Act XXX. 世界の判断
ご老人(笑)が言った『勇者と魔王の物語』、の解説的なお話を少々。
神がいなくなった。
それを感じ取って、世界は僅かな安堵と、大きな戦慄を覚えた。
◆◆◆
昔、遥か昔、女神が死んだ。
女神は、世界と共に在り、生物の概念でいえば“姉妹”という関係が最も適当といえる関係である。
それでも世界は悲しくはなかった。もっとも世界自身、“悲しい”という情緒などは持ち得なかったが、少なくとも世界がそれと似た思いを抱くことはなかった。
なぜなら女神は死にはしたが居なくなってはいなかったから。世界に溶けた、という表現が正しい。
――お帰り、女神
――ただいま、世界
それだけで世界と女神は解り合い溶け合う。世界が始まる、その以前の状態のように。
――私、好きな人ができたんだ。
知っていた。何故なら女神と女神の子供たちは皆、世界の胎内にいるのだから。
――でもあの子には悪いことをしてしまいました。
そんなことはない。悪いのは女神のせいではなく、“あの子”とやらを悲しませた原因のすべてはあの神に、世界が“外”より受け入れてしまった男にあるというのに。
女神は何も悪くない。だから、悲しむのは止めて欲しいと切に願った。
大丈夫、女神には世界がいる。だから、大丈夫――そう世界が楽観できたのはほんの僅かな時間でしかなかった。
世界が荒れた。
一番の原因は女神がいなくなったことにより他の二柱の神どもが暴走しだしたことだろうか。それとも、女神が好きと言った“あの子”が原因か。
役立たずの神二柱が“あの子”に殺されたあとも、世界は平穏を取り戻すことはなかった。
神がいなくなり、皮肉にも世界では女神が愛すべきはずの子らが互いに殺し合いを始めた。
世界は荒れて、女神の子らが次々に死んでいく。女神の子らが世界に還って来るのは世界自身にとってはむしろ嬉しいことだった。
だが世界にとって何より辛かったのは、女神がそれを知り悲しんだことだった。けれど世界には何をすることもできない。ただ自分の胎内を眺め、それを見て悲しむ女神を慰める、そのくらいしかできなかった。
だが、世界の懸念を置いて世界はあっけなく平穏を取り戻した。
『魔王』と『勇者』
何の前触れもなく現れた『魔王』は、女神が愛した子らをすべて殺しつくすと全世界に向けて宣言した。
その宣言どおり、数多くの村々や城、国といった“建物”が焼き払われ、壊しつくされた。そしてそれを絶望の表情で見つめる女神の子ら。――それは、そう。互いに殺し合うことを忘れたように。
そこに二人の勇者が立ち上がった。女神の子にして友だった固体、――その子孫。世界の守り手と世界の壊し手の二人の姉妹。
彼女らは互いに手を取り合い、足を引っ張り合い、騙し合い、貶し合い、罵り合い、時に殺し合いさえした。
その結果……『魔王』が巻き込まれるように倒されて、世界は平穏を取り戻した。彼女らは結果として『勇者』――『黒白の勇者』と呼ばれることになった。
◆◆◆
世界は学ぶ。
世界が混沌し、ヒトの子らが互いに殺しあえば女神が悲しむことを。
そして世界の安穏を取り戻すために、『魔王』と『勇者』の存在が実に有効だということを。
だから世界はひとつの理、法則を自らの胎内に生み出した。『魔王と勇者の物語』、というひとつの法則。
◆◆◆
神がいなくなった。これはつまり、あの時の再開。
神が死に、世界が荒れ、女神が悲しむ。
それは悲しい、世界にとって女神が悲しむことは何よりも悲しく、避けるべきことなのだから。
かくして『勇者と魔王の物語』――過去に遡っての魔王 (と、その配下)の発生と、神託 (偽)による勇者の召喚は行われた。
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まあ、ぶっちゃけありがた迷惑。