ACT XX. いん、アルカッタ
セミリファさん・・・アルカッタの新人財務官
フィン・マークス・・・アルカッタ四強の一人。強い?
勤め始めて一か月、ようやく仕事に慣れてきた頃。
過去の財務帳を見ていたその新人――セミリファは明らかにおかしな記述をみるなり隣にいた男へと声をかけた。
「先輩、ちょっといいですか?」
「ん、なんだ?」
「この帳簿、おかしくありません?」
「ん〜………いや、おかしくないな」
「でも…!」
「まあ待て、お前の言いたい事は重々分かる。この項目の事だろ?」
「…えぇ」
男が指したのは軍資金の項目にある『指導軍備金』の個所。
その項目自体におかしな所はないが、金額が明らかにおかしかった。
具体的に言うなら大き過ぎた。
他の国ならば裏金として回されている可能性を考えたかもしれないが、ここ――アルカッタでは当てはまらない。何故なら徹底的な能力主義者の国だから。
そもそもこれは数代前に異例の昇進――具体的に言えば奴隷から王族へと言う本来あり得ない事態――があったからに他ならない。
その者の名前はキックスと言って出自も定かではない奴隷だったのだが救国の英雄として、また当時の姫に見初められ最終的には玉座にまで云々……このあたりは機会があれば語るとしよう。
とにかく、明らかにおかしな資金繰りが見られたのだ。
それをお偉い方の事情があるのだろう、などと看過するほど彼女は不真面目ではなかった。
「これって明らかな不正ですよね?どうして放っておくんですか!?」
「…まあ、お前の言いたい事は俺にも分かる。だがな、これは別に不正じゃないんだ」
「こんな馬鹿げた金額、不正じゃなくっちゃ何だって言うんですか!?」
「ただの軍備金だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「軍備って…明らかにおかしな金額じゃないですか!!」
「ああ、俺もそう思う。けどな、これは彼の豪王キックス様がお取決めになった事だ」
「キックス様が…?」
この国でキックスの名前を知らないものはいない。
それは王に対する畏敬の念であると共に、鍛錬を怠らなければ自分もそこまで至れるかもしれないという一つの大きな目標でもあるのだ。
「それに、な。実のところこの金額もあながち法外というわけでもない……と、俺は考えている」
「…それはどういう?」
「いいか、仮に、だぞ。よく聞けよ」
「は、はい」
男の醸し出す雰囲気に呑まれて、セミリファの身体も自然と緊張に堅くなっていた。
「たったこれだけの金額で『点睛』や『灼眼』…ましてや『白面』が味方になるとしたらどうだ?いや、味方じゃなくてもいい、敵にならないだけでもいい。それでもまだお前はこの金額が法外だと思うか?」
「それは…」
キックス、もそうだが。
『点睛』『灼眼』『白面』…加えて『燎原』、この四つの名前を知らない者はそれこそ世界中を探し回ってもいないだろうと言うくらいに有名な名前である。
ワールドランキング、通称W.R.。世界で最も強いとされる10人の中の一人に数えられるものたち。その力は一人で国を滅ぼす事も出来るとも、かつて存在した十二使徒と呼ばれた神の使いにも匹敵するとも言われている、絶対的な強者の名前。
仮に、だが。帳簿に記されている金額でこの三名が敵にならないと言うのなら、確かに安い金額だろう。
そしてセミリファは短い付き合いながら目の前の先輩がこんな詰まらないような冗談を言う正確でない事も承知していた。
「と、まぁキックス様の代に何があったかは知らねぇし、これはあくまで俺の予測だけどな。…誰にも言うんじゃねぇぞ?」
「は、はい」
つまりは、その通りなのだ。少なくとも目の前の男――この国でも四強の一人として数えられる『豪拳』フィン・マークスにとっては偽らざる真実なのだ。
確かにこの程度の金額で国の安全を買えるとするならば、確かに安すぎる金額ではある。
とんでもない秘密を聞いてしまった――セミリファは戦々恐々としていた。
不意に、フィンが弾かれたようにドアへと鋭い視線を投げつける。
「っ、誰だ!?」
「誰だ、とは酷いですね。マークス様」
「――」
瞬間、確かにセミリファの世界は停まった。
そこにいたのはあり得ないほどに美しい、くすんだ銀髪の女性だった。何故かメイド服を着ている事が酷く場違いのような気もするが、それでもセミリファが一瞬目を奪われる程度には似合っていた。
「――スタシャハアルト」
スタシャハアルト――フィンの口から洩れたのは彼の女性の名前か。
呆けたように、スタシャハアルト…と呟いた所で、ようやくセミリファは我を取り戻した。
