ACT XX. スィリィ-9
…早く大人になりたい―て、違った。
ミリアレム・・・アルゼルイ教育機関の講師で、学長のお嫁さん。元・レム君の奴隷。胸が大きい。
ハインケル・・・アルゼルイ教育機関の講師。
「……んっ」
ここ、は……?
同時に、半ば無意識に手袋をしているのかどうかを確認する。……よかった、ちゃんとしてる。
「目が覚めましたか、エレファンさん」
「……ミリアレム、先生?」
深蒼の瞳と金色の長い髪、それと……大きな胸。
間違いなく、魔法実技を教えているミリアレム先生だった。
「はい、そうですよ。エレファンさん。意識の方ははっきりしていますか?」
「あ、その……、――」
……思い、出した。
アイネや他の子たちの事を、氷漬けにし、て……
この手の感触を覚えてる。冷たくもない、何もなく、自分の恐怖心をなくすためだけにただ誰かの熱を奪ってしまった事だけを覚えている。
それがどれだけ身勝手か分かるのに、圧倒的に湧き上がる恐怖を今も抑えきれないでいる。
「わ、私、みんなを……」
「エレファンさん、大丈夫、皆さんは無事です。だから安心してください」
「で、でも」
「大丈夫、これは貴女の所為ではないのですから。そう怯えないでも大丈夫です」
「私、アイネの事も――」
「……どうにも落ち着くにはもう少し時間がかかりそうですね。大丈夫、この部屋でならあなたが“暴走”を起こす事もありませんから、本当に安心してください」
「――……」
ぽふ、とミリアレム先生に抱きしめられた。
少しだけ苦しいけど、今は全身に感じられる相手の熱がとても有難い。温もりがすぐ近くにあるという事を実感してないと、駄目になりそうな気がする。
◇◇◇
「もう、大丈夫ですか?」
「……はい、ありがとうございましたミリアレム先生」
「いいえ、私が好きでしている事ですから。それと一応聞いておきますが、力が“暴走”しそうな感じはありますか?」
「……そう言えば。いいえ、ありません」
言われてみて初めて実感した。
あの時みたいに恐怖心と同時に湧き上がってくる力を全く感じない。その事実が本当に大丈夫なのだ、と言っているようで、少しだけ…本当に少しだけ体から力が抜けた。
「そうですか。よかった」
「あの、それよりも皆はどうなったんですか?私が殺しかけた、人たち……は」
「そう気負う必要はありませんよ、エレファンさん。『お姉様』がいらしてくれたお陰で、皆さん本当に無事でぴんぴんしていますから」
「『お姉様』?」
「あ、いえ、なんでもありませんと言うより先ほどの言葉は忘れてください失言でした」
「は、はぁ……?」
何だかよく分からないけど『お姉様』発言は失言だったらしい。
『お姉様』と言えば自然とファアフ先生の事を思い出してしまうのだけれど……まさか、よね。
「なっ、なんでしたら皆さん……そうですね、シュタンベインさんを今から呼んできましょうか。彼女、貴女に会いたがっていましたから」
「あ、いえ、大丈夫……です」
……アイネ。
正直のところ、今アイネにどんな顔をして会えばいいのか分からない。
心配、してくれたのに、それを私は自分勝手な恐怖心で拒絶して、殺しかけてすらいる。
「そうですか?」
「はい。……それよりもミリアレム先生、聞いてもいいですか?」
「はい、何ですか?」
「私、どうしてしまったんですか? 突然、あんな……」
「……エレファンさんは『水』系統の魔法が得意でしたね?」
「あ、はい。そうですけど。今は」
「エレファンさんの魔力が“暴走”を起こしたんです。“暴走”の事は言わなくても分かりますよね?」
「……はい」
“暴走”と言うのは魔法の制御や何らかの理由で自身の魔力が扱える許容値を超えた時に起こるもので奴隷たちの“オーバードライブ”のときに頻繁に生じる事でよく知られている。けど逆に言えば奴隷たちみたいに無理やりに力を引き出されなければ草々起こるものじゃない現象。
……と、かなり大雑把だけどこんな事をいつかの講義で聞いたような気がする。詳しくは分からなくても“暴走”ってつまりは制御下を離れた魔力の暴走なわけで
「前々から判ってはいた事ですが、エレファンさんには非常に高い水属性――『青』の資質があるようですからね、それがあのような氷として現れたのでしょう」
「そう、ですか」
頷いた、けれど。
正直なところ、あの時感じていた体の奥底から際限なく湧き上がってくるような感じ。あれが全くの制御下を離れていた、とは思わない。
あれが“暴走”ですと言われればそれまでだけれど、でもあれが本当に暴走していたのだろうか?
ぼんやりと、あの時の私自身を思い出しながら――
「「っ!?」」
どん、と建物全体が揺れた。
「な、何が……?」
「エレファンさん、今、貴女の様に“暴走”を引き起こす生徒……いえ、この都市に住むヒト達が多発しているのです。恐らくは今の揺れも誰かが“暴走”したものでしょう」
「なっ、そんな……」
「ですからエレファンさん、貴女が気に病む必要は本当にありません。……そもそもこんな異常事態なのに、何かを知ってそうなあの人は何も言ってくれないし、本当にもう。ふふふっ――」
「み、ミリアレム先生?」
「あ、あらあら。ごめんなさいね。ちょっとした愚痴だから今のは気にしないで下さいね」
「は、はい」
その割に背後に感じる魔力がすごい事になってる気もするけど、それを指摘する勇気は私にはない、です。
「今、学園の教員たちや腕に覚えのある方々が総出で事態の収拾に努めてはいますが、正直芳しくありません。私も外の対処に戻ろうと思うのですが……エレファンさん、少しは落ち着きましたか?」
「……はい。私は、大丈――」
言いかけたその時、ギィ、と耳障りな音を立ててドアが開いた。
「さあ、お迎えに上がりました。我が愛しき聖上」
「ハインケル、先生……?」
ドアを開いた先、そこに立っていたのはハインケル先生、だった。ただし、いつものブラウンの瞳と髪じゃなくって、群青色の髪と瞳の。
「……ハインケル先生、持ち場はどうされたんですか?」
……何、この感じ?
