れて……」
「シャトゥ、この程度の事、心配いりません。だから、泣いたり慌てたりするのはお止めなさい」
「で、でも……」
「それに教えたでしょう? 泣くのは大切なヒトの胸の内だけにしなさい、と」
「う、うむ。そうでした。……母様、取り乱して御免なさい」
「いいえ。分かってくれれば、それでいいんです。それに今私を心配するその心、決してなくしてはダメですよ?」
「――はい、母様」
「宜しい」
「――で、茶番はもう良いかな?」
“燎原”の炎を指先で弄りながら二人の会話に水を差し、ステイルサイトはたった今焼き斬られた“彼女”の片腕を愛しげに撫上げる。
撫で回すこと数度、満足したのかステイルサイトは飽きた玩具を捨てるように、その腕を消し炭にした。
「貴女には申し訳ないけど、腕一本――厄介そうなあの光の刃は取らせてもらったよ?」
「勝手になさい」
「でもやっぱり“燎原”の力を受けて本当に無傷ってわけじゃなかったみたいだね。ちゃんとこの力で貴女を傷つける事が出来るって分かって、少し安心したよ」
「ステイルサイト、私を拘束した程度で――腕一本奪った程度で既に勝った気でいるのですか?」
「貴女にはいつだって驚かされる。だから、そう言う過信はないけどね。……でも少なくとも、今は絶対的に僕の方が有利だという事実に変わりはない。そうだろう?」
「……そうですね。非常に不快ではありますが、状況のみを鑑みればあなたの方が有利ではあるのでしょうね?」
「その割には何とも余裕じゃないか。それとも、可愛い強がりだったりするのかな? それはそれで、凄く魅力的に思えるんだけどね」
「強がりでも何でもありません。ただ――“白龍用”であるこの拘束を解くのが私には非常に不快なだけ」
「世界最高峰の拘束を解くのが不快なだけと言い切るその豪胆さ、何より貴女の言葉全てが強がりでも何でもないって事が、とても素敵だよ」
「最低の侮蔑ですね。それに私の不快であるという感情だけと、私の“腕一本”……少々、対価が高すぎる。私の身体は余す処なく全て旦那様のモノなのですから」
「――でも、直にその全てが僕のモノになる」
「そんな妄言は例え夢の中でさえ聞くに堪えませんね?」
「何、すぐに嬉しくて堪らなくなる。それじゃあ――」
ステイルサイトが一歩前へと踏み出し、“彼女”へ向けて手を伸ばそうとする。同様に“彼女”も、一歩前、ステイルサイトへと足を踏み出した。
「っ――“燎原”よ!!!!」
その“現実”にステイルサイトが気づいた瞬間には、“彼女”は既に残った方の腕を振り下ろしていた。
間一髪と言う所で、巻き上がった焔が振り下ろされた“彼女”の腕を包む。そしてもう片腕も焼き落とす、かに思えたが“彼女”は腕をただの一振りするだけで腕を取り巻いていた“燎原”の力を振り払った。
遅れて、“彼女”の足元に浮かび上がっていた文様が空気に溶けて消えていく。
「――嬉しくなんてない。ただ、詰らないだけ。お前如きの為にシャトゥをこれ以上心配させるわけにもいかないし……いい加減、旦那様には戻ってきてほしいのですけどね?」
悠然と佇みながら“彼女”はエプロンドレスに付いていた埃を払い落した。そして“傷一つない”服の乱れを“両腕”で軽く整えて髪に付いていた埃も払い落す。
そうして身だしなみを整えた後、“彼女”はそれはそれは良い顔で――にっこりと笑った。
「というよりいい加減さっさと戻って来い、この鈍間」
メイドさんは素敵に無敵だから傷ついても傷つかない。という世界の理屈なのですよ、きっと。
キスケとコトハの一問一答
「この間、危うく腕を斬り落としそうになってな……」
「師匠、それ義手じゃないですよね? ですよね!?」




