Wildfire-5
くすくすっ、くすくすっ
遥かな平地を僅かな早足で進んでいく男と女。
背後からの微かな、常人では捉えられない程の空気のざわめきに、無表情だった女の眉が僅かに上がった。
「旦那様、この気配は――」
「“冥了”が集まってるみたいだな」
「“冥了”相手では流石にスヘミア様だけでは厳しいかと思われます。やはり私が参りましょうか?」
「さっきみたいにか?」
「……何の事でしょうか、旦那様?」
「いや、いい。戯言だ。聞き流せ」
「はい」
「別にお前が向かう必要はない。さっきも言った通り、良くも悪くもあいつらの問題だ。俺が口出しすべき問題じゃない。……ただし、だ。だからってお前にどうしろって言ってるわけじゃない。俺が手を出す必要はない、と判断しただけの事だ」
「……はい、旦那様。心得ておりますとも。そして旦那様がお決めになられたというのであれば、私はそれにただ従うのみに御座います」
「そうか。お前がそれでいいなら俺は何を言うつもりはない」
「はい、旦那様」
「それに相手が“冥了”であるならキスケもいる。心配する事じゃない」
「……だと、宜しいのですが」
「お前があっちを優先したいって言うなら行っても構わないぞ、俺は」
「御冗談を。旦那様とその他の、どちらを優先させるかなど端から決まっております」
「そうか、――ふん、ようやく仕掛けてきやがったみたいだな」
「その様です、旦那様」
男と女の背後で複数の人影がむくりと、次々に起き上がり出した。
それは気絶させたモノたち――女に瞬殺された有象無象のモノたちだったが、起きたモノたちからは表情・感情と言うモノが抜け落ちていた。
何より女は其処までのの手加減をしていなかったのだから、ヒトとしての構造上――こんなに早期に気がつく事など有り得ない。そして事実、彼らに気がついた、意識が戻った様子は見られなかった。
ただ起き上がり、ただ迫ってくるだけの、亡者の様な存在。そう呼ぶのが今の彼らには相応しい。
「死人に鞭討つ、か」
「私は無益に殺してなどおりません」
「どっちも似たようなものだ。死体が操られてるか、生きたまま操られているか……な」
「確かに」
「ふん、相も変わらず趣味が悪い」
「ええ。旦那様――どうかお気をつけを」
「誰に向かってモノ言ってる?」
「確かに、その通りに御座いましたか。何よりその様な有象無象、この私がいる限り旦那様には指一本たりとも触れさせは致しません」
「魔力を封じられてるって事は忘れるなよ」
「御心遣いに感謝を。何、このようなモノたちなど、この身一つで充分――ですよ?」
女の姿がかすんだ瞬間、起き上がっていたはずの彼らが一斉に地面に崩れ落ちた。
だがそれも一時の事。数秒の後には倒れたモノたちは同じ様に起き上がり、むしろ遠方から集まってくるモノ達の分だけ数が増えていた。
まるで生者に群がるゾンビの様に、意識のないモノたちが無理やり動かされているように彼らは男と女――もっと言えば男だけを目指して、向かってくる。
「無駄みたいだな」
「なら――倒して起き上がるというのであれば両の足をもぎましょう。なお手で這いずると言うのであれば両の手をもぎましょう。どのような事をしようとも、旦那様に指一本触れる事は叶わぬと――」
「いい。止めろ」
「……はい、旦那様」
「ふん。死ぬまで……いや、これは死んでもなお、か。この哀れな生贄どもを利用しようなんて、つくづく性根が腐ってやがるな、あのクズは」
「ですが旦那様、如何いたしましょう? 魔力を封じられた今の状態では、私は彼らを打ちのめす事は出来ても歩みを止めさせることは出来そうにありませんが……」
「だからって、あのクソ野郎の思惑どおりに事を進めてやるなんて虫唾が走る」
「……――いえ、このような遊戯、旦那様が手を下されるまでも御座いません。やはり私が、」
「俺に二度、同じ事を云わせるつもりか?」
「――失礼いたしました、旦那様」
「分かれば、それでいい。それでこいつらだが――かと言って手の内を見せる事すら癪に障る」
「ならば、如何なさいましょう、旦那様?」
「――……お前はただ俺が進む道を作れ。それ以上は必要ない。――出来るな?」
「はい。旦那様の御意志のままに。……何よりも、私は旦那様の行く手を遮るモノを須らく除ける、絶対の矛なのですから」
「良い――返事だ」
◇◇◇
「さあ皆様方? 私の旦那様が御通りです、道を開けなさい。そして開けねば――道を作るまで」
僅かに、本当に僅かに、無表情だった女の口元に笑みが浮かび――女の姿か残像の様に霞んだ。そこに在るにも拘らず、姿が霞んで見えた。
瞬間、巻き起こった突風が男の周りに群がる亡者どもだけを彼方へ吹き飛ばす。
吹きとばされた亡者たちはすぐに起き上がると再び男へと群がって行き――男に近づいた瞬間、再び吹きとばされた。
次から次へと向かってくる亡者の群れが、男の周囲一定内へ踏み入るなりに吹きとばされていく。
「……余り、くだらねぇ事ばっかりしてるんじゃねぇぞ――ステイルサイト」
男の周囲だけが、ぽっかりと亡者どもを寄せ付けない空間になっていた。
その中を男は悠々と歩いて行く。僅か先に見える館を、その中にいる一人の男の事をじっと睨みつけたまま、他のモノには何一つ脇目も振らずに進んでいく。
彼の後ろには、僅かに姿を霞ませたまま、付き従って歩く女が一人。その口元には何処か挑戦的な笑みが、僅かに浮かんでいる。
レム君、快進中。実は館がある浮島は意外に広かったりするので、歩いて行くと結構時間がかかるのです。
毎日思いついた事を書き洩らして居ります。なので、前書きとか後書きに大きな意味はない。
キスケとコトハの一問一答
「師去りて、友有り。その心は?」
「嫌です師匠、行かないでっ!?」