嫌な空気が、いつものハインケル先生から感じる暗い視線の、何倍もの嫌な感じあたりを覆っているような気がする。
どうやらそれは私の勘違いではないようで、ミリアレム先生の言葉と表情はどこまでも硬かった。
「やはり貴女が“そう”だった、スィリィ・エレファン。一目見た瞬間からそうであると確信していた私は間違いではなかった。あの方を受け継ぎしヒト、我らが聖上――『冰頂』の姫君」
ダメ。
何がダメなのか分からないけど、とにかくダメだと感じた。
ハインケル先生の眼は全くミリアレム先生を見てなかった。ハインケル先生が見ているのは私――いいえ、それも違う。私の先にある“何か”、それしか見ていない。
「そう怯える事はない、スィリィ・エレファン。私に貴女を傷つける意志はない」
「ぃ、ゃ……」
傷つけるとか、つけないとかそう言う事じゃない。このヒトは違う、何かが私たちとズレてしまっている、
先ほど、ようやくなりを潜めたはずの恐怖がまた湧き上がってくる。
「大丈夫です、エレファンさん。……ハインケル先生、質問に答えなさい。持ち場はどうしましたか?」
ハインケル先生の視線から庇うように、ミリアレム先生がその間に入ってくれる。
でもハインケル先生――彼にはミリアレム先生の姿は視野にはおさまっていても、全く視ていないのは明らかだった。
「さあ、私と伴に参りましょう聖上。そして今こそ、堕落を貪る小人どもに天の裁きを下す時です」
狂気を孕んだ底の見えない瞳が私の中の何かに訴えかけてくる。
それは、今にも“私”と言う殻を壊して表に出てきそうな感じがして――自分が自分でなくなるという恐怖に背筋が凍る。
「やだ、止め……て」
「躊躇う事はない。私は貴女の味方だ、スィリィ・エレファン」
「……」
ただ、首を振る。
声を出す事も、口を開けると自分ではない誰かの言葉が出てきそうで怖い。
「止めなさい、ハインケル先生。それ以上エレファンさんに近づく事は私が許しません」
……ミリアレム、先生。
ここに来てようやく彼がミリアレム先生の事を見た。
「――小人風情が聖上の御前に立つな、汚らわしい」
「っ!!!」
「……ぇ?」
何が起きたのか、分からなかった。
気がつくとミリアレム先生の姿は目の前にはなく、横手の壁が大きく崩れていた。
無造作にミリアレム先生を『殴って突き飛ばした』だけだなんて、そんな事あるはずがない。
でもそんな事よりも何よりも、彼の姿がすぐ眼の前にあって、
「さあ、聖上――」
ぞっとするような仄暗い笑みを浮かべて、彼が手を差し出してくる。
――同時に、視界の端に一筋の紅を見た。
『髪と瞳が同じ原色を持つのは龍種の特徴の一つである。特に目の前の男に限って言えば青い瞳に青い髪、紛う事なく青き龍、青龍の流れを汲むモノで違いない。
そしてその青が黒みがかっているという事はすなわち【厄災】の証、この世に破壊と災いをもたらす、忌むべき粛清すべき存在。』
私の全く知らないはずの知識が頭の中に浮かんでくる。
知りたくもない、ソレは私の意思に関係なく私を侵していく。
『赤――すなわち女神シャトゥルヌーメの御力を有するそれは世界でただ一つ、我らが同胞『灼眼』が創りし魔術。魔術名、『因果の意図』。
魔術発動時に紅の糸を展開、空間規模で複数の対象に絡みつく。効果、詳細は不明。何故魔術と言う、我らが最も忌むべき術を用いたのかも不明。彼女の思考は理解不能。』
一筋の赤――灼眼の意図が私に絡みつこうと向かってくる。
「もう、ゃ……」
手が、身体が、私の意志とは無関係に――違う。……私の恐怖心に呼応して、動く。
「やだあああああああああああああああああああああああああ」
溢れ出しても、まだ有り余る力。世界全てを青に染める、凍てつく魔力波動。
「お、おぉ……聖上。素晴らしい」
パリン、と澄んだ音を上げて、私を囲んでいた建物全てが氷の飛礫になって綺麗に崩壊した。
私は、ただ見ているだけ。
頬を撫でるのは凍える冷気。見渡す限りにあるのは凍てついた景色。
――清浄なる青き世界。懐かしさを感じる冰頂の世界に身を置いて。
数多の赤い線――灼眼の意図が容赦なく殺到する。
何故にこんな流れになっているのだろうかとつくづく疑問に思う。
ギャグが…ギャグ分がほしいっ、とそろそろのたうちまわりそうです。そうでなくともほのぼのとした雰囲気がほしいところではあります。
レム君の奴隷たちにでも視点を移して彼女らのほのぼのとした空気で物語を進めてみたくなってくる今日この頃。
スィリィ嬢、暴走中。
レム君、飛翔中。
メイドさん、物憂げに空を見上げております。
ファイさん、混乱中。
スィーカット、子守中。
リッパー様、探索中。
・・・そろそろ止めましょう。どこまでも続きそうだ、これ。