「マークス様、お久しぶりでございます。それと…そちらの方とは初めてですね。私、スタシャハアルトと名乗っております。どうぞ気軽にスタシュ、とでもお呼びください」
「ふぇ!?ス、スタシュ…さ、ま?」
「いえ、様などと。呼び捨てていただいて結構で御座います」
「ス、…スタシュ?」
「はい。それで、貴女様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「ふああ!?す、済みません。私ったら名乗りもせずっ」
「いえ、お気になさらずに。それで、お聞きしてもよろしいですか?」
「は、はいっ。私はセミリファ・ケイランと言います!」
「セミリファ様、ですね。承知いたしました」
「ふあああああああ」
ぱたん、とのぼせたようにセミリファが頭から湯気を出して倒れ込んだ。
それで、今まで黙って様子を見ていたフィンも流石に二人の間へと割り込んできた。
「おい、スタシャハアルト、余り新人を苛めるな」
「苛めるとは酷い言い様でございますね、マークス様。私にはそのような気はないと言うのに」
「お前にその気がなくても他の奴らはそうは取らないんだよ。いい加減学習したらどうなんだ」
「それは買いかぶりというものです、マークス様。私如きがそのような、恐れ多い」
「あ、そう。あくまで譲る気はないってわけか。まあ俺は別にどっちでもいいけどな」
そう言いつつ倒れたセミリファを引きずって、離していく。
「それで、いったい何の用だ?指導軍備金なら先日払ったばかりだろう。いくらキックス様の代からの盟約とは言え、これ以上払う金はないぞ」
「いえ、今回訪れたのはその件ではございませんのでご心配なさらぬよう」
「なら一体何の用だよ?」
「いえ、優秀な新人が入ったと風の噂で聞き及びましたので、挨拶にまいりました次第で御座います」
「風の噂、ね。…この地獄耳が」
「御褒めいただけたようなのですが、残念ですが私は旦那様以外に褒められてもそれほど嬉しくはありませんよ?」
旦那様――その言葉が紡がれた瞬間、フィンの表情が僅かに歪む。
このスタシャハアルトと名乗る女性が、旦那様と呼ぶ存在。
まだ一度たりとも会った事のない、だが絶対に相容れる事はないと断言できる相手。
苛立ちを込めてフィンは吐き捨てた。
「誰も褒めてねぇよ。で、アレだ。どう思う、この新人?」
未だ顔を真っ赤にして気絶したままのセミリファを指して言う。
「私の助言は高くつきますよ。よろしいのですか?」
「ああ、なら答えなくていい」
「そうですね、確かに将来有望なお方かと。鍛え方さえ的確ならばマークス様の援護をできるようにも育つかもしれません」
「…答えなくていいって言ったのにどうして答えてるんだよ、てめぇは」
「さて、それでは用事も済みましたので私はこれで失礼させていただくとしましょう。ではマークス様、御機嫌よう」
優雅に一礼をして――ソレに一瞬見惚れて――背中を向ける姿にフィンは慌てて声を掛けた。
「…待て」
「はい?まだ何か用があるのでしょうか、マークス様?」
「………いや、ちょっと待て」
「はあ」
珍しくも、僅かに首を傾げて困惑を見せる姿を後目にフィンはわずかに引き返すと自分の業務机の中から一つの小さな箱を取り出して――放った。
「これは?」
「…くれてやる。先日、市で見つけてな。衝動買いしてしまったのだが処分に困っていた所だ。ちょうどいいからお前が持って行け」
「……」
手の中で箱が開く。
中に入っていたのは小さな、黒曜の宝石。
数秒間の間、じっとその宝石を見つめて、再びパタンと小箱を閉じた。
そしてそのままフィンの方へと箱を差し出す。
「申し訳ございませんがこれを受け取るわけにはいきません。本当に、申し訳ございませんが」
「…いや。そうか」
頷きつつも受け取ろうとしない小箱を机の上に置いて、今度こそ――部屋から出て行った。
丁度、タイミングを見計らったようにセミリファが目を開ける。
「ふぁ?」
「よう、起きたか?」
「先、輩…?」
「起きたならさっさと仕事を再開するぞ」
「あれ、私、どうして…?」
「俺は書類整理ってやつが大嫌いなんだ。サッサと始めて、終わらせるぞっ」
「先輩?何か怒ってませんか?」
「あ゛ぁ゛?」
「す、済みませんっ!!」
怒ってる。絶対怒ってる。
心の中で繰り返しつつ、セミリファは涙目で仕事を再開した。
幸か不幸か、先ほどまでの話は気にならない程度には忘れているようだった。
フィンの机の上、一つの小箱がさみしそうにぽつりと置いてあった。
メイドさん、オンステージッッッ!!!!!
旦那様への愛と嫉妬と欲望とその他諸々のどろどろした感情は満ちておりますが、同時にメイドさんへの愛も世界に満ちております。